蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

暑気払い

2021年06月28日 | 季節の便り・虫篇

 一瞬、加齢による耳鳴りかと思った。甲高く、それでいて地を這うような音が「チ~~!」と続いていた。晴れるとも曇るともない中途半端な梅雨空から雪崩落ちる湿った暑熱の下を庭に出てみたら、音の源は少し生い繁り過ぎたキブシの葉陰だった。  
 「そうか、ニイニイゼミか!」
 昨日、宵闇が木立の間に蹲り始める7時半過ぎ、石穴神社の杜からヒグラシの初鳴きが届いたばかりだった。去年により2日早い初鳴きだった。その翌日、負けじとばかりに空気を震わせたのがニイニイゼミだった。

 大学時代に、なぜか好きになった童謡がある。「夕方のおかあさん」という。(作詞:サトウ ハチロー:作曲:中田喜直)
   カナカナぜみが 遠くでないた
   ひよこの かあさん 裏木戸 あけて
   ひよこを よんでる ごはんだよォ~
     ・・・ごはんだよォ
   やっぱり おなじだ おなじだな

 ヒグラシは、日本を含む東アジアに分布する中型のセミで、朝夕に甲高い声で鳴く。その鳴き声からカナカナ、カナカナ蟬などとも呼ばれ、漢字は蜩、茅蜩、秋蜩、日暮、晩蟬などがあり、俳句では秋の季語にもなっているが、実は梅雨半ばの今頃から、ニイニイゼミと初鳴きの先陣争いを始めるセミである。
 秋が深まる9月中旬まで朝夕薄明の中で鳴くヒグラシは、少し哀愁を漂わせて如何にも秋の季語に相応しい。「日を暮れさせるもの」としてヒグラシの和名がついた。
 蜩という漢字にふと惹かれる。この漢字は「チョウ」または「ジョウ」と読み、蝉の総称という。また、「虫と周」でセミの声を真似たテウ、デウという擬声語とあり、昔中国人はセミの鳴き声をテウ、テウと聞き取ったことに由来があるらしい。今は中国ではセミの鳴き声は「知了(チーリャオ)」という。

 好きな作家・葉室麟に「蜩ノ記」という時代小説がある。第146回直木賞受賞作である。
 「豊後羽根藩の城内で刃傷騒ぎを起こした檀野庄三郎は、家老・中根兵右衛門の温情で切腹を免れたものの、僻村にいるとある男の監視を命じられる。その男とは、7年前に藩主の側室との不義密通の罪で10年後の切腹と家譜の編纂を命じられ、向山村に幽閉されている戸田秋谷だった。秋谷の切腹の日まで寝食を共にし、家譜の編纂を手伝いながら秋谷の誠実な人柄を目の当たりにするうちに、庄三郎は秋谷に敬愛の念を抱き、次第に秋谷の無実を確信するようになる。やがて庄三郎は、秋谷が切腹を命じられる原因となった側室襲撃事件の裏に隠された、もう1人の側室の出自に関する重大な疑惑に辿り着く。」

 「蜩」という言葉がよく似合う深みのある小説だった。

 粘りつくような31.3度の暑さの中で、昼下がりのニニイゼミを聴いていた。カミさんが、暑気払いにお茶を点ててくれた。太宰府天満宮の参道にある「梅園」という店で売られている「宝満山」という知る人ぞ知る大宰府の銘菓が、お抹茶を引き立てる。
 太宰府天満宮の裏に聳える800メートルあまりの修験者の山に名前を由来し、優しい甘さに包まれた品位溢れる銘菓である。3度登ったら馬鹿と言われるほど石段が続く厳しい山に、若いころ30回近く登っているが、その程度では自慢にもならない。毎日登る人もいるし、3000回踏破を誇る人がいたりする。これはもう、憑かれているとしか言いようがない。

 梅雨前線がまた南に下った。
                         (2021年6月:写真:暑気払いの一服)

無念無想

2021年06月22日 | つれづれに

 霜枯れから守るために、冬の間広縁に避難させていた月下美人を、春から初夏の間はしっかりと日差しを浴びさせる。そして苛烈な油照りの真夏は、日焼けを防止するために、梅の木の下の半日蔭に置く。
 待っていたように、今年もアマガエルが葉の上に鎮座した。このところ、毎年のように現れて、月下美人の葉の上で雨を待っている。指で触れても煩わしそうに半眼をわずかに開くだけで、再び瞑想に入る。

 嫌な日々が重なっていく。一喜一憂ならまだしも、一怒一憤にも疲れてきた。泰然自若・我関せずのアマガエルの姿勢が、心底羨ましいと思う。
 早すぎた梅雨の動きが読めない。平年なら明けるはずの沖縄に、梅雨前線が傲慢に居座り、北部九州は真夏の先取りが続いている。昨日の最高気温は33.4度!アマガエルもしんどかろう。
 かつて、沖縄・慶良間諸島の座間味島にダイビングに行くのは、このタイミングだった。本土は梅雨真っ盛りで、旅行気分も盛り上がらず、7月に入れば大学生が夏休みで動き始める。梅雨明けとともに入道雲が沸き立つ6月20日から月末までの10日間が、エメラルドグリーンの海を独占できるベストシーズンだった。もう一度最後に、と思っていたが、コロナが妨げた。訪れること自体が、島の人たちに迷惑をかけることになる。もう、あの海で海亀と戯れることもないだろう。悔しく、寂しく、アマガエルの心境には及ぶべくもない。

 やっぱり!という結論だった。観客を入れてオリンピックをやるという。すべて、見え見えの結果である。50%以内で最大1万人という。×会場数×試合日数という計算が、奴らには出来ない。しかも、他府県からからの観客もOKという。矛盾だらけの政治(利権)決定に、もう勝手にしやがれという気分である。
 しかも、大口スポンサーが専売権を持つビールの販売を認めるらしいという噂まである。こんな会社のビールはもう飲まない。馬鹿な大臣が何をほざく!!

 西日本新聞特別論説委員井上裕之氏の「風向計」というコラムに、すべて言い尽くされていた。『「3密」と「3無」の病理』という文章から、一部引用する。
 ――無原則、無思想、無責任――かつての指導者の病根が「3無主義」にあるという。コロナと向き合う長期戦略の要諦は「3密」(密閉、密集、密接)の回避と、永田町に巣くう「3無」の排除。こう整理するとすっきりする。――

 ここで指摘されている「かつての指導者」とは、太平洋戦争を推し進めた軍事指導者のことである。
 ――日本の軍事指導者に、長期戦略はなかった。兵たんや補給を軽んじ、作戦一辺倒。最後まで小状況にこだわって大状況を見ず、国民の命を軽視して戦争に敗れた。この病理を忘れてはならない。――
 ――東京五輪の「開催ありき」で突き進む菅義偉政権の姿を太平洋戦争に重ねた考察だ。人類とコロナウイルスはいわば戦争状態にある。それに打ち勝って五輪を開催するにはウイルスを封じ込める確たる戦略が必要なのに、それがない、というわけだ。――

 背筋が寒くなるような一文だった。とんでもないしっぺ返しがあるような気がする。「五者協議」の正式決定というが「愚者協議」の間違いだろう。愚者を何人集めても、愚かな結論しか出ない。そして、最後に命を奪われるのは彼らではない。いつの世でも、振り回される無辜の国民なのだ。
 とても、アマガエルのように無念無想でいるわけにはいかない。

 明日は、沖縄「慰霊の日」――
                      (2021年6月:写真:雨蛙の瞑想)

コロナ・ワクチン顛末記

2021年06月11日 | 季節の便り・虫篇

 昨日の33.9度の炎熱が嘘のように、戻り梅雨の雨が降りしきり、気温は26度まで下がった。

 24時間が経過した。夕方頃から接種痕の周り掌サイズの範囲が重く痛み出し、今朝がた、いつもの早朝ストレッチで腕を上げるのがつらいほどの痛みとなった。しかし、36.3度の平熱であり、倦怠感もない。重く曇った空からは、今にも雨のしずくが零れそうだが、気にせずに歩きに出た。日の出が早くなり、今までの時間帯では日差しが当たって汗になるから、昨日から6時にウォーキングに出ることにしている。
 午前中の重い痛みが、24時間過ぎるころには殆ど軽減し、夜には治まりそうな様子である。インフルエンザ・ワクチンでも腕が腫れ上がり、時には熱発することがあるカミさんも、まだ痛んではいるがひどくはなっていない。今朝方、36度8分あった微熱も落ち着いた模様である。心配していたコロナ・ワクチン接種の副反応は、こうしてさほどのこともなく通り過ぎていこうとしている。

 5月18日夕方、郵便で届いたワクチン・クーポン、開封するなりパソコンを立ち上げWEBを開き、10分足らずで予約を取った。その日が昨日、6月10日木曜日の14時30分~15時だった。
 茹だるような炎天下、近くのドラグストアの駐車場に車を置いて、会場に向かった。廃業した元スーパーに間仕切りして、誘導看板と床に描いた矢印で、2階の接種会場まで誘導される。ニュースで見た首都圏など大規模接種会場の大行列に不安があったが、人っ子一人いない誘導路に、少し拍子抜けする。エレベーター下に係員が一人いるだけで誘導され、2階の受付に立った。手前半分のブースに並べられた椅子は30脚ほどであり、多分30分刻みで30人が予約数なのだろう。整理番号37番をもらって椅子に掛けた。
 10分ほどで呼び出しが始まる。31番からの呼び出しだった。多分、私たちの前の組、14時からのグループが1番から始まったのだろう。5分も待たずに37番が呼ばれ、係員の前で検温、クーポン確認、問診票チェック、マイナンバー・カードを示して身分確認が終わると、バインダーを抱えて別室に誘導される。並んだ椅子に座る間もなく個室に導かれ、医師による問診表のチェックが1分で終わる。
 念の為「発熱した場合は、すぐ解熱剤を服んだ方がいいのでしょうか?それとも、自然に下がるのを待った方が、ワクチン効果が上がるのでしょうか?」と問うと「38度超えるようなら、解熱剤を服んでかまいませんが、掛かり付け医に相談してください。そのままでも、熱は数日で下がりますから心配ありません」と明快な返事が返ってきた。
 再び誘導路に導かれて別室に移り、ここも座る間もなく個室に招かれて、女医さんか看護師か、若い女性の前に横を向いて座り、あっという間に左腕肩に近い辺りにワクチン接種が終わった。

 誘導路の矢印に沿ってさらに別室に進む。指示された番号の椅子に坐り、15分間の待機となる。バインダーの書類には、「接種時間:14時37分、経過観察所の座席番号19番、14時52分まで経過観察所で待機してください。時間になりましたら退室してください」と記載されている。 
 待つ間に係員が回ってきて、2回目の接種予約を取ってくれる。原則、3週間後の同じ曜日、7月1日の14時30分に予約可能だが、少しひどくなるかもしれない2回目の副反応に備え、カミさんの予約時間より3日後の4日日曜日の9時30分に予約させてもらった。係員も、「お二人同時より、その方がいいと思います」と言ってくれる。
 退室して外に出たら、まだ15時前だった。30分足らずで全てを一瞬の滞りもなく進めた手順に感服して、安心感・信頼感が一段と増した。お風呂もよし、お酒も適量ならよしと、インフルエンザ・ワクチンより制約が少ないのもいい。

 Y農園を営む友人から、1枚の写真を添えて「これは何ですか!?」というLINEが届いた。初めて見る虫だった。頭の鮮やかなピンクが、輝くように美しい!中学生の頃から好きだったイタドリハムシにも似ている。ハムシの一種と思ったが、気になって九州国立博物館のボランティアをやっていた頃に世話になったYさんにメールで送った。虫の知識は半端なく、「昆虫博士」と私が名付けた女性である。
 一発で返事が返ってきた。オオキンカメムシだった!この歳になっても、初めて見るものは嬉しい!夕飯後のひと時、痛み始めた腕も忘れて、綺麗な姿に見入っていた。
                      (2021年6月:写真:友人が撮ったオオキンカメムシ)

《追記》  翌朝、腕の痛みは完全に治まっていた。


大火砕流の記憶

2021年06月03日 | つれづれに

 30年前のその日、私は長崎県南をエリアとする長崎支店長の任にあった。

 諫早市との中間にある卸団地の支店から、部下の課長の運転で南に下り、橘湾沿いの崖路を愛野に抜け、ジャガイモ畑を左に見ながら島原半島に下った。定期的に繰り返している、取引先(家電店)の巡回だった。
 南有馬の店主夫人と暫く語らい、やがて島原市に近づいた頃、左手遥か遠くの雲仙普賢岳中腹から、一筋の細い煙が立ち上っていた。運転する課長に、「まさか、噴火じゃないよね?」と冗談交じりに話しながら、島原市内に走り込んだ。

 普賢岳噴火のニュースが流れたのは、その1週間後だった。たまたま予言したような結果になった噴火だった。1990年(平成2年)11月17日、二つの噴火口から熱水が吹きあがる程度の小さな噴火で、やがて収まると思われていたが、翌年2月12日に再噴火、4月3日、9日と規模が拡大、5月15日に最初の火砕流が発生した。
 5月20日、粘性の高い溶岩が噴きあがり、火口周辺に不気味な溶岩ドームが膨れ上がった。やがてドームが4つに割れて崩壊、さらに噴き上げる溶岩に押されて、火山ガスと共に一気に時速100キロの猛スピードで山腹を駆け下る大火砕流となった。
 6月3日、戦後初の大規模な火山災害として、43名の死者・行方不明者を出す惨禍を生んだ。火砕流に加え、水無川流域に巨岩を転がす土石流が多発、一層の被害をもたらした。

 その間何度も島原を訪れていた。車を停めて、4キロほど向こうの山腹を下る火砕流を見上げていた橋が、1週間後には土石流に呑まれ、新築したばかりの取引先の自宅も破壊された。
 家電メーカー会で、確か3億円規模だったと思うが、被災地の支援を当時の鐘ケ井島原市長に届けたこともあった。
 後日、カミさんと娘を載せて普賢岳の仁田峠に向かう途中の展望台で、噴き上がった噴煙に追われて車に逃げ込み、山道を駆け下ったこともあった。
 
 昭和天皇の崩御、平成年号の始まりとともに始まった長崎支店長の在任3年と10日、単身赴任の自炊生活を終えてやがて福岡に戻ったが、在任中の数々の思い出の中で、今も忘れ難い重い記憶である。
 手元に、持ち帰った拳大の噴石がある。アメリカのデスバレーの砂丘の砂と並んで、飾り棚の奥でひっそりと30年の時を刻んでいる。

 追悼の記念式典が開かれた今日、梅雨の雨が激しく降りしきっていた。老いた鐘ケ井元市長の姿に、胸が痛んだ。
 
 平成も令和に替わって既に3年目、世界中が「疫病」という自然災害に翻弄され続けている。2ヶ月遅れたワクチン接種に追い込まれている中で、民意を黙殺して、まだオリンピックにしがみついている総理、都知事、オリンピック委員会の何と無様な姿だろう!女性3人を中心に祭り上げているのも、所詮「人柱」にしか見えない。気持ちの中では既に、オリンピックそのものが災害になってしまいそうな哀しみがある。
 命の尊厳さえ見極められない支離滅裂の政府の愚策に、もう怒る気力さえ失われつつある。政府の「しっかりと」とは、「何もしない」という言葉と同義語であろう。

 梅雨本番から末期にかけての豪雨災害が、もうそこまで迫っている。梅の古木の下を舞う梅雨の蛾・ユウマダラエダシャクが、今日も雨を呼び寄せていた。
 ワクチン接種まで、あと7日―--。
                      (2021年6月:写真:雲仙普賢岳の噴石)