蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

鵺(ぬえ)が叫ぶ!

2020年02月27日 | つれづれに

 事態は、悪い予感の方に転がり始めた。
 「世界保健機関(WHO)は26日付の状況報告で、昨年12月に中国湖北省で新型コロナウイルスの感染が報告されて以来初めて、1日当たりの新たな感染者数で中国国外の合計が中国を上回ったと発表した。WHOによると、アジアと欧州を含むユーラシア、アフリカ、北米、南米、オーストラリアの5つの大陸で感染が判明した。」
 オリンピックの五輪に重なる規模である。罹患者や死者の数から言えば、インフルエンザの方が遥かに大きな疾患である。ただし、インフルエンザには治療薬がある。対症療法しかなく、しかも陰性になった人が再び陽性化する例も出始めた。得体の知れない未知のウィルスへの恐怖が、「亡びの笛」を聴くような不気味さで心に忍び寄る。

 遂に松竹が動いた。歌舞伎座が3月10日まで休演。国立と名が付く施設は、すでに昨日の時点で全て閉館した。九州国立博物館も、3月15日まで閉館。国立劇場、然り。明治座も10日まで休演と決まった。13日、14日で取っているチケットは、まだ一抹の可能性を残しているが、多分駄目になるだろう。2週間で終息の道が見えてくるとは、とても信じ難い。
 博多座も、今日の昼の部を最後に、海老蔵公演が休演となった。最後の昼の部に出掛けたカミさんは幸運だった。
 危機感の希薄さから初動を誤った政府が、今になって慌て始めた。「この1~2週間が非常に重要な時期である!」と安倍が叫び(これも、専門家や官僚の言葉をオウム返しに読み上げているだけで、どこまで事態の深刻さをわかっているのか……??)、イベントなど多数を集める会合の開催「自粛」を求め、今夕突然、全国の小中高校の臨時休校を「要請」した。働いている親は子供をどうすればいいのか、具体的なサポートの政策はない。肝心なことは、民間や個人の判断に「丸投げ」の姿勢は変わっていない。社会活動の歯車が軋り、回転が狂い始めている。

 時間の問題と思っていた劇場にも、とうとう(やっと?)手が付いた。「3月10日まで休演」というのは、まさに「2週間」である。これを「忖度」に期待した「要請」と取るか、権力による「恫喝」と取るか、いずれにしろ「決して自己責任を取らない政府」は、きっと幾つもの「命じたわけではない」という「言い逃れ」の道を用意していることだろう。
 隠蔽、虚言、偽装、改竄、恫喝……何でもありの今の政府である。その権力の頂点に、一匹の醜い鵺がいる。これほど厚顔無恥、傲岸不遜な男を権力の頂点に置いていることこそ、日本の最大の不幸ということが出来るだろう。「アベノミクス」は、「アベノリスク」を経て、今や「アベノウィルス」と化した。シンゾウの心臓には、毛が生えるどころか鋼の柱がそそり立っている。
 誰一人諫言する者もなく、次の大臣職を期待して卑屈に尻尾を振る駄犬ばかりの集団に、国民は何を期待すればいいのだろう?
 しかし、そんな「政治屋」を選んだのも国民である。自ら吐いた唾が、不気味なウィルスを伴って天から降ってきた。
 
 南極を除く五大陸に拡散した悪性ウィルスなのに、発症元の中国から一言の詫びもない。「抑え込んでいる」という手柄顔の自画自賛の言葉ばかりが届く。しかも、北京への逆輸入を防ぐ為に日本と韓国からの入国者を2週間隔離するという。此処にも、独裁者の身勝手な「保身」がある。中国、アメリカ、ロシア、日本……民主主義とか共産主義とか言いながら、結局は独裁的権力者が国をほしいままにしている。「多数決」という民主主義を都合よく利用し、「数の原理」で押し切って、憲法さえも歪めて恥じることがない。本来、「少数の意見を尊重する」というのが、民主主義の原点ではなかったか?

 「もう、日本全国家籠もりだね!」とカミさんがぼやく。中村屋一家の舞台を期待していた明治座が遠くなり、気持ちの捌け口がないのだろう。大丈夫、勘九郎も七之助も逃げて行きはしない。いつかコロナウィルス騒ぎは終息するだろう……多分!?……きっと!?!?
 オリンピックも?……それはわからない。こんな日本に、いったい誰が来たがるだろう。

 365日自宅待機可能な年寄りの、虚しい愚痴である。
                  (2020年2月:写真:中村屋家紋「隅切銀杏」)

註:鵺(ぬえ)とは、近衛天皇の時,源頼政が禁中で射落としたという怪獣。頭はサル,体はタヌキ,尾はヘビ,四肢はトラで,トラツグミに似た陰気な声で鳴くと《平家物語》にある。転じて正体のはっきりしないさまをいう。(2)トラツグミのこと。

濃厚接触

2020年02月26日 | つれづれに

 今年の流行語大賞の筆頭に躍り出るであろう言葉である。初めて耳にした時には、ちょっと隠微な響きさえあった。
 コロナウィルス性肺炎の拡大が止まらない。無能な政府が対応を国民に丸投げし、首相以下責任回避と保身に汲々として、その醜さは目を覆うばかりである。面白いニュースを見た。国会議員は、先輩の目を気にして議事堂でマスクをしていないという。真っ先に、ここで集団感染が始まればいい……そう言いたくなるほど、ニュルニュルと蚯蚓のように言い逃れする国の対応は無様である。しかし、国民にとっては、無様では済まないのだ。
 国会は、官僚が書いた文書を読み上げるだけの「朗読劇」という名の「茶番劇」である。
 過剰反応し過ぎているのではないかと思う反面、実は世界的パンデミックの前兆で、日本列島はやがて隔離列島として孤立することになるかもしれないという不気味な予感もある。オリンピック開催中止という事態だって十分あり得る。「治療薬がない」という恐ろしさが、すべてを混乱させているのだろう。

 実は、来月半ばに上京して、カミさんお楽しみの明治座と歌舞伎座で芝居を観る予定がある。観劇チケットは既に入手済みである。それも、音羽屋後援会に入っている友人が取ってくれた、前から6列目のプラチナシートである。コロナ如きに挫けるわけにはいかないのだ。ただ、その航空券を手配するのに、実まだ右顧左眄している。こんな時期に「高齢者」が劇場に出かけ、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が停泊する横浜で泊まる。大胆にして無謀?
 「マスクと手洗いで防備するから、大丈夫だよ!」と、カミさんは度胸が据わっている。女は強い!

 閑話休題。

 確定申告に出掛けた。所要時間1分で提出を終え、昨年の医療費84万の見返りとして、15万6千円ほどの還付金を受けることになった。「高齢者」を改めて実感する。郵送やネット申告をしきりに勧められるが、リタイア以来20年間、手書きの申告書を自ら届けに行くのが慣例になっている。慎ましい年金から払う税金である。せめてそれくらいの筋道は踏みたいという、年金生活者としての意地であり、矜持である。

 さて、夜空に、気になるニュースがあった。冬の中天を飾る「オリオン座」のベテルギウスの光が、昨年秋から暗くなっているという。一千万年ほどの寿命のうち既におよそ9割を過ぎ、寿命が尽きて超新星爆発を起こすのではないかと、ネットを騒がせているらしい。爆発すれば、月ほどの明るさで輝いた後、見えなくなるとか。専門家は「それは、明日かもしれないし、数万年後かもしれない」と。(2月21日:西日本新聞「春秋」)

 オリオンは、ギリシャの海の神・ポセイドンの子。オリオンは、海の上でも陸の上でも、同じように歩くことが出来た。海の底を歩いていても、頭が海から出るほど背が高かった。力が強く、太い棍棒を持って、陸の上を歩き、やがてギリシャ一番の猟師になった。
 しかし、次第に自分の力に慢心し、女神ヘーラの怒りを買う。ヘーラが放ったサソリの毒にやられ、オリオンは死んだ。やがて猟師オリオンもサソリも空に挙げられたが、サソリが東の空に上がり始めると、サソリが苦手なオリオンは、逃れるように西の空に隠れてしまう。
 こうして、「オリオン座」は冬の中天を飾り、「サソリ座」は夏の夜空を這うことになって、二つの星座が同じ空を飾ることはなくなった。

「オリオン座」の三ツ星と大星雲を囲む鼓のような4つの星、その中で赤く輝くのがベテルギウス……猟師オリオンが棍棒を振り上げる右肩に当たる。「おおいぬ座」のシリウス、「こいぬ座」のプロキオン、サソリ座」のベテルギウスを結ぶ「冬の大三角」……それは、「オリオン座」とともに、寒夜の庭に立つ私の何よりの慰めだった。

 悠久の太宇宙で繰り広げられる壮大なドラマに比べ、夕立にあったアリンコのように右往左往するこの1ヶ月の人の営みなんて、「小せぇ小せぇ!」
 新型コロナウィルス性肺炎の重症化が心配される「高齢者」は、もう十分に生きて意外に怖いものがない世代でもある。多分、マスクと殺菌消毒ティッシュを懐に呑んで、颯爽と(?)東京に出撃することだろう。
                     (2020年2月:写真:オリオン座と冬の大三角―ネットより借用)


招かれざる客

2020年02月20日 | つれづれに

 時間の問題だとは思っていたが、とうとう福岡でも新型コロナウィルス性肺炎が発症した。高齢者には重症化することが多いという厄介な「招かれざる客」のお出ましである。
 昨日、猿之助の「オグリ」を観て帰った博多座でも、高校生などの団体にキャンセルが出始めたという。スポーツなど、いろいろなイベントの中止が始まった。それは、太宰府でも同じである。此処天満宮の参道は、アジア系の観光客が激減、クルーズ船の寄港も拒否されているが、個人的観光客は絶えない。だから、天満宮参道は当分近寄れない鬼門。
 来月、明治座と歌舞伎座の芝居見物を予定しているが、泊まるのは横浜の長女の家。悩ましい時節である。そのうちに、劇場や映画館の閉鎖もあるのだろうか?

 ダイヤモンドプリンセス号の乗客の下船が始まった。楽しかったクルーズの果てに、長い隔離状態が続いていた。その管理が妥当であったのか否か、巷では喧々諤々。16年前に、夢の豪華船旅だったものが、今では高齢者の最後の思い出作りの様相を呈している。ちょっと悲しく寂しい思いもあるが、それはそれで時代の趨勢だろう。
 下船して自宅に帰った人達、旅行代金は全額払い戻されるらしいが、もう二度と乗りたくない船だろう。陰性のお墨付きをいただいているとはいうものの、当分は肩身の狭い思いが続く。

 今日は、町内の「男の料理教室」。昨夜研ぎあげたマイ包丁を片手に、エプロンとバンダナで武装(?)して出掛けた。献立は、カレーライスと鯛と海老のホイール蒸し……男向きの簡単メニューである。1時間半で出来上がった料理(?)をいただきながらの談笑の席で、自治会長からこんな報告があった。町内の空き家を、中国人の学生が買ったという。たまにしか泊まらないという話だが、時折違う中国人が来ている……ということは、中国人がひそかに営む民泊?武漢で始まった新型コロナウィルス性肺炎は、化学兵器の開発から漏れたという説も、まことしやかに囁かれているとか?
 こんな時節である、噂は尾鰭をどこまでも伸ばしていく。

 アメリカでは、インフルエンザの罹患者が2600万人、死者も14000人も出ているというのに、ほとんどニュースにならない。日本は騒ぎすぎなのだろうか?
 カリフォルニアに住む次女に出したメールに、こんな返事が来た。
 「うん 毎年のインフルエンザの方がよっぽど致死率高いから、新型ウィルス出るたびに大騒ぎする日本政府には???だよ。
オレンジ・カウンティーも感染者数人出てるけど 中国人いるから当たり前だし… 別に全然騒いでなくて… 正直毎年のインフルエンザの方がよっぽど怖い。 断然感染率も致死率も高いから。
 鳥インフルの時も豚の時も…こっちは全然静かだった。今回の日本の大騒ぎっぷり… ちょっとメディアに翻弄され過ぎと思う…
幸いカリフォルニアは車社会だし、インフルエンザ多いと学校もすぐ閉鎖になるから心配しないで。
 ホント、日本に帰らない限り、風邪引くことも全くないし、インフルエンザは毎回予防注射バッチリやってるから」

 暖冬の中に、突然冬将軍が殴り込んだ。17日午前8時27分、初雪である。平年より64日遅く、観測史上最も遅い初雪だった。
 帰りの道を心配しながら車の定期転勤に出かけて、また言われた「もう少し走ってください。バッテリーの傷みが早くなりますから」1年半で走行距離僅か6000キロである。年寄りの下駄代わりの車だから、こんなものだろう。
 一面の雪景色を期待して翌朝を迎えた。既に雲が切れており、夏の山野草の日差し除けに張ったネットの上に、申し訳のようにわずかな残雪が、まるでプラナリアのようにのたくっていた。
 もちろん、初氷もない。蹲に立つ「逆さつらら」の気配もない。

 ふと、夏の炎天への不安が兆した。
                (2020年2月:写真:ささやかな残雪)

終活への助走

2020年02月12日 | つれづれに

 冷たい雨が都市高を渋滞させ、思った以上に時間がかかった。博多駅前の車の混雑は高齢ドライバーにはキツいから、慣れたリバレインの地下3階駐車場に車を停め、マスクをして地下鉄空港線で博多駅に向かった。
 再開発されて以来、2度目の訪問である。オープン直後の大混雑は半端なかったから、太宰府からは何となく遠い存在になり、新幹線への乗り換え以外は立ち寄ることもない。まして、新型コロナウィルス性肺炎が世界的に拡大している最中に、異国の旅人が群れる博多駅は鬼門である。早々に地上に上がり、公証人役場を目指した。

 旧年秋、ふとしたきっかけから市の無料法律相談に出かけ、行政書士の説明を受けた。母を亡くした時、その後始末にカミさんが奔走した。死亡届と同時に預貯金は凍結されるから、あとの手続きが大変なものになる。市役所、母の出身地の区役所、父の本籍地の神奈川県の町役場……原戸籍を取り、相続人の相続放棄手続き、預貯金や土地家屋の始末、公的費用の支払い停止等々、どれだけの時間と手間と費用が掛かったことだろう。
 認知症気味の叔父が行方不明になった時の後始末には、失踪宣告が出る7年間の財産管理人となり、家庭裁判所、警察署、市役所、金融機関など、最終的な決着を見るまで、実に9年も掛かり、その処理した書類は厚さ10センチ近くなった。
 そんな面倒を娘たちに掛けるわけにはいかない。相続遺言書についての相談に、行政書士の懇切丁寧で分かりやすい説明を受けて気持ちが決まった。
 年明けて行政書士が来宅、こちらの要望を確かめた上で、「公正証書遺言書」と「公正証書尊厳死宣言書」を書き上げてくれた。そして、指定された日に公証役場に赴き、行政書士二人の立会いの下に、カミさんと私がそれぞれ呼ばれ、署名実印を押して、正式に公正証書4通が作られた。「伝家の宝刀」、「黄門様の印籠」である。この正書(謄本)があれば、問題なく全てが指定された相続人に委ねられることになる。
 説明を終わった公証人が言う「原本は、日本が沈没しない限り、あなたが120歳になるまで、役場で保管します」
 肩の荷を下ろして、駅前地下街で20年ぶりにランチを取って帰途に就いた。

「尊厳死宣言」の文言に圧倒された。もうこれ以上ないくらいにリアルな言葉が並んでいる。だからこそ、安心する。
「第1条:私は将来病気に罹り、または傷害のため、これが不治であり、かつ、死期が迫っている場合に備えて、私の家族及び治療に携わっている方々に向けて、以下の要望をいたします。
① 私の疾病が、担当医師を含む2名以上の医師により、現在の医学では不治であり、かつ、すでに死期が迫っていると診断された場合には、死期を延伸するためだけの治療は一切行わないでください。
② しかし、私の苦痛をやわらげる処置は最大限に実施してください。そのために投与した麻薬などの副作用によって死亡時期が早まってもかまいません」

 いくつもの延命治療の現実を見てきた。最後の判断に苦しむ家族も見てきた。そのツラさをカミさんや(カミさんにとっては私や)娘たちには味合わせたくない……それが、行政書士にすべてを委ねることを決めた、もう一つの理由だった。
 少子高齢化、核家族化が加速する時代である。私たちと同じような決断をする人が、きっと増えてくることだろう。公証役場にも、切れ目なく人が訪れていた。

 もちろん、120歳まで生きるつもりはないが、81本の一里塚に加え、あと何本立てたら卒塔婆に代わるのだろう?
 「こんな公正証書を作る人ほど長生きしますよ!」と言ってくれた行政書士の言葉が力づけてくれる。
 走り帰る都市高の雨をワイパーで払いながら、気持ちは安らいでいた。助手席では、安心したようにカミさんも微睡んでいた。

 昨日の午後の散策の途中、道端に小さな春を見つけた。オオイヌノフグリ……青空の欠片が、枯草の間に幾つも散りばめられていた。
                       (2020年2月:写真:オオイヌノフグリ)

鈍色の空に

2020年02月08日 | 季節の便り・花篇

 「ログイン出来ててホーム画面出ないことは100パーセントありえないと思う。
ブラウザ、何使ってるかも教えて。
Chromeとかも試して見てくださ。いInternet Explorerは、もうMicrosoftが使わないよう告知してるから。EdgeかChromeで」
 
 「ブラウザ」が何かもわかっていない情報弱者である。

 蹲った冬は一度も立ち上がろうともしないまま、暦の上の春が立った。初霜も初雪も見ないままに、暖冬が春に背中を見せようとしている。1月生まれなのに寒さに弱く、襟元に冷たい指を差し込んでくる冬は、心底苦手である。だから、心地よい季節であるはずなのに、小さな無理やストレスに苛まれたのか、少しばかり不調になった。
 寒暖乱高下する不快な日々に加え、新型コロナウィルス性肺炎の猛威が世界を震撼させる日々が続いている。「いずれ人類は未知のウィルスで滅びる」という説を、ずいぶん前に聞いた記憶がある。甘く見てはとんでもないことになる。終息しないままにオリンピックを迎えたら、いったいどうなるのだろう?横浜沖で、事実上隔離病棟化しているクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号は、15年前に10日間のアラスカクルーズで、船旅の豪華な楽しみを満喫した同じ船である。とても他人事とは思えない。あの時は3500人の乗客のうち、日本人は僅か5人だった。隔世の感は否めない。

 新しいパソコンの軽やかなタッチに漸く馴染んできたある日、突然ブログの編集画面に入れなくなった。ささやかな自分史のつもりで、15年続けてきた「蟋蟀庵便り」、特に公開しているわけでもないのに、毎日読んで下さっている人たちが100人ほどいる。長く途絶えると、体調を心配するメールが届く。その温かさに励まされて書き続けてきた。(考えながらキーボードを弾くー―それは認知症予防効果でもあろうか?)
 さぁ困った。横浜の長女にSOSを打った。元IBMのSEである。パソコンを初めて買ったときにも、彼女が全てインストールしてくれたし、困ったときはいつも遠隔操作で解決してくれた。今回も、頼みの綱としてSOSを発し、難なく解決できるものと高をくくっていた。ところが、どこで回線の迷路にはまり込んだのか、指示通りにしても撥ねつけられ続けた。
 数日メールのやり取りに明け暮れたが解決せず、ほぼ諦めの境地に陥りかけていた。
 「次回、生存確認に帰省するまで、ブログもお休みにするから大丈夫だよ」
 そうメールした最後に届いたのが、冒頭のメールである。

 ブラウザ?何のこと?いまだにガラ携にしがみ付き、スマホを持たない。我が家はパソコン依存が半端ないのに、本質はいまだにアナログ人間なのである。社会人になった頃は、まだそろばんと計算尺で事務をこなしていた。リタイアした頃さえ、まだワープロに依存していた。本格的にパソコンを始めたのは、定年退職後の20年前のことである。81歳とは、そんな世代なのである。

 確かに、インターネットは「Internet Explorer」ばかり使ってきた。ふと、新しいパソコンの画面に「Microsoft Edge」というアイコンを見付け、試しにブログを開いてみた。呆気なく編集画面が出てきた。己の情報弱者たる所以を思い知った2週間だった。
 改めて今、「蟋蟀庵便り」復活を試している。

 立春の日、我が家の紅梅と白梅が綻び始めた。南隣りに2階屋のアパートが建って以来、日当たりに恵まれなくなった庭である。ご近所や友人のお宅の梅は「既に」咲き揃い始めているのに、我が家では「漸く」の一輪だった。
 太宰府では至る所に梅が溢れ、わざわざ天満宮の梅園を訪れなくとも、風情は十分に楽しめる。ある意味で、あまり春の訪れの感動がない花便りではある。むしろ私にとっての早春賦は、日本水仙の仄かな香りであり、道端に青空の欠片を散りばめるオオイヌノフグリの可憐な踊りだった。

 未明の散策も数日休んだ。焦るまい、もうすぐ「野うさぎの広場」にも、うららかな春の木漏れ日が落ちる。
小さなベルをリンリンと鳴らしながら、林間の散策路を辿る日を楽しみにして、もうしばらく未練がましい冬の冷たい指先に耐えるとしよう。
               (2020年2月:写真:蟋蟀庵の紅梅一輪)