蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

加齢、無残!

2011年02月16日 | つれづれに

 新型インフルエンザの猛威にも、ようやく衰えが見え始めた2月半ば。何故か高齢者の罹患が少なく、それはそれで取り残されたような、そこはかとない寂しさがある。今冬ばかりは風邪を持ち込むことが例年になく憚られ、あらゆる外出の度に、戻ったらうがいと手洗いをしつこいまでに繰り返している。そのせいもあろうか、毎年秋口から風邪と仲良くなり「あなたが来たから、そろそろ風邪の患者が増えるね」と主治医に笑われるほど、この季節の風邪を切らした(?)ことがないのに、この冬は寝込むことなく過ごしている。
 今日も、公民館の集いのあと帰宅して、いつものようにうがいの為に洗面所に立った。その数秒後である…「あれ?私は何をしてるんだろう?」…鏡には、シャワシャワと歯を磨いている自分の姿が映っているではないか。ほろほろと苦い独り笑いでごまかしながら、少し寒々とした思いに陥る。
 いつの頃からか、こんな出来事が日常茶飯になった。テレビを観ながら「あ、この人、前にアレに出てたよね」「ウン、アレに出てた、ホラあの人」…「アレ」の内容も、「あの人」も分かって会話が進んでいるのに「アレ」の番組名が出てこない。「あの人」の名前が出てこない。お互いに顔を見詰め合いながら「ホラ、アレに出てたあの人」…夫婦の会話である。数時間後、時には数日後、忽然と思い出して「そうそう!」とまたひと頻り、寄る年波の滑稽感に浸るのだった。

 さて、その公民館の集いである。7年半ほど時間は遡る。区長をやっていた頃、一日中語ることもなく、笑うこともないお年寄りのために、月に一度公民館を開放し、持ち寄った茶菓子をつまみながら語り合い笑いあう場を設けた。名付けて「井戸端サロン」。当時、新聞で読んだ103歳の高橋チヨさんの歌が今も胸に残っている。

   一日中 言葉なき身の 淋しさよ 君知りたまえ 我も人の子

 午後のひと時で癒された皆さんが、帰り道に話し足りなくて、立ち止まっていつまでも話し続ける…これを、「道端サロン」という。当時の話題の主流は亭主の悪口だった。「酒の肴で一番美味しいのは上司の悪口、お茶のお供で一番美味しいのは亭主の悪口」…実は、よく聞いていると、お惚気が垣間見える会話ではあるのだが…。7年半過ぎるうちに、顔ぶれが少しずつ代わっていった。鬼籍に入った人、戸建ての持ち家を払い、施設や、便利な都会のマンションに越した人、子供さんに引き取られていった人…時は容赦なく輪廻していく。
 もう縁が無くなったバレンタイン・デー翌日のこの日、一段とその会話が過熱した。どっちが早く逝ったほうがいいか…「年金が半分になるのさえ厭わないなら、亭主が先の方がいい」と皆さんおっしゃる。15人ほどの参加者の中で、男は私一人である。これは敵いっこない。そこに、とどめのひと言が飛んできた。「どうせ先に死んでくれるなら、50過ぎくらいにして欲しいよね。80まで生きて先に死なれても、今更何にも楽しめない。」恐るべし、女のホンネ!爆笑の中で、皆さんご機嫌でこの日の「井戸端サロン」のお開きとなった。

 一日中、何かを探しているアラセブの我が家である。もう1ヶ月以上探しているのに、いまだに見付からない真空パックのレーズン。辛うじて1ヶ月目に見付かった5,000円の図書券。確定申告用の源泉徴収表の一枚は、とうとう諦めて再発行してもらった。「新鮮なチリメンもらったから、酢の物作ろうね」と家内が言う。出来上がって夕餉の食卓に並んだのは、キュウリとワカメの酢の物。食べ終わって「アレ?チリメンは?」と私。…食べ終わるまで気付かない二人なのである。先が思いやられながら、それを笑い話にして楽しむ知恵も身につけた。こうして、冬日が暮れていく。

 蝋梅が雪の中に花時を終え、枝垂れ紅梅の蕾がゆっくりと膨らんでいく。何はともあれ、この厳しい冬を何とか乗り越えられそうである。術後2ヶ月が過ぎて、この日を家内の床上げと決めた。明日は久し振りの青空、布団を干して、お日様の匂いいっぱいのふかふか布団で、又新しい日を迎えることにしよう。
          (2011年2月;写真;名残を惜しむ蝋梅)