蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

逃避行

2016年07月24日 | つれづれに

 早朝の散歩を始めた家内の帰りを待って、入れ違いに散策に出た。6時40分、もう朝日が差し始める時刻である。
 「学園通り」を抜け、五条小橋のたもとから御笠川沿いの散策路に出る。行き違う人たちと「おはようございます」と会釈を交わしながら桜並木のトンネルの下を歩き進める頃、辺りは早くもクマゼミの大合唱だった。
 「蝉時雨」などという雅さには程遠く、激しい土砂降りの「夕立」ならぬ「朝立ち」、耳鳴りがしそうなほどの大音量が頭の上から雪崩落ちてくる。川面に群れるトンボも、真っ盛りの夏を演出していた。何故か昔からトンボの群れを見ると、遠い遠い秋の気配を探してしまう。
 早くも滝のように流れる汗を拭い、サーモスの麦茶を何度も口に含みながら歩き続けた。バッグに提げた小さなカウベルがリンリンと鳴る。右手に抱えたサーモスの中の氷がカラカラと鳴る。
 今朝は風もなく、拭っても拭いきれない汗が額から滴って眼鏡に落ちた。Tシャツが汗で張り付き、下着まで濡れそぼっていくのがわかる。

 赤い橋のたもとから右に折れ、観世音寺に向かった。参道の脇径に逸れて草むらの中を本堂に向かって歩いていると、すぐ目の前でキジバトが地面をつつき、ヤマトシジミが足元をチロチロと舞った。
 朝の境内にスマホを操作して座り込んでいる若者がいた。このところ話題になっている「ポケモンGO」の追っかけが、こんなところにもあるのかな?と思いながら、賽銭箱にコインを投げ込んで手を合わせた。

 石段に座り込み、暫くクマゼミの「朝立ち」に包み込まれて汗に濡れていた。此処まで豪快に蝉の鳴き声に包まれてしまうと、もう何も聞こえない。忘我のひと時である。
 本堂の裏に抜け、いつも新鮮な野菜を届けてくれるY農園の畑を覗いてみた。茄子が朝日に反り返り、無花果にたくさんの実が育っていた。大好物のお裾分けがある頃、夏は一段と熟し切っていることだろう。

 再び、桜並木のトンネルの下を戻った。東西に延びる「学園通り」は、この時間もう日陰がない。早くも苛烈さを見せ始めた太陽が、容赦なく額を叩く。さすがに、これはキツい。
 「家を出るのが、1時間遅かったな」とぼやきながら、最後の団地に上る50mほどの坂道を喘ぎ登っていると、朝飯抜きのお腹がクウ~と鳴いた。汗にまみれた1時間、6,000歩の散策だった。

 昨日、太宰府は35.4度、全国で3番目の高温となった。これが当たり前のようになってしまった日本の夏、子供の頃は30度を超えたら話題になっていたような記憶がある。逃げ場のない温暖化が進む。九州は最早亜熱帯?とぼやきながら、冷水のシャワーを浴びて人心地を取り戻した。

 2週間後には、沖縄・座間味島の海の底で熱帯魚と戯れている。久し振りにダイビング器材を洗って日に当て、出発の準備を始めた。カリフォルニアのサンタ・カタリナ島でライセンスを取ったお祝いに、娘と娘婿が贈ってくれた器材一式を撫でながら、メキシコ・ロスカボスの海で遭遇したシーライオン(カリフォルニア・アシカ)や、マスクの視野を埋め尽くしたギンガメアジの大群に想いを馳せていた。

 酷暑からの逃避行、その1週間が終われば、わが家の夏は早々と終焉する。あとは、ひたすら残暑残暑……。
                 (2016年7月:写真:ダイビング器材)

 (我が家の蝉の羽化は、115匹で終わった。)


変身

2016年07月18日 | 季節の便り・虫篇

 石穴稲荷の杜に昇った月明かりを、ヒグラシが「カナカナカナ♪」と今宵最後の鳴き声で震わせた。

 九州市民大学に出掛けた。今月は、仲代達矢の芸談「役者を生きる」。12か月の講師の中で、楽しみに待っていた一人だった。1月の片岡仁左衛門の「芸とその心」は、わが家からの坂道が豪雪のために凍結して歩けず、涙を呑んで欠席した。先月の薩摩焼十五代沈壽官の「朝鮮陶工400年の命脈」は感動的だった。そして今日の仲代達矢。

 「市民大学」というより「老人大学」の様相を呈するこの講座は、違和感を覚える参加者も多く、また会場の「アクロス福岡シンフォニーホール」はアクセスと音響効果こそ優れているものの、トイレなどの付帯設備は時代遅れで、しかも階段だらけ。入場するにも階段、トイレに至っては延々と階段を下りて行かなければならない。しかも、男子トイレにシャワー無しの昔のままの洋便気が残っていたりする。トイレが少ないから、休憩時間は長蛇の列ができ、トイレに並ぶだけで終わってしまう。
 ごく一部にエレベーターによる案内もあるようだが、世の中はすでに高齢化社会、高齢者や障害者のためのバリアフリーの配慮なしには、公的な施設は存在する価値はない。この日も、杖にすがり手すりを掴みながら恐る恐るトイレに通うお年寄りの姿が気にあった。
 大都市福岡としてはまことに恥ずかしい限りだが、それでも出掛けるのは他に然るべき施設がないからに過ぎない……が、それはこの際措いておこう。

 待ち望んでいるのは11月、写真家・映像作家・栗林 慧さん(この講師にだけは「さん」を付けないと気が済まない)の「昆虫映像と我が人生」である。
 チラシにある彼の紹介……昆虫を撮り続けて50年。「アリの目で見たい」と、内視鏡やビデオ用レンズを取り付けた世界で唯一の特殊カメラを開発。虫の目で見える風景が再現され、昆虫たちの未知の生態に光が当てられた。2006年には科学写真のノーベル賞といわれるレナート・ニルソン賞をアジアで初めて受賞。詩情豊かな映像美にもご注目を!……。
 長崎県平戸市の田平町に住む、虫キチにとっては憧れの人である。二度お目に掛かり、サインをいただいた写真集も私の本棚に納まっている。遥か彼方の景色を眺めるバッタの後姿など、全焦点で捉えた映像は見飽きることがない。初めてカメラを手にして65年以上、今も私が拙い昆虫写真を撮り続けているのは、憧れの彼の存在が最大の動機づけになっているからなのだろう。

 見失っていた3頭目のキアゲハの蛹を、ようやく見付けることが出来た!パセリのプランターから家の壁伝いにおよそ10メートル、雨のかからない縁側の壁でひっそりと蛹になっていた。僅か3センチの幼虫がモコモコと辿ったこの距離、人間に置き換えれば500メートル以上を這い進んだ計算になる。
 美しい黄緑に変身した姿には、既に蝶となったときの頭の形がうかがえる。残念ながら、まだ羽化する瞬間を目にしたことはない。毎日折に触れ見上げ続けているが、また隙を見付けてひっそりと美しい蝶に変身するのだろうか?……しばらく、根気比べが続くことになる。

 スミレを集めた鉢に、ようやくツマグロヒョウモンの棘とげの幼虫が3頭誕生した。

 セミの羽化は早くも競演を閉じようとするのか、此処ふた晩は1頭ずつの羽化にとどまっている。昨夜までで102匹、既に昨年を30匹ほど上回った。ニイニイゼミ、アブラゼミ、ヒグラシ、クマゼミが揃い踏みして、石穴稲荷の杜で賑やかな合唱が続いている。

 懐中電灯で幼虫を探す光の中に、八朔の葉に這う1頭のアゲハチョウの若齢幼虫がいた。まだ鳥糞状態の地味な姿である。

 昼間の庭に華麗なハンミョウが姿を現した。ここ数年、我が家の庭で世代交代を続けている一族である。秋風が立つまで、この庭でアリを狩って飛び回ってくれることだろう。

 小松 貴著、「虫のすみか」という本を買った。「私たちが気づかないだけで,庭先や道ばた、土の中は、虫たちの不思議な巣であふれている」という惹句に少しワクワクしながら、今夜も庭先でセミの羽化を探す。

 「海の日」……待ち焦がれていた梅雨明け宣言が出た。さあ、夏が燃える!
                     (2016年7月:写真:キアゲハの蛹)

また一夜……

2016年07月08日 | 季節の便り・虫篇

 遅れ馳せの台風1号が石垣島の西を掠めて台湾に去り、その余波で次々に発生した積乱雲が、南九州に激しい雨を降らせた。太宰府も終日雨に降りこめられ、昨日まで35度、34度が続いたのが嘘のように26.6度まで急降下、吹く風に肌寒さを感じさせるような一日だった。

 降りしきる雨の中を、夕暮れになると雨足をくぐってヒグラシの鳴き声が届く。1週間ほどの短い命、限られた時間の中で子孫を残す為には、雨を避けて休んでいる余裕はないのだ。伴侶を求めて懸命に鳴き募る声を聴きながら夕飯を済ませ、やがて濡れそぼった夜が落ちてきた。
 10時過ぎにカーポートのアコーデオン・ドアを閉めに庭に出て、「まさか、こんな雨の夜の誕生はないだろう」と思いながら八朔の下に立って、思わず目を瞠った。なんと12匹ものセミが、思い思いに羽化のいろいろなステージを見せていた。雨に濡れながら、地面から這い上がり足場を探して葉裏を歩いているもの、背中が割れ始めて頭が覗いているもの、反り返ってぶらさがっているもの、既に脱皮を終えて美しい翅をのばしているもの……2時間余の羽化のプロセスのさまざまな姿を、すべて同時に見ることが出来る!地面の下で雨を知ることが出来ないのか、それとも雨もを厭わず本能が羽化を促しているのか……観察し始めて数年、乾いた夜に10匹を超えることは少なくないが、雨の中のこれほどの集団羽化を見たのは初めてだった。
 6月29日に始まったセミの羽化は、途切れることなく既に10日、誕生したセミはこれで36匹になる。

 昨日7月7日、クマゼミの初鳴きを聴いた。この辺りでは、クマゼミのことを「ワシワシ」という。「ワーシ、ワシ、ワシ、ワシ、ワシ!」と鳴き募る声が、そのまま名前となった。稀に、「シワシワ」と言い張る人もいて、笑ったこともある。
 ヒグラシが6月29日、ニイニイゼミが7月4日……暑さの代名詞になるのは「ジリジリジリ!」と鳴くアブラゼミか「ワ~シワシワシ!」のクマゼミか?それぞれ油照りの暑熱を煽る鳴き声だが、梅雨が明けないこの時期の鳴き声には、まだ暑さを煽る勢いはない。石穴稲荷の杜から届く鳴き声はそれなりに季節の風情があるが、これが梅雨明けと同時に次第に住宅地近づき、やがて庭先の木立で傍若無人にけたたましく鳴きたてる頃になると、紛れもない「真夏」である。部屋の中の会話もテレビの音も、ひと目盛り上げないと聞き取れなくなるほど姦しい。ツクツクボウシが去りゆく夏への哀愁を込めて空気を転がし始める晩夏まで、アブラゼミとクマゼミの君臨が続く。
 あの小さな身体でこれほどの音量を響かせるメカニズムに呆れたり感じ入ったり、……いつもの夏の風物詩のひとつである。

 最近、地虫の声を聴かなくなった。地の底から「ジ~~~~!」と引き摺るように響く鳴き声は、何故か妙に哀しい。「悲しい」ではない、この鳴き声に当てるのは「哀しい」という字が似つかわしい。聴く人の心を深々と沈みこませるようなその鳴き声に、子供の頃から心惹かれていた。
 地虫……学術的に言えばコガネムシ科の昆虫の幼虫の総称だが、ここでいうのはケラ(螻蛄)という直翅(ちょくし)目ケラ科の3センチほどの昆虫のことである。熊手のような頑丈な前足は、一見モグラを小さくしたような姿で可愛い。地中に穴を掘って住み、昆虫などを捕食したり、植物の根なども食べる。後ろ翅(ばね)が長く、夜飛んで灯火にも集まる。昆虫少年だった中学生の頃、灯りに飛んできたケラを捕まえて、箱に土を入れて飼っていたこともあった。
 このケラの雄が春や秋に土中で「ジ~~~~~~!」と息長く鳴き、俗に「ミミズが鳴く」といわれることもある。夏の季語である。
 一文無しになることを、俗に「おけらになる」というが、その有力な語源にケラが登場する。ケラを前から見ると万歳をしているように見えるため、一文無しでお手上げ状態になった姿に見立てたという。昆虫ではなく、植物の「おけら(朮)」のことで、この植物は根の皮を剥いで薬用とされるため、身の皮を剥がれる意味に掛けたという説もあるが、やっぱりケラの姿に見立てた方がユーモラスで楽しい。

 また雨が奔る。葉裏にしがみついて誕生しつつあるセミが、頻りに気になる夜である。
                (2016年7月:写真;セミの集団羽化)

<追記>翌早朝、薄明の中にヒグラシの声に目覚め、庭に出て数えてみたら、抜け殻が18匹に増えていた。都合、42匹。
 八朔や南天の枝先には、まだ翅が乾き切らずに飛び立っていない蝉が5匹。1匹のクマゼミを除き、ほとんどがヒグラシだった。これから、次第にクマゼミの割合が増えていく。
 小さな虫の生態に感じる、緩やかな季節の移ろいである。

威嚇

2016年07月03日 | 季節の便り・虫篇

 生きなければならない。生きたい。生きて行こう……そんな意志を持っているわけではない。ただ本能の赴くままに生まれ、蚕食し、脱皮を繰り返し、淡々と彼らは生きて行く。その身構えない、さりげない生きざまを擬人化し、人は感動する。
 しかし、生き延びることがどれほど厳しく、稀な現象であるかを知ると、一頭でも育て上げたいと思ってしまうのだ。
 2頭のキアゲハの幼虫は、幸いその後に生まれる卵もなく、しっかり繁った4株のパセリを存分に蚕食し、脱皮を繰り返して、美しい終齢幼虫になった。激しい雨が奔る連日、33度を超える猛暑が続く中を、軒下のプランターで無事に育った。
 そっと指で触れるとオレンジ色のつのを出し、強烈な匂いで威嚇してくる。指先に付いたら、この匂いはなかなか取れない。生きるための唯一の武器である。鳥、狩人蜂、トカゲ、カナヘビ、時にはガマガエル……幾つもの天敵から誰も守ってはくれない。こんなささやかな武器で、僅かな生き残りに賭けるしかないのだ。

 妹の病院を家内と見舞った。家の階段を踏み外し、腕と足の骨を折った。特に足は粉砕骨折で、金属を入れて固定しなければならないほどの重傷だった。腎臓をいためて三十数年、週3度の人工透析を続けた骨は脆く、72歳の今日まで何度骨折を繰り返したことだろう。術後見舞ったときは見かねるほど弱り、4か月かかるかもしれないと言われた入院に、気力まで失っていた。
 幸い予想以上の回復で元気になり、杖や歩行器で自力歩行が出来るようになり……そうなると、退屈な入院生活をぼやくことになる。
 「病院食が美味しくない。土日はリハビリがないから退屈~ッ!」とメールが来る。
 「何か食べたいものがあるなら、持って行こうか?鰻はどう?」という家内の問いかけに、こんな返事が返ってきた。
 「鰻は、つい先日持ってきてもらって食べた。お鮨が食べたい!」
 たまたま、「市長と語る会」に出席する予定があったのを急遽取りやめ、行きつけの鮨屋で「上にぎり」2人前と名物の「筑紫巻き」、それに「おしんこ巻き」を作ってもらって、病院に走った。サービスに、「河童巻き」を添えてくれた。
 4人部屋のカーテンを巻いて、お鮨を食べさせ、病院食を私がこっそり平らげて……家内や私の入院の時に、よくやったパターンである。昔は人口透析を始めると、ひと財産無くすと言われ、10年が限度といわれたた難病だったが、医学の進歩と難病指定の補助が此処まで妹を生かしてきた。
 夫にも先立たれ、末っ子の次男と二人で、「生きたい、生きよう、生きなければ…」という意志で命を繋いできた。意志・意欲を持って生きることが出来るのは、おそらく人間だけだろう。
 2時間ほど退屈しのぎの雑談をして、「予想より1ヶ月ほど早く、来週退院する」という言葉を土産に帰途に着いた。午前中、時折日差しが降っていたのに、都市高に上がったころから激しい雨が奔り始めた。

 帰り着いた家の軒下のパセリで、蚕食をやめて、じっと葉先にとまる2頭がいた。「そろそろ蛹になる頃かな?」と思いながら、33.3度、湿度80%の気怠さに、ついうとうとと微睡んでいた。
 夕刻庭に立ったら、既に2頭は蛹化の旅に出た後だった。どこで蛹になるのか、この木立や草花の繁った中で探すのは至難である。時には5メートル以上モコモコと移動して、裏口の軒下で蛹になったこともある。
何かの折に偶然発見することを期待しながら、ほぼ食い尽くされたパセリのプランターを眺めていた。
 「無事に生きろよ。綺麗なキアゲハになって、真夏の日差しの下で、いい伴侶を見付けろよ」

 その夜、八朔の葉裏で、3匹目のセミの幼虫が背中を割った。
               (2016年7月:写真:威嚇するキアゲハの幼虫)

命の誕生

2016年07月01日 | 季節の便り・虫篇

 4時50分、浅い眠りから覚めて、薄明の中にヒグラシの初鳴きを聴いた。6月晦日前の29日、昨年の30日の初鳴きとほぼ同じタイミングである。小さ身体に潜む命の時計、3年から17年といわれる地下での幼虫時代を過ごすのに、羽化する時を決して違えない。だから、毎年の誕生に新鮮な驚きがある。

 いろいろ事が続いて、昨秋以来途絶えていた温泉三昧に久し振りに出掛けることにした。梅雨真っ盛りの豪雨が南九州に居座り、天気予報に一喜一憂しながら、結局雨を衝いて強行、筑紫野ICから九州道に乗って、久留米を過ぎる辺りから激しい雨となった。ワイパーをフルに廻しても拭いきれない雨脚に路面が霞む。制限速度が80キロから50キロに落ちる。さすがに、こんな雨の中の運転は怖い。
 菊水ICで降りた。思い返せば、大震災以来初めての熊本入りである。同じ熊本でも、此処は福岡県との県境に近い北の外れ、時折路肩ののり面にブルーシートを見るのが、僅かな地震の名残だった。山鹿に向かう途中から左に折れ、菊池川添いに走って山手にはいり、お気に入りの平山温泉の部屋付き露天風呂の宿に着いた。1時間半足らずの走りで、木立に包まれた隠れ宿の静寂に包まれるのは、なんという恵まれた環境だろう。
 我が家一番のお気に入りの「隠れ宿」は、震災の渦中の南阿蘇にある。橋脚が落ち、道路やトンネルが破壊され、残念ながら年内はアクセスが難しいという。

 降りしぶく雨に外の大きな露天風呂は諦め、部屋付きの露天風呂でゆったりと寛ぐ。39度ほどのぬるめの湯が始めのうちは物足りないが、やがて20分も浸かってあがると、全身がホコホコに温まってくる。夕飯までのひと時を横になって本を読んでるうちに、いつの間にか転寝していた。
 夜半、心地よい眠りの底で、激しい雨音が離れの部屋を叩き続けていた。

 ヒグラシの初鳴きを聴いたのは、帰り着いた翌朝だった。20分ほど裏山の石穴稲荷の杜で朝の気を震わせたあと、明るくなるにつれて鳴き声がやんだ。
 その夜、ふと予感があって9時過ぎの庭に降り立った。時折小さな雨粒が落ち、夜風が木の葉を揺らす。いつもの八朔の梢に懐中電灯の光を展ばすと、いた!目線の少し上で1頭のセミの幼虫が、今まさに背中を割ろうとしていた。数えはじめた一昨年128匹、昨年75匹のニイニイゼミ、ヒグラシ、アブラゼミ、クマゼミが誕生した檜舞台である。昨年の第1号は7月8日だった。
 もう連続写真は何度も撮ったのに、やっぱりカメラを引っ張り出し、懐中電灯を手に、梢の下に佇む自分がいた。全てを撮るには、2時間以上藪蚊に苛まれながら佇むことになる。三脚が届かない高さだから、脚の位置を固定しアングルを定めて、自分自身を三脚代わりに酷使することになる。それでも、そんな苦役が楽しいのは、命誕生の瞬間に立ち会う感動があるからなのだ。

 背中が割れ、上半身を乗り出し、尻尾だけを殻に残して前足4本を空に足掻かせながらゆっくりと逆さまにぶら下がる。この時間がしばらく続く。風に揺られ、雨粒に叩かれると、落下してしまうこともある一番危険なプロセスである。やがて上半身を一気に持ち上げてしっかりと前足で殻に掴まり、下半身を抜き出す。らせん状に巻き込まれた翅が目を瞠る速さで伸びていく。美しい翅脈が拡がる。生まれたばかりのセミの姿は、ストロボの光を浴びて神々しいまでに美しかった。幼虫の背中が割れて、およそ2時間後だった。
 油断大敵、ここでカメラの電池が切れた!

 翌朝、5時に起きて庭に急いだ。すっかり翅が乾き切った見事な成虫の姿がそこにあった。ヒグラシの雄だった。
 やがて6時過ぎ、ホトトギスが鳴く鉛色の空の下を、仲間たちが待つ石穴稲荷の杜に向かって飛び立っていった。
 命誕生の、競演の季節の始まりだった。
                (2016年6月:写真:羽化間もないヒグラシ)