蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

芽吹きの頃

2005年02月26日 | 季節の便り・花篇

 名のみの春の冷たい風が過ぎる。時たま漏れる日差しも凍てついた大地に吸い込まれ、照り返す勢いはない。読書会の仲間たちとの暖かいひとときを過ごした後の安らぎの中にいた。
 2年がかりで読み進んでいる古事記の学びも豊かな時間だが、それ以上にたゆたうように過ぎていく心安らぐ語らいのひとときが嬉しい。家内に連れられて女性ばかりの中に入れてもらった。万紅の中の緑一点、というにはいささか色あせた緑なのに、居心地の悪さを微塵も感じさせない優しさが、月に一度の温もりの時間をもたらしてくれるのだった。
 還暦を遠く過ぎ、身近な人を喪うことの多い年代になった。避けられないこととは云いながら、師走から3ヶ月で11件の訃報はさすがにこたえた。如月晦日近い早春の寒風が一段と身にしみる。
 3日前のことである。まだ時たま雪雲に覆われる季節というのに、庭の片隅では早くも小さな春が芽生え始めていた。
 去年、2年がかりでふた株に増やしたヤマシャクヤクを、雨と日照りと長旅の乾きのために駄目にした。幾つもの鉢を駄目にした中で一番気落ちしたのが、この清楚な純白の花を咲かせる鉢だった。未練がましく整理できないままに放置していたその鉢をそろそろ片付けようと表面の土を払いかけたとき、指先に固く触れるものがあった。そっと土を払った目に飛び込んできたのは、何と、ヤマシャクヤクの新芽だった。思わず声を挙げていた。
 庭の片隅で何事もなかったかのように復活した小さな命。しかも、ふた株を4株に増やして、ヤマシャクヤクの新芽は早春の冷たい風の中でさりげなく空を指さしていた。思いがけない復活の喜び、そう、これが春なのだ。
 四季の移ろいは人の心を豊かに育んできた。冷たく厳しい冬枯れがあるからこそ、早春の芽吹きが嬉しい。脆さと逞しさを併せ持つ小さな命に、今年も何かを教えられた…そんな思いで空を見上げた。
 今朝、加速する環境破壊の影響で、地球上5000万種の生物は15分に1種の割合で絶滅し続けているという記事を読んだ。逞しい生命力に圧倒されながら思う。まだ間に合うかもしれない…そんなかすかなときめきが風の冷たさを忘れさせてくれる。
 鉛色の空さえが優しく感じられる午後だった。
             (2005年2月:写真:ヤマシャクヤクの新芽)

梅花散る

2005年02月17日 | 季節の便り・花篇

 満開の飛梅が、戯れる寒風にほろほろと散った。2月17日、大宰府天満宮「祈念祭」。五穀豊饒を祈るこの日から農事が始まる。豊饒を祝う11月23日の新嘗祭に至る地道な農作業事始めの祭である。
 朱塗りの本殿の前の椅子に座り、頭を垂れた。折からの入試に向けて学業成就を祈る参拝客や観光客のざわめきが、宮司の朗々とした祝詞に包まれていく。
 町内の隣組の評議員に選ばれ自治会長に選任されると、自動的に公民館長となり、市の行政区の区長として特別職地方公務員を拝命し、区長協議会の幾つかの委員会の中で「太宰府市明るい選挙推進協議会」会長に推挙され、さらに太宰府天満宮伝統文化振興会役員となり…こうして次々と肩の上に役職が重なって、いつしか40年近い企業人としての垢をそぎ落とし、地域に溶け込んできた。既に4年が過ぎようとしている。
 お陰で百年に一度の菅原道真公「御神忌一千百年大祭」の全ての神事に参列するという得難い経験をした。「太宰府市市制二十周年」にも立ち会った。百年の夢を叶えた「九州国立博物館」の起工式と竣工式にも招かれた。望んで叶えられるものではない。それは時の運だった。殆どの仕事はボランティアだが、精神的に報いられたものは大きかった。
 身近になった天満宮が、今梅の盛りを迎えようとしている。献梅で増え続ける境内の梅の木197種6000本が、色とりどりに1月から3月まで花をつないで、天満宮が最も華やかになる季節である。巫女の「榊の舞」の奉納の後、玉串を捧げて式典が終わる頃、木枯らしにさらされた身体はすっかり冷え切り、直会の席の熱燗が腹にしみた。
 例年、大晦日に天満宮の傍らの光明寺で除夜の鐘を撞くのが我が家恒例の過ぎ越しの儀式となって久しい。娘婿と小学校2年生の孫娘を連れて、この年の煩悩を払った。孫は真剣な面もちで初めての鐘を見事に響かせた。
 「農事の祭は祈りと感謝。全ての人々にあまねく祈りと感謝の心が行き渡れば、世の中はきっと平和になるでしょう」と結んだ宮司の挨拶が心に残った。
 梅の香りを拡げながら、ひと雨ごとに太宰府の春が近付いてくる。
              (2005年2月:写真:飛梅)

命、眩しく

2005年02月11日 | 季節の便り・虫篇

 裏阿蘇。小雨の夜の薪文楽の素朴な世界に酔って、天文台の傍らに立つロッジで一夜を過ごした。目覚めて歩いた秋の高原、一面ウメバチソウが群れ咲く中で、秋草の葉末に隠れるようにヤマトシジミがひっそりと交尾していた。新たな命を生み出す行為は美しい。カメラを向けるのがためらわれる程に穏やかで、それでいてどこか厳粛な営みだった。
 この大地には数え切れないほどの命が息づいている。種が豊かなほど自然は奥深い。その豊かな地球というひとつの生命体が、今危殆に瀕している。発情期という自然の掟を喪ったときから、人類はその繁殖力で地球の支配者という傲慢な錯覚に陥った。地球誕生から47億年、人類は僅か20万年、地球の一生を1年に例えると、大晦日の午後11時37分に生まれたホモ・サピエンスは、地球が1年がかりで培ってきた豊かな資源と環境を、僅か23分間で回復不能なところまで破壊しようとしている。
 豊饒の諌早湾にギロチンを落として干潟を死滅させた干拓工事、どんなに屁理屈をこねても、そこには土建屋に操られる族議員と無定見な官僚の醜い利権しか見えてこない。沖縄・辺野古の海を埋め立て、貴重な珊瑚礁とジュゴンの生息権を奪う米軍の軍事基地工事も、貧しい外交のツケでしかない。
 先日、国連の「ミレニアム生態系アセスメント」の調査結果が発表された。凄まじい警鐘だった。過去40年間で森林や草地の14%が破壊され、20年間でマングローブの林の35%が消失、100年間で絶滅した鳥や哺乳類や両生類は分かっているだけで100種、これは自然に起きる絶滅の1000倍もの速度という。「このままでは地球は危篤状態に陥る」と結ばれたこの報告の重みを、日本は勿論、世界中の時の為政者達はどれだけ深刻に受け止め得たのだろう。沖縄・北部の森に棲むヤンバルクイナが、発見されて僅か20年で絶滅に瀕していることを、果たしてどれほどの危機感で受け止めているのだろう。期待に空しさを重ねながら、やりきれない怒りだけがくすぶり続ける。
 小さな命を限りなく大きな心で包む優しさを、人はいつ取り戻すことが出来るのだろう。あの秋の日、重ね合うヤマトシジミの小さな羽を慈しむように、朝日が優しく包み込んでいた。
              (2005年2月:写真:ヤマトシジミの交尾)

風 薫 る

2005年02月05日 | 季節の便り・花篇

 芽吹きから新緑に向けて、木立の緑が最も透明に輝く季節である。若葉を透かして、木漏れ日が眩しい光を惜しげもなくちりばめる。下界では初夏の気配漂う頃なのに、1000メートル近い山ではまだ早春の息吹が残っていた。季節は定まる前の移ろいの頃が良い。吹きすぎる風に汗ばんだ肌をなぶらせながら、胸に構えたカメラを揺すり上げた。
 昨日はすがもり越えから三俣山(1745メートル)に取り付き、急坂を登って四つの嶺を踏み、頂近い窪地の大鍋の底で弁当を食べた。風が届かない日溜まりの底は紫外線たっぷりの日差しで暖められ、友人のザックから魔法のように現れた缶ビールが喉に染みた。
 山野草探訪は「登る」と「撮る」を峻別しないと息が上がる。蹲り、腹這いになって花を覗くには呼吸を止めなければならず、喘ぎ登る楽しみとは両立しないのだ。山頂から遙か目の下のヒュッテで待つ家内にメールで写真を送りながら、初夏の日差しと緑の風に戯れていた。
 今日も惜しげもなく木漏れ日が降り注ぐ。ユキザサが白い穂を垂れ、ワダソウが花弁にゴマのような雄しべを散らせ、ヒトリシズカが小さなブラシを立てる。おどけたチャルメルソウが小さなラッパを吹く。花々が一斉に命を謳い始めるこの季節の散策は嬉しい。シロバナエンレイソウが、チゴユリが、ヤマルリソウが、ニシキゴロモが、ネコノメソウが、ルイヨウボタンがと息つく間もなくカメラの前に現れて心が弾む。無心に花達が繰り広げる饗宴に酔い痴れるばかりだった。
 急な山肌に真っ白なヤマシャクヤクが一輪咲いていた。木に掴まりながらよじ登り、ずり落ちそうな無理な姿勢でカメラを向ける。童が天に向かって両手を差し伸べるように葉を拡げ、凛として白い花弁を丸める姿は吸い込まれそうなほどに気高く、開き切る前の、少し口もとを拡げて黄色い雌しべを覗かせた頃は何とも言えない風情である。心ない花盗人から隠すために枯れ枝で囲いながら、心優しい山友達が気を遣う。花の季節、いつ来ても盗掘の跡が絶えないのは哀しい。
 又、風が鳴った。遠く木立の奥からキツツキのドラミングが転がってくる。ヤマシャクヤクの花びらがヒラリと風に舞った。
           (2005年2月:写真:ヤマシャクヤク)