蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

夏に倦む

2010年08月15日 | つれづれに

 8月……

 2日……子供達の「夏休み平成おもしろ塾」が始まった。たった一人の6年生の女の子がリードし、16名の子供たちが眠い目をこすりながら集まってきた。9年目の塾長の挨拶は、恒例の昆虫教室で始まる。クマゼミ誕生の瞬間を捉えた写真を配り、生命誕生の感動と、命への慈しみを説く。膝元まで擦り寄って真剣に聴いてくれる子供達の素直なまなざしが、夏風邪で弱った心と身体を癒してくれる。ひとりの女の子が「先生、このクマゼミは雄ですね!」と言った。1年前の塾で教えたことを、しっかり覚えてくれていたのだ。塾長冥利に尽きる一瞬だった。

 6日……立秋を明日に控えて、ツクツクボウシの初鳴きを聴いた。名ばかりの秋は立ったけれども、苛烈な日差しに衰えはなく、真夏日が続く。巷もマスコミも、この日の広島、そして長崎の被爆、終戦の日に向かって、戦争一色に染まっていく。日々の静かな祈りの中にこそ平和への思いを深めるべきなのに……以前、広島で感じたことだが、戦争の悲惨な被害は原爆だけではない筈。助成金で被災地をくるみ込む政治の姿は、時として逆差別を感じるほどのものだった。私だって九死に一生とまでは言わないが、半島を貨物列車で横断して、身一つで生き延びて来た引揚者なのだ。家内は博多大空襲の火の海の中を逃げ惑い、疎開先で幼い弟を喪った。声を大にして叫び続けるだけが、平和への道なのだろうか?沈黙の中に沈む原爆以外の被災者の声なき声にも、私達は耳を傾けるべきなのではないだろうか?……不遜なようだが、風化させるべきものと、忘れてはならないものと…いつまでも総括を出来ない人間の愚かさを垣間見るこの時期である。

 9日……「夏休み平成おもしろ塾」2日目、大きな画仙紙に豪快な文字を書き上げた子ども達が、思い思いに花を生ける。しきたりにとらわれない子供達の感性が、思いがけない新鮮な姿として花瓶に生きた。

 10日……庭の片隅でカネタタキが鳴き始めた。チンチンという涼やかな鐘の音が夕闇を振るわせる。夏の暑熱に倦んだ身体に、虫たちはかすかな秋の便りを間違いなく運んでくる。庭のキブシには、来年早春に咲く花芽が早くも育ち始めた。

 12日……半月ぶりに九州国立博物館環境ボランティアの活動に出た。前日北部九州の西の海上から日本海に抜けた台風が、雨と風を運んだ。台風一過すれども、秋風立たず。鉛色の雲が奔り、時折驟雨が頬を叩く。自記温湿度計の記録紙をファイリングし、小一時間館内をウォッチングした後、博物館科学課の会議室を覗いた。この21、22日に開催する公開シンポジウム「市民と共にミュージアムIPM」のリハーサルが始まっている。全国に呼びかけた、この「市民参加型ミュージアムIPM」の公開シンポジウムに於ける主役はボランティアである。「愛知県美術館友の会サポート部会とIPM」、「岐阜県美術館サポーター活動と虫パトロール」の事例報告に、私達のボランティア活動の成果も発表する。その開会挨拶を任された。「市民と共に歩もう」という九州国立博物館の真摯な姿勢の現れである。

 そして15日……終戦の日を迎えた。両親の仏を預かる広島の兄がお盆の供養をするというから、珍しく今年は迎え火も焚かない寂しいお盆である。またぞろ閣僚達の靖国神社詣での、愚にもつかない論争が姦しい。民を忘れ、己の権勢欲だけにうつつを抜かす政治家達の、見苦しい愚かさが腹立たしい。

 夏に倦んだ神経が、やたらに苛立たしさを募らせる秋の入りである。庭のプランターで4頭のキアゲハの幼虫が育っている。朝夕倍々の勢いで太り、10株のパセリがみるみるうちに蚕食されていく。ハラハラしながら残り葉を数え、暗雲の中から時たま叩き付ける日差しに洗濯物を干しながら、やがて終戦の日の正午が迫っている。
                (200年8月:写真:子供達の生け花)