蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

駆け上がる野生

2016年05月18日 | つれづれに

 博物館への89段の階段を登り詰めたところで、すぐそばの木立からウグイスの声が転がってきた。澄んだ青空を背景に、緑繁る木立の合間に目を凝らすと、いたいた、一羽のウグイスが喉を反らせて気持ちよさそうに囀っていた。カメラを向けたが、あいにく200ミリのズームでは及ばない。何度かシャッターを落としたが、クローズアップに耐える絵は撮ることは出来なかった。
 左腕のトレッキング用デジタル腕時計が、やがて9時を指そうとしていた。蝶が舞い立つには少し早い時間である。
 それでも、歩く木道の傍らをイシガケチョウが掠め、キチョウやモンシロチョウが舞う。ヒララと日差しを切ったのは、落ち葉が風に舞うようなコミスジだった。木立の陰にはヒメウラナミジャノメが小さな影を迷わせる。葉陰にツマグロヒョウモンの雌が潜んでいた。我が家の庭のスミレで毎年棘とげの幼虫が育ち、やがて黄金色の突起を飾った蛹になり、羽化して飛び立っていくお馴染みの蝶である。
 目線の高さに、珍しくコシアキトンボが皐月の風に乗ってホバリングしていた。

 傍らの山肌に立つ淡竹を5.6本折り取り、今夜のお惣菜に加えることにした。例年の3倍近く降った雨量に、湿地を横切る散策路はまだ水たまりが残り、ぬかるみを避けながら足を進めた。ウグイスの声が頻りに降ってくる。
 湿地帯の散策路の突き当り、100段あまりの急な階段を登り始めた時、左手の竹林でガサガサと大きな音がした。何事?と目をやった先に、急斜面を駆けあがる2頭のイノシシの姿があった。
 時には襲われることもあるというのに、不思議に怖さはなかった。むしろ、猛々しく竹林の急斜面を駆けあがる姿に、新鮮な感動と興奮があった。

 冬場、この辺りの湿地はイノシシの出没が年々激しくなり、とうとう今冬「イノシシに注意!」という警告看板が立った。散策路の脇ののり面は見事に掘り起こされ、湿地帯は転げまわるイノシシの「ぬたば」となって、この春は楽しみにしていたセリも壊滅状態だった。
 春になると、その乱暴狼藉もおさまり、のり面も草に覆われて落ち着いてきたが、孟宗竹の筍が終わったこの時期に目撃するのは、多分淡竹の筍狙いだろう。今年、イノシシに荒らされて筍が採れないという話を何度も聞いた。毎年、わが家の木の芽(山椒)が瑞々しく繁る頃、筍を買うと不思議に誰かが筍を届けに来て、代わりに「木の芽和え」用に山椒の葉を千切っていく。しかし、今年はとうとう誰一人来ることはなかった。

 ふと、抱えている淡竹の筍が気になり始めた。イノシシの上前をはねたのかもしれない。2頭が駆け上がった先には、私の秘密基地「野うさぎの広場」がある。抱えていた筍をそっと笹の陰に隠し、「野うさぎの広場」に向かう山道を辿った。肩から提げたポーチの小さなカウベルをカランカランと鳴らしながら、念の為枯れ枝で道の脇の孟宗竹をカンカンと叩きながら歩いた。
 広場の木漏れ日がくっきりと陰影を深まらせる木陰で、いつもの倒木のマイ・ベンチに腰を下ろして麦茶を含む。散り敷いた一面の朽ち葉に、吹く風が木漏れ日を揺るがせる。見るものは何もない季節である。しかし、風の音だけに包まれるこの静寂が欲しくて、時々ここにやってくる。
 2頭のイノシシが見せた野性の猛々しさが煽った興奮、額の汗を拭いながら暫くその余韻に浸っていた。

 1時間半の散策を終えて帰り着いた我が家の庭は、今ユキノシタの花の真っ盛りである。無数の踊り子たちが頬を染め、大胆に脚を開いておおらかに初夏を踊っている。
 昨日、沖縄・奄美が梅雨にはいった。雨の季節が近づいている。
            (2016年5月:写真:小さな踊り子・ユキノシタ)