蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

ふたつの湖<夏旅・その3>

2006年07月26日 | 季節の便り・旅篇

 午前9時、快晴のキャンプ・サイトをあとにした。雪解け水の奔流が滝を豪壮に膨らませ、激流の川となり、新緑の木々の木漏れ日が輝く。色とりどりの花が咲き、蝶が舞い鳥が歌う。ヨセミテは今、最も美しい季節の真っ直中にあった。娘がこの季節のキャンプにこだわった意味を実感しながらTioga Passに向かった。今日は「父の日」。異郷の大自然の息吹に包まれて迎えたこの日を、私は決して忘れない。
 落石で閉ざされていた120号線・タイオガ・パスが3週間振りに昨日開通した。北からヨセミテに入る最も美しいコースである。Big Oak Flat Roadを経由、やがて2,100メートルの峠を越える。キャニオンを取り巻く岩峰のひとつを越えているのだろう。下った道が再び登り始め、2,400メートルを越える辺りから残雪が道端に広がる。西に行けばSan Francisco、今日は東に折れてSierra Nevada山脈を横断する。2,500メートルを超える尾根伝いの道端は1メートル以上の残雪に覆われ、既に雪山のど真ん中。真っ白な雪と真っ青な空の見事な対比が美しかった。
 11時40分、標高2,420メートルのTenaya Lakeに着いた。美しい雪山をバックに、暖かな日差しを浴びながらおにぎりを食べた。飯盒飯の残りを握り、パリパリの海苔を巻いてタクワンを添えたお弁当は、フル・コースのディナーに遙かに優る「父の日」のご馳走だった。湖面を渡る高原の風は初夏の匂いだった。
 2,900メートル、とうとうヨセミテとの別れになるTioga Pass Entrance.で公園を抜けた。右下には凍結したクリークが白く光り、残雪はもう2メートル近い。肌寒い風が吹き過ぎる。ここから、国際運転免許証を胸にハンドルを握った。崖っぷちの荒れ果てた土砂の急斜面を一気に下る。土砂崩れの現場は多分この辺りだったのだろう。一瞬、緊張が走った。馴れない車、左ハンドルの右側通行、助手席の娘の足が無意識にブレーキを踏んでいるのがおかしい。
 14時、タイオガ・パスと別れ、標高1,950メートルのMono Lakeに着いた。三方を火山に囲まれ、奇岩怪石が湖面から立ち上がる不思議な湖である。モノとは、先住民ヨークツ族がその蛹を食糧にしていたというアルカリ・フライ(蝿)を意味する。湖岸には今日も真っ黒に蝿が群がっていた。アルカリ性炭酸塩の濃い塩水湖の湖底から、カルシウムを含む真水の湧き水が泡を立てて上昇するとき、白い石灰岩の堆積物である炭酸カルシウムが形成され、不思議な岩の塔Tufa Tower(石灰華)を形作るという。(入口で3$の入園料を払ったとき、係員の黒人に日本語のガイド・ブックを差し出されて絶句した。実は、その知識の受け売りである。)この高度なのに気温は一気に36度を超え、息を止めたくなるほどの熱風に喘いだ。
 およそ3時間、3,000メートル級の峰々を連ねるシェラ・ネヴァダ山脈沿い、2,000メートルほどの高原ハイウエーを130キロで突っ走った。移り変わる景色の中、アメリカらしい底知れない広さを実感させる豪快なロング・ドライブだった。2年前の冬、デス・ヴァレーからの帰りは真っ暗闇で何も見えなかったが、今日は白銀を頂く山脈を存分に楽しませてくれた。時折、懐かしいヨシュア・ツリーが平原に佇つ。
 娘の家の近くのコリアン豆腐の店で、熱く辛い豆腐の鍋とビビンバで夕食を摂って22時帰宅。1,119マイル・1,790キロの旅が終わった。シャワーを浴び、ジャグジーにのんびり浸って旅の余韻を噛みしめながら、心は限りなく満たされていた。
      (2006年夏:写真:モノ・レイクの奇岩)

Mist Trail・霧の小径<夏旅・その2>

2006年07月24日 | 季節の便り・旅篇

 爽やかな鳥の声に目覚め、寝袋の快適な温もりに一瞬自身の所在を見失った。ひんやりした大気、テントの薄明かり、川の瀬音、かすかな煙の臭い……そうだ、ヨセミテ2日目の朝だった。テントの傍のベンチでパンとサラダの朝食を摂り、おにぎりと水をリュックに詰めて、ストックを手にMist Trailに向かう。茨城県の半分という公園の広さは、この深い木立の中にいると実感出来ない。聳え立つハーフ・ドームの上は今日も雲一つない青空だった。
 キャンプ・サイトから橋を渡り、小一時間メルセド川沿いに遡行する。2,000メートル級の岩峰に囲まれた渓谷は風もなく、昼間の気温は想像以上に高くなるが、朝早い木立の下はまだひんやりと涼しかった。やがて奔流渦巻くHappy Islesの橋の上に出た。ここがトレイルの起点である。
 川沿いに次第に傾斜を深める山道を辿る。時折ブルー・ジェイが美しい光となって木漏れ日の下を飛ぶ。やがて再びメルセド川をまたぐ小さな橋の上に立ったとき、遙か上流にVernal Fallが姿を現した。橋の袂には給水場がある。美しい渓流なのに、何故かヨセミテの水は飲むに適しない。皆ここで憩い、ボトルに水を補給する。完全装備のトレッカーは私達ぐらいで殆どは軽装であり、ビキニのトップにホット・パンツという悩ましい女性トレッカーも多い。むしろ私達の姿が珍しいのか「Oh、Pretty!」とカメラを向けられたりする。「67years old!」と聞いて目を見張ってもくれる。優しいリップ・サービスを楽しみながら、いよいよ急坂と階段の滝登りにかかった。登るにつれて次第に瀧のしぶきが霧となって降り始める。Mist Trail(霧の小径)の名前の由来である。しぶきの中に虹が輝く頃、濡れた急な階段の下りを気遣って、少し膝の悪い家内を娘に託して下らせ、一人最後の急坂に挑んだ。ここまで来ると、しぶきというより土砂降りの雨である。あっという間に濡れ鼠になってしまった。
 13時、ようやく滝の上に出た。標高1,350メートル。3時間のトレイルだった。雪解け水を集め、怒濤となって落ちるヴァーナル・フォールは圧巻だった。岩盤の上から見下ろすと、遙か下の急坂を上り下りする人影が豆粒のように見える。もうひとつ上にはNevada Fallがある。「下で待ってるから行っておいでよ」と娘に勧められていたが、日本から風邪を引きずってきていた身体は予想以上に重く、滝の上の淀みに足を冷やして憩い、日差しに身体を暖めて束の間の休息をとったあと、下ることにした。雪解け水は身を切るように冷たく、1分も足を漬けていることは出来ない。目を閉じると滝音に混じって聞こえてくるざわめきは総て英語。日本語が全く聞こえない空間の快感を知ったのは何度目の海外旅行からだったろう。脱・日常の真髄はこんなところにあるのかも知れない。
 折角日差しに暖まった身体も、下りのしぶきであっと云う間に再び濡れてしまう。橋の袂で待っていた二人と、流れの傍らでリスと戯れながら飯盒飯のおにぎりを食べた。異郷の大自然の中で、何にも勝るご馳走だった。
 ハッピー・アイルズからシャトル・バスに乗り、渓谷を一巡して土産物を物色、アイスクリームで渇きを癒して6時前にテントに帰り着いた。バーベキュー・グリルで飯盒飯を炊き,北海道産の帆立入りカレーとサラダで夕食。肉厚のステーキを肴に飲んだワインとビールと甘酒が、疲れに火照った身体にしみ通った。2日目の夜も、満天の星空にくるまれて眠りについた。
 家内が頻りに心配し続けていた熊は、とうとうふた晩とも現れることはなかった。
     (2006年夏:写真:ヴァーナル・フォールを背に娘と)

星降る夜に<夏旅・その1>

2006年07月24日 | 季節の便り・旅篇

 南カリフォルニアの空は雲一つなく晴れ渡り、眩しい日差しをいっぱいに浴びながら大平原を疾駆した。3時間半のドライブを経て、序で寄りに辿り着いたSequoia国立公園入口は、数年ぶりの雨と雪解け水が広大な湖水を作り、木々さえも水の中から立ち上がって、道路が湖水の中に姿を没している。1年半前の冬に訪れて雪に追い返されたとき、ここは何もない窪地だった。
 標高2,000メートル、セコイアの巨木の林立は圧巻だった。樹齢2,700年、幹廻り31メートルのGeneral Sherman Treeにしがみついて思いのほか時間を費やし、Yosemite国立公園入口のMariposaの宿に着いたのは夜8時を過ぎていた。(半年前から電話を入れ続けていたキャンプ・サイトの予約が奇跡的に取れたのは、もう諦めかけてFresnoの街を過ぎる夕刻5時頃だった。)素朴なピザ・ハウスで鹿肉のリブ・ステーキ、メキシカン・ピザで夕食を摂って早めの就寝となった。念願のヨセミテはもう目の前にあった。
 翌朝、折からの雪解け水を豪快に流すMerced Riverを遡行する西からの道路140号線は、ブルー・ジェイ(青かけす)やリスが遊ぶ自然豊かな道だった。しかし、残念ながら途中落石でクローズ。これでヨセミテへの4本の道路のうち、メインの2本がクローズされたことになる。やむなく引き返して41号線、South Entranceから公園に向かった。11時過ぎ、標高1,500メートルのゲートをはいり、12時、1,800メートルの峠・Glacier Pointへの分岐点を過ぎて渓谷に下る。途中、Tunnel ViewからBridal Veil Fallと、遙か山あいにヨセミテのシンボル・Half Domeが見えた瞬間の感動を何に譬えよう!
 Upper Pinesのキャンプ・サイトは深い松林の中にあった。リスが遊ぶ木立の間から、首が痛くなるほど見上げた眼前にハーフ・ドームの威容がある。テントを張り終えて、再び車で標高2,200メートルのグレーシャー・ポイントに向かった。ヨセミテ随一の絶景が待っていた。息を呑む大パノラマだった。一望遙かに雪山を頂く山並が連なり、目線の高さにハーフ・ドームが迫る。見下ろせば、緑深い渓谷の底にキャンプ・サイトの車が豆粒のように見える。幾つもの滝が水しぶきを舞い上がらせていた。思いがけず木立の中を歩く夏羽の雷鳥を見た。垣間見たヨセミテの大自然だった。
 備え付けのバーベキュー・グリルに薪を焚き付けて飯盒で炊飯、持参のグリルにチャコールを熾して豪華なバーベキュー・パーティーが始まった。厚さ2センチのステーキから油が滴り、玉葱やピーマン、トウモロコシ、ジャガイモを添えてワインとビールを飲み交わす。飯盒でご飯を炊くなんて何年ぶりだろう?子供達がまだ幼かった頃、庭に石を積んで竃を作り、飯盒でご飯を炊いた。「その原体験が、私をアウト・ドア派にしたんだよ」と娘が言ってくれるのが嬉しい。煙が何故か目に滲みた。
 21時、宴が終わった。ハーフ・ドームもようやく夕映えに沈む。総てを熊除けの鉄のボックスに納めて、ふと見上げた空は満天の星。北斗七星さえ霞んでしまうほどに深く厚みのある夜空が、手の届くようなところに広がっていた。もう忘れかけていた豪華な星空がそこにあった。
 昼間の暑い空気が嘘のように、しんしんと夜気が冷えていく中を、メルセド川のせせらぎが次第に高まっていく。厚さ15㎝のエア・マットを敷き詰めたテントに潜り込み、寝袋の中で瀬音を聴きながら語り合う三人に、三様の感懐があった。
  (2006年夏:写真:グレーシャー・ポイトの景観)

解き放つ<夏旅・序章>

2006年07月24日 | 季節の便り・旅篇

 午前5時の薄明の中、蜩が鳴き始めた。その声を、夜通し降り続いた雨が包み込む。例年になく居座った梅雨前線は、南九州に年間降水量の三分の一を超える豪雨をもたらし、各地を甚大な被害で叩きのめした。帰国以来続いた多忙の疲れが全身に澱み、絡みつき、眠りを奪う。
 梅雨入り間もない日本を脱出し、1ヶ月のアメリカ暮らしを終えて元気に帰り着いた私達を成田で迎えたのは、息が詰まるほどに濃密な湿気だった。乾いた透明な南カリフォルニアの大気恋しさに、一気に逆ホームシックに陥った瞬間だった。
 ヨセミテ国立公園での星空のキャンプ、ユタ州ブライス・キャニオン国立公園での8時間のトレッキング、残雪のシェラ・ネヴァダ山脈3,000メートルの峠越え、ラスベガスでのショー「O(オー)」、テメキュラ・ワイナリーでのテイスティング、サン・ディエゴでのシーフード三昧、デーナ・ポイントの夕日、娘のコンドミニアムのテラスでのバーベキュー……延べ走行距離4,500キロを超えるロング・ドライブの旅だった。(尤も、そのうち私がハンドルを握ったのは1,000キロにも充たず、大半は娘の運転だったのだが。)
 福岡から成田に飛び、3時間待機のあと小雨混じりの空に飛び立ったのは6月初旬。9時間余りエコノミー・クラスのシートに呻吟しながら、ロサンゼルス空港で娘の笑顔に迎えられた。快晴の青空のもと、小1時間高速5号線・サン・ディエゴ・フリーウエーを南下、クラウン・ヴァリーを降りると、ラグーナ・ニギェールの娘のコンド・Villa Miraに着く。オレンジ・カウンティーの広大な丘陵地帯を切り開いた、閑静で美しい新興高級住宅地だった。
 次女のアメリカ生活も15年を越えた。南ジョージア大学を卒業して、ジョージア州アトランタで海運会社に就職、男勝りの営業の業績を買われて8年後にカリフォルニア州ロング・ビーチの事業所に引き抜かれた。美しいビーチにほど近いところのコンドを買い、自ら手をかけて価値を高め、折からの住宅ブームの波に乗って2年あまりで評価額を倍に高めた。そこを高額でレンタルに出して、ラグーナに新たなコンドを買った。メキシコの高級リゾート地には豪華なホテルの一室の、向こう30年のオーナー・シップも手に入れた。一人暮らしで仕事の傍ら、細く小柄な身体でありながらスキューバ・ダイビング、スノー・ボード、キャンプ、トレッキングなどアウト・ドアを楽しみ、サルサ・ダンサーとしてはセミ・プロ並みの技術で幾つものパフォーマンスの舞台に立つ逞しい娘である。
 内外装の塗り替えやタイル貼り、水道工事、バスやトイレ、キッチンなど水回りの器具の取り替え、照明器具の付け替え等、大工、左官、水道・電気工事殆どを自ら細腕でこなす。これがアメリカン・スタイルだという。
 ロング・ビーチも私達お気に入りの立地だったが、ここは住民のレベルも治安も自然環境もロング・ビーチを凌いでいた。2階建て、2ベッド・ルーム、2バス・ルームのイタリア風のお洒落なコンド・Villa Mira。窓の遙か向こうに高速5号線が走り、車の音が遠く潮騒のように聞こえる。野ウサギが走り、ハミング・バードが訪れ、Villaの中には専用のプールと温水ジャグジーが3つもある贅沢なエリアだった。ビーチまで車で10分、1マイルも歩けば映画館やレストラン、ショッピング街が並ぶエリアもある。
 真っ盛りのジャカランダが紫の花を咲かせる季節だった。夜、テラスにトーチを灯し、ワインを抜いて親子3人の1年半振りの再会を祝った。自らを解き放つ1ヶ月の脱・日常、楽しい夏旅の始まりだった。
     (2006年夏:写真:夕映えのハミング・バード)