蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

せせらぎ、木漏れ日、冬木立

2021年12月23日 | つれづれに

 冬至が明けた翌朝、2.2度の寒風が早朝ウォーキングの手をかじかませた。皮手袋を通して、シミシミと冷気が浸み込んでくる。有明の月が残る空はまだ明けやらず、ペンライトで足元を照らしながら、いつものコースを歩き、息弾ませて石穴稲荷の門前に手を合わせた。一日の息災を願い、お狐様が咥えた巻物を指でスリスリして、また坂道を下っていく。

 母が、「冬至が過ぎると米一粒ずつ日が長くなる」といつも言っていた。その母が逝った歳を、あとひと月足らずで超える。よくもまあ、この歳まで生きてきたと、無量の感がある。
 「一陽来復」――去っていた陽の気が、再び帰ってくる――易(陰陽思想)に由来する言葉が、今年ほど待たれたことはない。「冬が終わって春が来る」という解釈にはまだ実感がないが、「悪いことが暫く続いた後に、良いことが起こる」という解釈にしがみつきたい思いがある。コロナ禍のオミクロン株が不気味に蠢き始めた師走、祈る思いで「一陽来復」という言葉にしがみついている。

 早朝のストレッチとウォーキングを欠かさないものの、コロナ籠りで足腰の弱りへの不安がある。それを払拭したくて、今年最後の「野うさぎの広場」散策に出掛けた。
 暖かい冬晴れの午後になった。この後に、今冬最大のクリスマス大寒波が迫っている。大宰府の26日、最高気温3度、最低気温氷点下1度、27日には氷点下2度の予報が出ている。「一陽来復」には、まだまだ程遠い年の瀬である。

 猛暑と長雨に苛まれて体調定まらず、半年以上の御無沙汰だった。九州国立博物館への89段の階段を上り、脇を抜けて四阿沿いの散策路を辿った。イノシシの狼藉が、もう住宅地の傍まで迫っていた。道路一本隔てるだけという野性とのせめぎ合いに、どこか喜んでいる自分がいる。もちろん、私は野性の味方!

 仄暗い杉木立の下草は綺麗に刈り取られ、浸み出る水が小さなせせらぎを聴かせてくれた。風もなく、打ち合う竹林も音を潜め、時折キュルキュルと鳴く小鳥の声だけの静寂だった。イノシシ除け(実は、若い恋人たちの木立の中のふれあいの邪魔をしないための接近警告の)カウベルをリンリンと鳴らしながら、100段余りの急勾配の階段を登り詰める。

 登り上がった車道から、寒椿の真っ赤な花を見ながら左に折れて山道に入った。「野うさぎの広場」への散策路は、冬枯れの下に枯れ枝や落ち葉、イノシシの狼藉、ペットボトルや空き缶で荒れ果てていた。散らばっていたマイ・ストックの枝3本を元の場所に立てかけて、さらに山道を辿る。久し振りの山歩きだから、今日は念のためにLEKIのストックを伸ばして持参している。
 時折、鮮やかな色を残したムラサキシキブや、真っ赤なヤブコウジが迎えてくれた。春、小さな握り拳を振り上げていた羊歯が、大きく育って山道に覆い被さっていた。

 息が上がることもなく、足がよろけることもなく、無事に「野うさぎの広場」に辿り着いた。冬木立から広場に落ちる木漏れ日は、限りなく優しかった。マイ・チェアと定めている切り株に腰を下ろし、カフェラテのミニボトルで喉を潤した。かすかな風が包み込むように過ぎて、肌を湿らせていた汗の火照りを冷ましていく。ヤシャブシの棘々の実は、今年も健在だった。時に、イノシシや野うさぎを見掛けるこの広場が、私の一番お気に入りの秘密基地である。
 何度この広場で豊かな時を重ねたことだろう!時にはシートを敷いて横たわり、眩しい木漏れ日を閉じた瞼の裏に温めたり、コンビニお握りを頬張ったりもした。3か月半後、春の日差しを浴びて、この広場は一面青いハルリンドウで覆われる。

 「せせらぎ」、「木漏れ日」、「冬木立」―――好きな言葉を三つ集めて木立に寄りかかりながら、自分なりの今年の「納め」とした。
 納めきれないことの多い一年だが、未練を断ちながら今年のブログも「書き納め」にしよう。
                     (2021年12月:写真:「野うさぎの広場」への散策路)

冬日和

2021年12月11日 | つれづれに

 「これ、お宅用です。唾つけといてください。味わうのは来年、暮れに収穫して届けます」。枝もたわわに下がる巨大な晩白柚を指差しながら、ご主人が笑いかけてくる。
 春には、大変な数の白い花を付けていた。これが全部実ったら、枝が折れてしまいそうな数だった。猛暑と長雨という異常な季節を重ねて自然摘果が激しく、最終的に残った貴重な8個の一つを、我が家用に分けていただくことになった。
 瑞々しい実に加えて、皮で作るマーマレードは美味しく、ロスに住む次女が「料理に使うから送って!」と、毎年首を長くして待っている。

 今年も、残すところ3週間になった。
 「ジャガイモ掘りしましょう」とY農園の奥様から誘われたこの日、午前中の雲も消え、師走を忘れさせるような雲一つない快晴の午後となった。いつも通り、淹れたての珈琲を魔法瓶に詰めて車を出した。
 先日奥様に振舞った珈琲が全く香りを失い、恥をかいた。コロナで訪れる人も減り、買って2ヶ月以上過ぎた豆は無残だった。行きつけの喫茶店「蘭館」に走った。「香りは焙煎してからせいぜい1か月ですから、少しずつ買われた方がいいですよ」と勧められ、いつものモカ・バニーマタルを半分の100グラム求めた。3か月前から8%ほど値上がりしていた。「輸送コスト上がっているし、モカは紛争地帯の産ですから、もっと品薄になって値段も上がり、貴重品になるかもしれません」
 15年ほど前に絶妙な酸味と苦みのこの豆に巡り合ってから、多分7割ほど高くなっている。アラビア半島内陸・標高2000メートルのバニーマタル地方の段々畑で採れるモカ珈琲であり、アラビア語で「雨の子孫たち」を意味するという。

 師走というのに眩しいほどの日差しが降り注ぎ、持ってきたコートもジャンパーも車の中に置き、さらに羽織っていたセーターも脱いで畑に蹲った。モンシロチョウや蜂が黄色い菜花に舞い遊び、早くもホトケノザがあちこちに群れ咲いている。300坪のこの畑は、既に早春の佇まいだった。

 掘り上げた「デジマ」という品種のジャガイモは圧巻だった。ご夫妻が鍬で掘り上げた土の中から、カミさんと私はただ拾い上げるだけである。真っ白な肌は美しく、大きいものは拳大もある。ひと畝掘り上げるのに15分もかからなかった。9月の初めに植えた2キロの種芋が、3つの籠に大中小と仕分けされて溢れるほどの収穫である。
 土が乾くまでが、楽しい珈琲タイムになった。

 ジャガイモ、蕪、春菊、ホウレンソウ、菜花、レタス、サツマイモ、菊芋――太っ腹な奥様からのお土産がどんどん増えていく。地区公民館の要職にあるご主人は、途中から下校時間の子供たちの見守りの為に、青パトの巡回に出掛けられた。

 豊かな夕飯になった。ご飯を半分にして、大きなジャガイモを一個ずつジャガバタにする。濡れたキッチンペーパーで包み、さらにサランラップでくるんで、600Wの電子レンジでおよそ10分、ほくほくのジャガバターを主食にした。いただいたホウレンソウと春菊の胡麻汚し、採りたての柔らかい蕪の味噌汁など、畑の実り溢れる夕飯だった。
 この日、大宰府の気温は18.3度、県下2番目の暖かさだった。

 「紅白歌合戦」の顔ぶれに、もうついていけない。次第に遠くなる昭和を偲びながら、残る3週間の年の瀬を過ごすことになる。来るべき年に、きっといいことがあると信じながら、新たな命が芽ぐむ春を待ち続けよう。
                       (2021年12月:写真:畑の収穫)