蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

避密の旅、三度

2022年04月21日 | 季節の便り・旅篇

 コロナ禍に窮した旅行業界に差し伸べた、福岡県の支援である。旧秋の企画に、娘の手を借りながらスマホで申し込んだ。50,000円分の旅行クーポンが、25,000千円で手に入った。一度の旅で、一人10,000円まで使え、更に地域クーポンが2,000円分付いてくる。
 普段泊まることのない高級な宿を探し、筑後川温泉で1回、原鶴温泉で1回、それぞれ露天風呂付個室を利用した。例えば、25,000円の宿が15,000円、地域クーポンを加算すれば実質1万3,000円で利用できる仕組みである。もちろん、コロナ禍の中での企画だから、県を跨ぐ利用は出来ず、福岡県内という制約が付く。
 いずれも先輩の勧めに誘われて、料理と泉質に優れた一夜を満喫した。二つ目の宿では、豪勢な食事を摂っているときに、救急車が走り込んできた。個室の露天風呂で転倒し、頭を打った高齢の客が運ばれていった。岩風呂の怖さを思い知りながら、「やがて我が身」と気持ちを引き締めた。

 「緊急事態宣言」、「まん延防止等重点措置」が相次ぎ、利用制限や期限延長が何度も続いて、残る1万円の利用は年を越した。ようやく4月7日に解禁となり、しかも利用期間は4月28日までという。慌てて、取り扱いの旅行社に駆け込んだ。最後は新鮮な魚を食べる宿にしようと、候補地の中から民宿を選んだ。糸島市の芥屋漁港の傍の民宿である。一人1泊8、800円に旅行クーポン5,000円が使え、更に地域クーポンが1,000円付くから、実質一人1泊2,800ということになる。

 旅立ちの日は生憎の曇り空だった。「旅」というには恥ずかしく、僅か50キロ、都市高速と西九州自動車道を使えば、1時間ほどの近場である。翌日の晴天予報に期待し、一番の楽しみは明日に残して午後1時に家を出た。
 「二見ヶ浦」―――伊勢湾の夫婦岩で有名な観光地と名を同じくし、糸島半島の北に夫婦を並べた岩があり、しめ縄が張られている。曇天の海の色は冴えないが、少年時代の10年間を海辺で育った私にとって、海には懐かしい匂いがある。昨年の春も、佐賀県呼子の宿で伊勢海老や烏賊の生き造りなどの海鮮を満喫した帰りに、此処に立ち寄った。1年振りの海に、カミさんもはしゃいでいた。
 
 カリフォルニアに住む嵐ファンの次女にせがまれて、以前訪れた「櫻井神社」、カミさんは初めてだったが、静謐な古い神社の佇まいにご満悦である。そのあと、「芥屋の大門」の岩峰を望み、展望台に続く「トトロの森」の木立のトンネルを覗いていたところに、宿から電話が入った。チェック・インの1時間前だが、部屋の用意が出来たからいつでもどうぞ、と。そこから民宿迄は車で2分だった。
 芥屋の大門遊覧船の乗り場の脇にある民宿は、客は2組だけで、3階1フロアを独占した。海鮮尽くしの夕飯を、壮麗な夕日が飾った。唐津と壱岐の狭間の海に真っ赤な太陽が落ちた。右手遥か遠くには、対馬も見えるという。
 
 カリフォルニアには、数多くの夕日の記憶がある。ロングビーチで見た夕日、ラグナビーチで見送った夕日、ヨシュアツリーパークで沈んだ夕日。さらに、メキシコ・ロスカボスでダイビングの後、砂浜に寝っ転がって浴びた夕日―――数知れない夕日の記憶の中でも、サン・ノゼ・デル・カボ空港からロサンゼルスに帰る機上から、遥か太平洋の水平線を真っ赤に染めて沈む夕日が、最も鮮烈な記憶だった。あれほど濃い深紅の夕焼けは、前にも後にも、これに勝るものは見たことがない。
 歳をとるほどに、夕日への思いが深くなるのは何故だろうか?

 一夜明けて快晴の春の空の下、べた凪の海を「芥屋の大門」遊覧に出た。客は僅か4人、海風が吹き抜ける中では、もうマスクも要らない。玄海国定公園を代表する「日本三大玄武洞」の中でも最大のもので、六角形や八角形の玄武岩の柱状節理が玄界灘の荒波をガシっと受け止めている。海蝕洞窟は高さ64メートル、開口10メートル、奥行き90メートル。べた凪のこの日、遊覧船は洞窟の中まで滑り込んだ。「避密の旅」の掉尾を飾る圧巻の景観だった。

 興奮覚めやらないままに、「志摩の四季」で魚と花を、「伊都菜彩」で野菜を買い込み、楽しみにしていたイチゴのソフトクリームで締めくくって、一気に帰途についた。112キロの春旅だった。
 「Withコロナ」―――長く閉じていた気功教室も読書会も、今月再開する。私たちの人生に、「怯えながら、ただ耐えるだけ」の時間はもう残されていない。一歩、踏み出そう!
                       (2022年4月:写真:芥屋の落日)

縺れ飛ぶ

2022年04月06日 | 季節の便り・花篇

 枯葉の上に一人用のピクニックシートを拡げ、脚を伸ばして寝っ転がった。見上げた空は春色、数本の木々が青空を突き刺す中に、花吹雪を舞わせる桜が1本、散る花びらを額に受けながら、目を閉じて木漏れ日の優しい眩しさを瞼に受けた。時折葉先を揺する春風に乗って、シジュウカラやヤマガラの囀りが運ばれてくる。真っ盛りの春にも、早くも初夏への滅びの気配があった。今年の季節の走りは気紛れである。季節を狂ったように右往左往させるのも、結局は人間のなせる業が原因だろう。
 値上げの春である。庶民には音を上げる春、全ての元凶は狂ったロシアにある。ウクライナの国旗は、麦畑と青空を表すという。覿面、小麦の価格が高騰、ロシアへの経済制裁で原油価格が高騰、この二つで、自給率の乏しい日本は忽ち息切れし始めた。値上げの範囲は、日々拡大を続ける。将来に夢を持てない若者は、益々乏しい夢を摘み取られていく。そんな不穏な世情に、新型コロナが第7波に向かってグラフの鎌首を擡げようとしている。
 言いたくない!書きたくない!!とぼやきながら、ついつい目を逸らせない自分に疲れて、青空の中を歩き始めた。カミさんは親しい友人とランチ&ショッピングに出掛けた。貴重な憂さ晴らしである。

 切り株に坐って、昨日の夕飯の残りの散らし寿司を食べた。博多では3月3日ではなく4月3日に雛祭りをする。遠い昔々に雛だったカミさんが、久しぶりに散らし寿司を作った。2合の寿司が二日分になる年寄り夫婦である。今夜、カミさんは頂き物の釣りたての鰤を煮付けて食べるから白飯にして、多分残った一人分のチラシ寿司は、昼に続いて私が処分することになるだろう。

 観世音寺のハルリンドウが、私を秘密基地「野うさぎの広場」に駆り立てた。10日前、観世音寺に見つけた翌日、期待を込めて急ぎ足で訪れた広場には、一輪の花の姿もなかった。毎年、足の踏み場に困るほど群れ咲く広場である。もう終わったのか、まだなのかと迷いながら1週間が過ぎた。3日前に再び観世音寺を訪れ、20輪ほどのハルリンドウを這い蹲って撮った。
 期待半分諦め半分で、再び広場を訪ねることにした。古いカメラで使い慣れた50ミリのマクロに接写レンズを噛ませ、接続用のリングに付けた新しいミラーレスカメラがずっしりと肩に重い。

 良かった!小さなハルリンドウが、僅かながら5輪ほど花開いていた!!昼時を過ぎていたが、飯より写真が先と、例によって枯葉の上に這い蹲った。枯葉色の広場に、散り落ちた桜の花びらに交じって、真っ青なハルリンドウが笑っていた。これこそ、春色だった。僅か5輪!しかし、少ないが故に、一層愛しく思われるのだ。

 目の前の楓の若葉に、イシガケチョウがとまっていた。近くに好みのイヌビワでもあるのか、この九州国立博物館周辺や裏山にはイシガケチョウが多い。ボランティアをやっていた22年前から6年間、初めて博物館裏の湿地で水を吸っているこの蝶に出会って以来、すっかりお馴染みになった。まるでおぼろ昆布のような文様が「石崖蝶」のネーミングとなった。飛翔が速い蝶だが、とまる時は殆んど羽を拡げたままだから、接写機能付き望遠レンズがあればいい寫眞が撮れる。
 その1頭にもう1頭が縺れた。縺れ合いながら、広場中を飛び回る。それを目で追いながら、ちらし寿司を口に運ぶ。虫キチ・蝶大好きの私にとって、至福の時間だった。蝶たちにも待ち望んだ恋の季節だった。地表すれすれに飛び回るたった1頭のキチョウが、なんだか可哀想になるほど、縺れ合う2頭のイシガケチョウは楽しそうだった。

 微睡みかけたところに、スッと冷たい風が吹いた。春の日差しは暖かくても、吹く風にはまだ冬の残渣がある。シートを畳んでショルダーに納め、ストックを突いて帰路に就いた。今日のストックは枯れ枝のマイ・ストックではなく、たくさんの山道を歩いて来た本物の山用のLEKIのストックである。いろいろな山の想い出がいっぱい詰まったストックの握りには、熊の姿とYOSEMITEという文字が刻印されている。

 辿る山道に、イノシシの狼藉は一段と凄まじかった。イノシシも懸命に生きているのだ。「頑張れよ!」と声を掛けたくなる午後だった。
              (2022年4月:写真:「野うさぎの広場」のハルリンドウ)