蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

絶滅危惧種

2008年05月15日 | つれづれに

 快晴の空から注ぐ陽射しが、瞼の裏にオレンジ色のぬくもりを滲みこませて来る。庭先に寝そべって、心おきなくぬくもりに身を浸す。時折吹き過ぎる緑の風が、イルカを提げた金属とガラスのウインド・チャイムを「キン!……チリン!」と鳴らし、誘われたように雀の声がかぶさってくる。巣作りを終えたカササギも大人しくなり、ウグイスもシジュウカラも山に帰った。そういえば春たけなわの頃、数年ぶりに石穴神社の夜の杜で啼くふくろうを聴いた。まだ自然が身近に息づいている終の棲家である。

 連休明けの新聞にこんな記事を見つけた。「昆虫少年こそ絶滅危惧種だ。」かつて、夏休み後の教室には、昆虫の標本が必ず持ち込まれていた。しかし、最近は敬遠されて「こんな虫を捕った」ではなく「持ってるんだぞ」と、買った虫を自慢するのが主流という。年間100万匹を超える昆虫が輸入されている。それを買って自慢する子供達、買って与えて満足する親達……これで一体どんな情操が育つというのだろう。
 「昆虫少年の成れの果て」と自嘲しながら、やっぱり寂しいと思う。比較的短い昆虫少年だったし、科学的というより情緒的に虫と接していた。それでも、自分なりの「これは僕の樹」というクヌギの樹を里山の木立ちの中に隠していた。夏の一日、その樹液に群がるアゲハや、ヒカゲチョウ、ヒョウモンチョウ、クワガタやカブトムシ、眩しく輝くアオカナブン、精悍に幹を回り込んでくるクロキマワリ、時にはスズメバチやムカデまでが樹液に群がっていた。その頃巡り合った、背中に4つの紋を背負うヨツボシケシキスイは、ベニシジミと並び、私の好感度上位にいる昆虫である。
 中学生の頃、晩冬の太宰府政庁跡の道端で、スカンポの葉裏で冬を越すベニシジミの幼虫を見つけた。淡い緑にひと刷けピンクを置いて、身を縮めながら春を待っていた。小さな身体でありながら、雪に埋もれ半ばシャーベット状になりながら冬越しをする逞しさは驚異だった。やがて、スカンポの株ごと採取し、庭先で蛹になり、羽化して大空に飛び立つのを見送るのが私の楽しみになった。その頃、既に「虫を殺せない昆虫少年」になりつつあった私は、やがて専らカメラを担いで虫を追うことで満足する、変な昆虫少年に変容していった。

 地球上で最も個体数が多い生き物は、実は昆虫である。人間一人当たり、昆虫3億匹というから(誰が数えたんだろう?)、その個体数は60億×3億……もう、天文学的数字で、ゼロを数える気力もなくなる。それほど身近な昆虫達に興味を示さなくなった少年達、「絶滅危惧種」……山口県・萩博物館の嘱託職員椋木博昭さんの言葉である。
 造物主のノートには、すでに人類そのものが「絶滅危惧種」と記されているのかもしれない。いやいや、造物主は最早危惧さえしてはいないのではないか、としきりに思う昨今ではある。ホモ・サピエンスと言っても所詮浅智恵と傲慢の生き物、野放図に殖え驕り、ガイア・地球をほしいままに蚕食し、資源を食いつぶして、温暖化、気候変動、食糧危機、天災と見えて実は全て人災の数々……今更、サミットで排出ガス規制をしても、もう環境回復の折り返し点は過ぎているというのに、笑止千万。大地がひと揺すりしただけで、数万の命が喪われていく。大繁殖した生物は、やがて大絶滅時代に突入するのは必然。人類は、既にその坂道を転げ落ち始めたように思われてならない。

 そんなことを心に去来させながら、今日もさしあたり「日々是好日」、花盛りの庭先に寝そべって、初夏の陽射しを全身に浴びて猫になっている。
           (2008年5月:写真:アツモリソウ)

皐月の空に

2008年05月11日 | つれづれに

 ゴールデンウィークの喧騒が去り、さあ年中連休の年金族の天下が還って来た…と張り切った矛先を捻じ切るように、「母の日」を前に戻り寒波の冷たい雨が軒を叩いた。

 連休の間、例によって沖縄・座間味のダイビングに備え、庭にサマーベッドを持ち出して、五月晴れの陽射しを浴びながら甲羅干しを楽しんだ。6月末の梅雨明けの沖縄は、まだ梅雨真っ盛りの本土の若者が動き出す前の穴場の時期である。航空券も宿の手配も済んだ。ハワイでのダイビングを経て、アメリカから帰って来る娘夫婦からも、「手配完了!」のメールが届いた。いきなり真夏の沖縄の海に肌を曝すと、苛烈な陽射しがひどい日焼けをおこし、とんでもないことになる。この時期の甲羅干しは、座間味に出かける私の「下焼き」という恒例行事なのだ。
 スキューバ・ダイバーのライセンス・カードを繰り返し取り出して眺めながら、心はもうエメラルド・グリーンの座間味の海に飛んでいた。

 「母の日」の夕方のNHKニュースで、驚愕の数字を見た。アメリカでの18,000人の主婦に対する調査である。家事・育児の労働を賃金に換算すると、年間1,200万円に相当するという。月収100万円……5ヶ月のボーナスがあると仮定しても、月70万円を稼いでいる男が、一体どれだけいるというのだろう。貧しい日本の殆どの亭主は、主婦の家事・育児に見合うだけ働きをしていないことになる。これは、ショッキングなデータだった。

 たまたま縁あって、太宰府市の「男女共同参画審議会」の委員を仰せつかっている。請われて、来週その関連団体の総会で40分の卓話をすることになっているが、これは格好のネタである。数百年の間、男の物差しで作られて来た社会や企業に大きな転機が訪れ、全国の自治体で相次いで「男女共同参画推進条例」が作られた。理念として充分納得しながらも、私達の世代は朝早くから夜遅くまで働きに働くことを美徳とした価値観・文化の中で生きてきた。「企業戦士」という言葉には、それなりの男の誇りと悲哀がこめられている。
 男としての言い分がない訳ではないが、時世の流れに逆らうのは所詮蟷螂の斧。家事・育児を家内任せにして来た後ろめたさに苛まれながら、まるで遅れ馳せの罪滅ぼしのように、条例の推進に微力を尽くしている。しかし、遅れ馳せでも、気付く機会を与えてもらえたことを寧ろ感謝しよう。

 確かに条例は出来た。しかし、数百年の歴史が一朝一夕で覆ることは望むべくもなく、まだまだ啓蒙の時間がかかることだろう。おそらく、言葉だけが先行するままに、やがて私達の世代は「後期高齢者医療制度」という姥捨て政策の中に埋め込まれていくのだろう。(民の痛みを知らない暗愚な為政者が考え出し、説明責任も果たさぬままに打ち出した近来稀に見る悪の法令である。絶望感さえ漂う昨今の利権・金権に奔走する政治屋の愚挙・暴挙。清廉潔白な真の政治家は、果たして何人いるのだろう。……滅びを加速する政治の貧困である。)
 こんな愚痴を言い出すこと自体が、後期高齢者への急坂を転げ落ちている証かもしれない。(呵呵)

 そんな人間の愚かさを他所に、今年も庭の隅々に小さな踊り子の群舞が始まった。例年になく緑の繁茂が速く感じるのは気のせいだろうか。雨上がりの五月晴れに、山がぐんと迫ってきた。飛行機雲がよく似合う「母の日」の空である。
              (200年5月:写真:ユキノシタ)