蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

過ぎ去れば一瞬

2007年04月24日 | つれづれに

『 ……区長さんへ
 区長さんは、私が一年の時からいらっしゃいました。区長さんといた5年間は、たくさん思い出があります。一年生の時は人数が少なかったし、私が一番下でした。でも、子供会は区長さんがとっても優しかったので、とてもやりやすかったです。それから、虫のことや花のこと…いろいろ教えて下さいました。私は、区長さんが教えてくださったことに色々興味を持ちました。
 あれから五年がたち、私は最上級生の六年生になります。六年は子供会の仕事がいろいろあります。そして、何よりリーダーです。リーダーとして湯の谷西子供会をまとめるのが、一番大変です…(汗)。でも、だからこそがんばりたいです。「平成おもしろ塾」もとっても楽しかったです。ありがとうございました。(M) 』

 6年間の地域奉仕…自治会長・区長・公民館長・太宰府天満宮伝統文化振興会役員の任を降りた。
 任期満了の3月31日、子供会の歓送迎会の席に招かれ、子供達から感謝状と花束をいただいた。前例を作りたくないから自治会からの感謝状は固辞したのだが、思いがけずいただいた子供達からの感謝の言葉と花束は感動的だった。鼻の奥にツンと走るものをこらえながら、子供達の言葉を受けた。
 冒頭に掲げたのは、こっそり渡してくれた一人の女の子の手紙である。小さな一年生だった子供が、こんな優しい言葉を贈ってくれるまでに成長している……それは、6年間微力を尽くしてきた私にとって、何ものにも変え難い輝く勲章だった。
 町内のお年寄りの知恵を借りて、夏休みの三日間、お手前、大正琴、お習字を習う「夏休み・平成おもしろ塾」を開いたのは2年目の夏。毎回特別授業として、虫の話をするのが塾長の私の楽しみだった。開講中に偶然公民館前の畑でカマキリの脱皮を見つけ、予想もしない野外授業となったこともある。日々の多忙の中にもう忘れてしまったことを、子供達はしっかり覚えていてくれる…それは、嬉しい驚きだった。
 ボランティアは制度ではないし、組織でもない。ましてお金ではない。一人ひとりの小さな気働きの積み重ねこそ、核家族化し、二人暮らし、あるいは独居されるお年寄りにとって、かけがえのない命の綱ではないのか…そんな思いから、毎月公民館を開放し、自由にお喋りと笑いを楽しむ「井戸端サロン」も立ち上げた。
    一日中 言葉なき身の淋しさよ
        君知り給え 我も人の子 (高橋 チヨ 103歳)
 この歌を新聞紙上に見た時の衝撃が忘れられない。

 自治会年次総会を終わり、全てを後進に委ねて山にはいった。夜更け、宿の広い露天風呂を独り占めして満天の星を見上げながら、忙しかったけれど充実した6年を想った。注がれる湯の音だけが夜のしじまに溶け、たゆたう湯煙の中に静かな、そして限りなく満ち足りた時間が過ぎていく。もう4月半ばというのに、時ならぬ雪が峰々を覆い、阿蘇山頂は28センチの積雪。標高1000メートル近いこの宿の軒下にも、解け残る雪の塊が真っ白に光っている。
 一夜明けて訪れた男池(おいけ)の畔で、いつもながらの山野草の花々が迎えてくれた。これからが本当の余生……そんなことを考えながら、構えたカメラのファインダーの中に広がる大自然の息吹を楽しんでいた。
        (2007年4月:写真:ハルトラノオ)