蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

雨の匂い、雨の足音

2013年05月30日 | 季節の便り・花篇


 6月の声も聴かないうちに、梅雨が来た。5月27日、こんなに早い入梅はあまり記憶にない。短い春、眩しい青空を喪った短い初夏、先走る梅雨……数日前まで熱中症警戒の暑さに喘いでいたのに、季節の乱調は一段と加速する。
 しかし、生まれて初めて雨季の到来を待った。高温多湿、在住外国人が「この季節だけは、国に帰りたくなる」と嘆く季節を待ち望んだのは、ほかでもない、PM2.5からの逃避願望である。本格的雨となった二日目、その値は10μ㎎/㎥を切って、嘘のように目と喉と鼻の不快感が消えた。

 アマガエルの鳴き声と、ユウマダラエダシャク(尺取蛾の一種)…今年も変わりなく、常連が蟋蟀庵の雨の庭を楽しんでいる。
 雨の切れ目を縫って、読書会の仲間からいただいた種から芽生えたオキナワスズメウリの苗をプランターに植え替えた。蔓が延び始めたら、玄関先のフェンスの傍らにプランターを置く。手毬のような可愛い実が、色変えながら秋を彩ることだろう。
 赤、ピンク、白、絞りと、色とりどりのツツジが満開である。玄関の鉢では、昨年の「母の日」にアメリカの娘から届いたスミダノハナビが爽やかに咲き誇っている。ピンクの火花を散らせるようなツクシカラマツが咲き、「野ウサギの広場」への散策路から掘り採ってきたハルリンドウも濃い紫のスミレもしっかりと根付き、緑の葉を広げて来年の春への期待を膨らませる。ホタルブクロが白いランタンを提げ、ホソヒラタアブが無心にホバリングしている。八重のドクダミも開花を迎えた。キレンゲショウマが10個ほどの蕾を着けた。この蕾が開くまでには長い時間がかかる。
 絢爛の蟋蟀庵の雨の庭である。

 二日がかりで、2キロのラッキョウを漬けた。昨年は手抜きして市販のラッキョウ酢で漬け込んだが、いまひとつ納得できない味だった。今年は土付きラッキョウを洗い、根切りして流水で手揉みしながら皮を剥き、甘酢作りも手作りでチャレンジした。ネットで見ると、人それぞれの拘りの調合があって迷ってしまう。結局、母や義母の漬け方に近いNHKのテキストに従い、家内の指導を受けながら漬けあげた。
 世相に迎合して誇りを喪い、やたらお笑い芸人や、化粧だけ上手い舌足らずのガガンボのような貧相な脚の女の子を使うNHKの番組作りには、正直なところイライラするが、こんな時にはさすがに役に立つ。2003年6月号の「きょうの料理」テキストである。
 勢いで、知人からいただいた1キロの糠で新しい糠床を作った。ネット情報に迷いNHKに縋ったのは、これも同じ。結局、親代々の「おふくろの味」が、こうして我が家の味に受け継がれていく。これから夏の間、朝晩糠床を混ぜるのは私の役目、「糟糠の妻」ならぬ「糟糠の爺」…結構楽しみながらやっている自分が可笑しい。
 夢中に取り組んでいるうちに、博物館ボランティアに出掛ける時間をすっかり忘れてしまっていた。

 5月が逝く。再び、雨の足音が近付いてくる。ユウマダラエダシャクが舞う梅の木で、しっかりと実が膨らんできた。肩に負担を掛けないように、針金を曲げ、棒に縛り付けて補助具を作った。近々雨の切れ目を見て蝙蝠傘を逆さに置き、収穫して梅酒を漬けることにしよう。
 クロネコ国際宅急便で、溜まっている「嵐」のDVDをアメリカの娘に送る小包を作り終えたところに、パソコンを通じてSkype通信が来た。小一時間お喋りが弾んで、明るい笑い声が弾けた。

 こうして、我が家の雨の季節が深まっていく。
                 (2013年5月:写真:スミダノハナビ)

連日の珍客

2013年05月25日 | 季節の便り・虫篇

 ホトトギスがしきりに鳴く、土曜日の昼近い時刻である。11時のPM2.5の指数は66㎍/㎥と決して低くはないが、今朝は目鼻が楽で頭痛もない。理由はともあれ、久し振りに素直に暑さだけに浸っていられるのは心地よい。コブシの繁みにはいりこんだキジバトが、くぐもった声を落とす。いつも番いでいるのに、珍しく一羽だけで枝を揺らしていた。

 博多と歌舞伎の関わり合いについて、午後NHKが家内のところに取材に来るという。そんな日盛りの時刻、庭の縁石に又一匹の珍客がやって来た。
 ホシベニカミキリ。甲虫目カミキリムシ科、学名:Eupromus ruber Dalman
 全国的に分布し、決して珍しいカミキリではないが、都市部の公園などで多産し、生木を荒らす公園害虫とされている。クスノキ、ヤブニッケイ、タブノキ、ホソバタブ、シロダモ等に寄るというから、まず我が家の庭木は大丈夫だろうと庭に放した。
 体長18~25mm、黒い身体で、鞘翅には鮮紅色で大小の黒い紋がある。その紋の分布は一定でなく個体差があり、マンタ(オニイトマキエイ)の腹部の黒い紋様と同じように、一体として同じ紋様はないという。通常2年で1世代を送る。成虫で越冬し、越冬明けの成虫は主にタブノキの葉を食べる。タブノキの樹皮を長円形にぐるりと嚙み切り、その円の内側の樹皮の下に産卵する。幼虫は樹皮にトンネルを掘り、所々に穴を開けて木屑や糞を捨てる…こんな図鑑の言葉を連ねていくと、一層愛着が増していくから楽しい。

 父が生きていたら、即抹殺されたことだろう。急死する前の日まで庭いじりを楽しみ、庭木をこよなく愛していた父にとって、カミキリムシは天敵であり、ゴマダラカミキリを見付けようものなら形相が変わった。
 黒地に白い星をちりばめたカッコいいゴマダラカミキリの姿に、見付けた孫たちが喜んで遊んでいると、「殺せ!」と、日頃の温厚な父からは想像出来ない叱声が飛んだ。
 昨日切り倒したハナミズキが枯れたのも、多分カミキリムシの仕業だろうが、それもまた良し。自然の摂理の流れの中では、さほど「やられた!」という憤りもない。
 ホシベニカミキリの食害は木を枯らすことは少ないというから、暫く蟋蟀庵の庭でささやかな悪さを楽しませるのも一興だろう。

 最近、庭木が枯れたり、長い留守で鉢の山野草が乾燥にやられても、さほど心が痛まなくなった。愛着が薄れたわけではない。そもそも山野草は野に置いてこそ愛でるものであり、季節ごとの日差しを調整しながら、鉢をかかえて庭を右往左往することこそ滑稽である。命あるものは、いつかは滅びる。そんな当たり前のことが素直に受け入れられるのも、晩年の悟り(諦め?)なのだろうか。

 1000キロを超える距離を北上しながら渡っていくアサギマダラが姿を見せる季節である。飯田高原・長者原の自然探究路で、今年も浅葱色(薄青色)の群舞が始まっていることだろう。
 この団地に猿が現れたという。タヌキやノウサギやイタチ、そしてアオダイショウやマムシやシマヘビは散見されているが、とうとう猿までが昔の生活圏を取り戻しにやって来始めた。
 七色の衣で日差しを跳ね返しながらハンミョウ(みちおしえ)が庭で遊んでいる。近付く雨の季節を予感するのか、アマガエルがキコキコと鳴き始めた。中学生の頃からおなじみの梅雨の蛾・ユウマダラエダシャクが、梅の木陰をゆらゆらと舞い始めたのは今朝のことだった。

 家内が主宰する「たまには歌舞伎を見よう会」の仲間が、朝採りのグリンピースを届けてくれた。初物は75日寿命を延ばすという。今夜は豆ごはんで季節を味わうことにしよう。
                  (2013年5月:写真:ホシベニカミキリ)

忘れられた記念日

2013年05月24日 | 季節の便り・虫篇

 昼間の濁った大気が払われたのか、中天を飾る満月が煌々と輝いていた。夕刻のPM2.5の値は80㎍/㎥。そして。今年初めて大台に乗って30.9度の真夏日となった。徐々に暑さに慣れる余裕も持たせず、猛々しく初夏の日差しが苛烈さを増していく。そこにPM2.5の追い打ちが、こめかみに錐を打ち込む。過敏に反応する目の不快感は、既に慢性化しつつある。

 そんな日の朝、 汗まみれになりながら物置を片付けていると、裏口の側に珍客がいた。ヨコヅナサシガメ(横綱刺亀、学名:Agriosphodrus dohrni)カメムシ目(半翅目)サシガメ科に分類されるカメムシの一種である。元々は中国から東南アジアにかけて分布するカメムシだが、1928年に九州で初めて発見され、既に1990年代には関東にまで拡がっていた。桜、榎、欅などに生息し、他の昆虫を捕えて細長い口を突き刺して体液を吸う。カメムシ特有の臭いはないものの、迂闊に触れると刺される大型のカメムシである。体側の白黒のフリルが横綱の化粧まわしにも見えて、虫キチには何とも凄味のある魅力的な姿である。

 気象が荒れると、生き物にも異常が現れる。先日庭木の消毒に来た植木屋さんが、「山茶花や椿にチャドクガが異常発生しているから」と警告して行った。葉裏に頭を並べて数十匹の幼虫が群棲する姿は、さすがに怖気をふるうし、刺されると、これは痛い。毛虫1匹にある毒針毛は50万本から600万本というから凄まじい。樹の下を通るだけでも、或いは風下にいるだけでも毒針を浴びてひどい目に遭う。それを承知で、昆虫少年として好奇心旺盛だった中学生の頃、暫く飼育したことがあった。
 イラガと並ぶ非常に厄介な蛾だが、実はイラガの幼虫は目を見張るほどに美しい。今も博物館ボランティアに出かけるときのバッグの中には、いつもその写真が入っている。自然の造形美の白眉ともいえる見事な毛虫である。但し、所詮は人に嫌われる毛虫である。だから、よほど虫が好きな人にしか披露はしない。虫キチと言われる所以である。

 前の日の朝、知人からのメールを読んでいた家内が、突然叫んだ。「ねえねえ、今日は何の日だかわかる?」考えたが、思い当たることがない。
 「今日は結婚記念日だよ!」
 結婚47周年、その日を二人ともすっかり忘れてしまっていた。知人からメールで「オメデトウ!」と言われて、ハッと思い出したという。どちらかが覚えていれば、相手をそれとなくなじることも出来ようが、二人ともすっかり忘れていたとは…もう笑うしかない。
 「バラの花束も来ないよね」と笑い合いながら、いずれ改めて呼子の「イカの活き作り」でも食べに行こうと諦めて、この日は映画を観に出かけた。観終わったランチは、PM2.5で体調芳しくなく、泣く泣く讃岐うどん…。
 「金婚式まで、あと3年。何とか生き延びそうだね」という会話で、忘れられていた記念日が暮れた。
 翌日、枯れてしまったハナミズキを切りに植木屋さんがやってきた。彼が言う。「昨日は結婚記念日やったね」…苦笑いの追い打ちだった。

 午後、町内の「井戸端サロン」に出かけた。10年前に区長だった私が始めたサロンである。「今日も一日誰とも話さなかった…」そんな日をなくして、月に一度気ままに公民館に集まり、お菓子をつまみながらお茶を飲み、時間を忘れて語らい、楽しく笑う会である。
 その頃、新聞で103歳の高橋千代という女性の歌を読んだ。
     一日中 言葉なき身の淋しさよ
        君知りたまえ われも人の子
 心に沁みる哀しさだった。その思いが、この「井戸端サロン」を続けさせている原点である。

 明日も暑い一日が待っている。
             (2013年5月:写真:ヨコヅナサシガメ)

五月晴れは何処へ?

2013年05月17日 | 季節の便り・花篇

 八朔の下に佇み、蜂の羽音を聴く。受粉を終えた花びらが一面に散り敷き、今真っ盛りの花時である。
 昨秋の実りは貧弱だった。実も小さく、数も前の年の三分の一にも満たない。もう植えて20年あまりになるが、「甘くて果汁タップリで美味しい!」という評判の我が家の八朔だったのに、初めてのひどい不作だった。入院中の為に出入りの植木屋さんに捥いでもらい、駄賃代わりに好きなだけ持ち帰ってもらった。
 食べてみて愕然!酸味が強く、とても食べられるものではない。1~2個我慢して食べたが、とうとう諦めて生ごみの袋に入れた。
 数日前に消毒に来た植木屋さんに詫びた。「そうやろ!折角のもらいものだから、我慢して砂糖掛けて食べたりしたけど、実は半分捨てた。言い出しきれんかった」
 そして言う。「迷信かもしれんけど、植木は災難ごとの身替りになることが多い。肩の手術がうまくいったのも、八朔のお蔭かも」
 家内の手術の直前にも、庭の沈丁花が突然枯れた。ご近所でも似たような例が多いという。信じてもいいと思った。実は、肩の腱板が切れた一因と思われるものに、この八朔がある。木に登り、枝の間に身体を捩じらせて無理な姿勢で手を伸ばして八朔を採り、手の届かないところは高枝鋏を借りて、慣れない収穫にかなり無理をした。弱っていた左肩に激痛が走り始めたのは、その直後の3月だった。原因をつかむまでの7ヶ月の間、寝返りを打つたびに目覚めるほどの痛みに苛まれた。
 身を恥じた八朔が、申し訳なさに実りを犠牲にしたと思えば、何だかいじらしかった。退院直後に、リハビリ中の左肩を庇いながらタップリ「お礼肥え」を施した。根元から1メートルほど離れたところに、自然薯掘りの鍬の反対にある槍状の部分を地面に突き刺して抉り、30センチほどの穴を幾つも穿つ。そこに、骨粉と油粕の混合肥料をタップリ注ぎ入れる。穴は土を被せず、雨に濡れて自然発酵させることで肥料となる。
 そして迎えた初夏、2階の窓まで伸びた枝が、たくさんの花を咲かせた。薄明の頃から勤勉な蜂が訪れ、頼もしい羽音を聴かせてくれている。朝夕、散り敷いた花びらを掃きながら、秋への期待が次第に膨らんでくる。

 十数年前、かつて次女が8年間住んでいたジョージア州アトランタの市の花・ハナミズキを紅白2本植えた。紅が満開になる頃、突然白が枯れた。身を捨てて、また一つの命を救ったのだろうか?

 山歩きの木漏れ日の樹林の中では快適だったのに、下界に降りた途端に再び目がシバシバ痛み、喉がいがらっぽくなった。今年になって俄かに騒がれ始めたPM2.5、その大気汚染がこのところひどい。
 山に挟まれた谷あいにある地形のせいだろうか、太宰府市は常に県下で1~2位を争う高濃度である。国の基準値は「一日平均35㎍/㎥以上」で警報が出る。先日、太宰府は一時的に70㎍/㎥を超えた。現実にこの不快感があるのに「平均値」でいいのだろうか?瞬間的にしろ「最大値」を、「平均値」という数値の中に埋もれさせてはいないか?国の意図的隠蔽を疑いながら、今日もどんよりと濁った五月晴れを見上げていた。
 失われた皐月の青空。春霞の季節を過ぎても、まだ続く隣国からの招かれざる客。喉元を過ぎたのか、もう春ほどマスクが売れないという。こうして、人は破壊された環境になし崩しで慣らされていく。

 それでも、植物は何も言わずに花を咲かせる。プランターに生い茂ったスミレの間で、ヒメヒオウギが重なるように咲いた。オキエラブユリとキレンゲショウマに小さな蕾が着いた。

 御笠川で、7羽の雛を引き連れたカルガモが泳いでいた。時たま波紋を散らせて、7羽の雛が一斉に水面を四方に走る。ほのぼのする命の営みが此処にもあった。
                   (2013年5月:写真:ヒメヒオウギ)

<追記>今朝の新聞の一面の記事である。

 福岡市の教育委員会が、PM2.5の運動会中止基準を一日平均140μg/㎥と決めたという。大学教授の厳しい批判があった。「国内ではまずありえない濃度で、基準がないに等しい。PM2.5については十分な科学データがなく、一律に基準を決めることが適切か疑問だ。」
 場当たり的な行政の欺瞞が、ここにも垣間見える。

ナンジャモンジャ

2013年05月07日 | 季節の便り・花篇

 春ゼミが鳴いた。クロマツとアカマツの樹液しか吸わない、「グルメこだわり」のセミである。檜を基調とした雑木林と竹林が混在する木立の何処かに松があるのだろう。2~3センチの可愛い姿に似合わず、ギーギーとチベット仏教の読経を聴くような骨太の声で陰鬱に鳴く。しかも、晴れた日以外には殆ど鳴き声を降らせないというこだわりさえ持っている。大型連休最終日の26度を超える五月晴れは、彼のこだわりの条件に見合ったのだろう。それでも、わずか3節ほど鳴いて、あとは研ぎ澄ましたようなシジュウカラの囀りに譲って沈黙した。
 木立を吹き抜ける初夏の風に額の汗を冷ましながら、サクサクと降り積もった枯葉を踏んで歩いた。「野ウサギの広場」に繋がるいつもの散策路である。

 湯の谷口の89段の階段を上がり、外来種マツバウンランが群生する道を辿って、「大ベトナム展」で賑わう九州国立博物館の雑踏を横切り、昨日楽しんだ「ベトナム・グルメ」の屋台を横目に見ながら四阿への道を下る。咲き終わった馬酔木に代ってコデマリが滝のように枝垂れ咲き、小道の上を山藤のムラサキが飾っていた。道端一面の黄色のスベリヒユの絨毯をチロチロとベニシジミが小さな炎を舞わせ、ヒメジャノメとヤマトシジミが縺れる。ウシガエルがほら貝を吹き鳴らす池の畔を飛翔するのは、敏捷なアオスジアゲハをはじめ、キチョウ、アゲハチョウ、クロアゲハ、モンシロチョウ…数日前まで戻っていた寒が去り、GW後半になって漸く初夏らしい陽気になった。季節が一気に走り始めた。
 華麗な衣装を日差しに輝かせて、ハンミョウが斜め飛びを繰り返しながら道案内してくれる。シオカラトンボが石ころに憩う。道端のヤハズエンドウ(カラスノエンドウ)のピンク、キジムシロの黄色、カキドオシの紫…ささやかながら色とりどりの野の花がゆかしい。100段あまりの木漏れ日の階段を、ゆっくりと登って行った。

 鼻風邪か大気汚染か、目と鼻がスッキリせずに気怠く、GW前半は不調だった。かつてこの連休は、バリ島のバカンス、沖縄でのスノーケリングやスクーバ・ダイビングなど、夏の海の急激な日焼けの痛みを避ける為に、ビーチ・ベッドを庭に出し、サンバーン・オイルを塗って日光浴して真っ黒に下焼きするのが常だった。薄闇に全裸で立っていたら白いパンツを穿いているように見えるほど、したたかに焼いていた。母の心配に、「皮膚癌になる?だったら、漁師はみんな皮膚癌で死んでるだろう」と嘯き、若い頃から続けてきた。今年はそれを躊躇うほど気温が上がらなかった。それに、肩のリハビリが続く中、今年の海は諦めている。

 花時を終えた黄花ホウチャクソウの陰でチゴユリが咲き始めた。先日植えた夕顔も蔓を巻き始めた。季節が足早に動く。庭の雑草を毟り、山野草の鉢を寒冷紗で覆った夏用の半日陰の棲家に移し、枝垂れ紅梅の枝を整え、ひと汗流して午後の散策に出た。

 道端から「野ウサギの広場」まで咲き広がっていたハルリンドウはもう姿もなく、厚い落ち葉と枯れ枝だけが広がっていた。天満宮や博物館の雑踏、だざいふ遊園地の長い列をよそに、この散策路は今日も無人。静寂の中で新緑を揺する風と鳥の声だけを聴いていた。  
 木漏れ日の届かない暗い影から、クロヒカゲが舞って出た。

 小一時間の静寂の散策…天神山を下って、鬼すべ堂の傍らで満開のナンジャモンジャ(ヒトツバタゴ)の純白の花を愛でて、エスカレーターと虹の動く歩道を潜って博物館に戻った。館外のレストラン「グリーンハウス」の側のベンチに座り、ソフトクリームを舐める目の前のプランターに、ひらひらとツマグロヒョウモンが来た、「蟋蟀庵においでよ。パセリがいっぱい繁って待ってるよ。」

 メキシコにセノーテ・ダイビングに向かった娘からメールが届いた。
『とりあえず何とかホテルにチェックインしました。 疲れた~! ホテル広すぎて、1時間迷って何とか夕食にありつきました。夜でわからなかったけど、ここは野生のイグアナやワニが敷地内にいるらしいので、食われなくて良かった。ここに来るまでもなんやかやトラブルで、昼抜きだったので腹ペコだったよ~。
そのせいか? ここのceviche(注:刻んだ魚と薬味をマリネにしたメキシコ風前菜)は今までのベスト!エビも丸のまま、そしてタコがトロトロ甘~い!
 とりあえず、今日は寝ます。 もうすぐ夜中の12:00です。では~。
 PS:ホテルについて、既にナンパ3人目!! ん~っ、さすがメキシコ。』

 メキシコ・カンクンは、気候も人も常夏である。
                (2013年5月:写真:、満開のナンジャモンジャ)