蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

命の連鎖

2019年09月06日 | 季節の便り・虫篇


 玄関の壁に、一匹のアブラゼミがとまったままで命を終えていた。もう1週間以上になるだろうか。蟋蟀庵を最後の憩いの場として、ひっそりと短い一生を終えた姿が愛しくて、そのままにしていた。
 非常に強い台風13号が沖縄を暴風雨に巻き込みながら、次第に九州の西の海上に近づいている。時折小さなつむじ風が窓を叩く。軒先に提げたウインドチャイムが、姦しく風に鳴る前に取り込もうと玄関に回ったとき、目の前でツグミがホバリングしながらアブラゼミの遺骸を攫っていった。一瞬のことだった。偶然目にした命のリレーに、ツグミを責める気にもならず、息を呑んで見守っていた。
 食物連鎖、それは命の連鎖でもある。

 庭先で、ジガバチが頻りに穴を掘っていた。耳を近付けると、「ジガジガ」と翅を震わせる音が、穴の奥から聞こえる。ジガバチという名前の由来になった翅音である。あの細い身体で、固い土を掘り上げるには大変な力技がいるだろう。掘っては運び出し、辺りを窺っては又穴に戻っていく。その繰り返しに、見る間に掘り上げた白い土が盛り上がっていく。地表の下の土は、こんなに綺麗だったのかと、妙な感心をしながらカメラを構えたまま見守っていた。
 ジガバチ……狩り蜂の仲間である。シャクガやヤガの幼虫を狩って穴に運び、卵を産み付ける。やがて孵った幼虫は、その生餌を食べながら冬を越す。

 中学生の頃……昆虫少年真っ盛りだった頃、同じ狩り蜂の仲間・クロアナバチの巣作りを観察して、「クロアナバチの造巣」という小論文を書いたことがあった。2階の書斎の棚のどこかに、まだその原稿が残っている筈である。黒い大型のクロアナバチは精悍で、いかにも狩り蜂という風格があった。大きな羽音も王者の響きがあった。
 暑い夏の数日を、幾つもの巣作りを見守りながら蹲って過ごした。わざと小石や割り箸を置いて巣作りの邪魔をし、その障害物をどうやって取り除くかを見守るという意地悪も仕掛けた。
 その頃はネットなどという便利な情報源もなく、ひたすら自分の目で見た事象だけを記録し続けた。夏休み中だったから学校の図書館も閉ざされており、昆虫図鑑で確かめるすべもなかった。この蜂は、スズムシなどのキリギリス科の昆虫を狩る。針を刺して麻酔を掛け、生きたままの状態で産卵する。だから幼虫が孵ったときにも、まだ餌は生きている。
 スズムシを鷲掴みにして巣に戻った姿は、いかにも誇らしく、命のリレーを敢然と行っている姿は今も目に焼き付いている。

 ジガバチは、巣穴を掘り終えると、いったん小石で蓋をして狩りに出掛ける。獲物をしとめて帰って来ると、小石をどけて穴の中を点検してから獲物を運び込み、産卵して再び蓋をして飛び去る……筈であった。しかし、掘り下げた直径1.8センチほどの巣穴を残したまま姿を消した。
 一日待ったが、再び姿を見せることはなかった。何が障害になったのか……掘った穴が気に入らなくて移動したのか……以前にも、一匹が幾つも試し掘りしては場所を変えることがあったが、掘り出した砂の山を見るとほぼ完成した状態である。狩り蜂自身が何者かに狩られたのか……我が家の庭にも天敵はいる。もし狩られたとしても、それも一つの命の連鎖である。
 34.8度の、残暑厳しい午後だった。

 蟋蟀庵の小さな宇宙で、日々繰り広げられる命の連鎖に感じ入りながら、次第に厚くなる雲の佇まいを見上げていた。
 昆虫老人、今日も健在である。

 昨日、「男の料理教室」の帰りに、ご近所さんからカボスをいただいた。今夜は秋刀魚の塩焼きにしよう。
                  (2019年9月:写真:ジガバチの巣穴造り)

溢れ蚊(哀れ蚊)

2019年09月03日 | つれづれに

 ようやく、蟋蟀庵が溢れるようなコオロギの声に包まれる季節になった。ホッとひと息をつく一方、そろそろ季節の変わり目の不調が現れるという溜息も混じる。
 暑いシャワーの後で浴びる冷水が、少し躊躇いがちになる季節である。

 嫌な季節が続いた。鬱陶しい梅雨が明けると38度の猛暑の日々が続き、更に豪雨が10日ほど屋根を叩いて8月が去った。夏に強かった筈の身体も、さすがに38度はキツイ!平熱36度5分、熱に弱い体質だから、37度の微熱でも嫌で、38度を超えると天井が回り出しかねない。「令和」発祥の地といいながら、県下一とか日本一とか、太宰府が最高気温でニュースになるのはありがたくない。

 豪雨は無事乗り切り、少し秋風が立ち始めたかと思っていたら、今日はまた33.5度と残暑のぶり返しである。幾つもの台風や台風の卵が、日本列島に向けて熱波を送り込んでくる。バハマを襲ったハリケーン「ドリアン」は、瞬間最大風速82mという。こんなスーパー台風が来たら、日本の家屋はひとたまりもない。それがあり得ないことではないところが、最近の地球温暖化による異常気象の怖さである。

 アメリカの娘から、恐ろしいニュースが届いた。
 「 米カリフォルニア州南部サンタクルーズ島沖で2日未明、ダイビングボートの火災があり、沿岸警備隊によると、これまでに8人が死亡、26人が行方不明になっている。
 火災はサンタクルーズ島沖に停泊していたダイビングボート『コンセプション』(全長約23メートル)で同日午前3時14分ごろ発生した。同船には乗客33人と乗員6人の計39人が乗船していた。」
 11年前、同じカリフォルニア州サンタ・カタリナ島の島陰に泊めた35人乗りのダイビングボートに3日間泊まり込み、スキューバダイバーのライセンスを取った。同じタイプのボートであり、場所も近い。甲板の下が蚕棚のベッドルームになっており、耳元辺りに海面があって、夜通しチャプチャプという涛音を聞いて眠った。昼間のダイビング訓練で疲れ果てて、ぐっすり眠りこんだ夜中の火事である。甲板から火が出たら逃げ場がない。しかも、乗組員はいち早く海に飛び込んで無事という。信じられないことである。他人ごとではない戦慄のニュースだった。
 小柄な黒人から、元気いっぱいの白人、15歳とは思えないような豊満な東欧人、人種多様な18人の高校生の中で、たった一人の日本人、69歳の私がいた。彼らは集団訓練、私だけが個人特訓を受けた。リーダーのインストラクターが娘婿だったから、そんな特別扱いが許された。但し、訓練は手加減なく厳しかった。レギュレーターの操作を誤れば、そこは死の世界。20メートルの海底で、ジャイアントケルプに絡まれながら、三日間の特訓の後、200ページのテキストを読み解いて50問の筆記試験を受け、ようやくライセンスを取得した……そんな思い出に耽りながら、焼け落ちるダイビングボートの動画を暗然と見守っていた。
 今年もとうとう沖縄・座間味島の珊瑚の海に潜ることもなく夏が終わった。穴場と決めていた6月20日から月末まで、本来なら沖縄の梅雨明け直後の最も静かな時期なのだが、今年は雨続きだった。行かなくてよかった……と、これは苦しい負け惜しみである。
 
 雨上がりに、庭の隅々まで屈みこんで雑草を退治した。小さな蚊が、ちょんちょんと刺し逃げする。早くも、哀れ蚊の佇まいである。8時間有効な藪蚊バリアーを噴霧しながら汗を流した。
 哀れ蚊……「見るからに弱々しく、人を刺す力もない蚊」とネットにある。どうしてどうして、そんな哀愁漂う風情ではない。ちょんちょん射しでありながら、これがけっこう痒い。そして、日本伝統の○○カンという痒み止めが全く効かないのだ。
 ネットで見事な蚊の写真を見付けた。これは借用せざるを得ないと思った。夕映えを背景に、傲然と針を立てる蚊の精悍で憎々しい姿は、これが蚊でなければマカロニ・ウエスタンに通じる哀感さえ漂う。
 「哀れ」という言葉は、「しみじみ心に染みる感動、また、そのような感情」と解してある。やはり、何か心を誘うものがあるのだろう。探してみると、感じ入る俳句がたくさんあった。

    溢れ蚊に慕はるるこそわりなけれ   相生垣瓜人
    溢れ蚊にこころの隙を突かれたる   山口 孝枝
    哀れ蚊にからかはれてもをりにけり  相生垣瓜人
    哀れ蚊に不敵なる蚊の雜りゐし    相生垣瓜人
    溢れ蚊や夕べは六腑衰へて      桂  信子

 さだまさしの「晩鐘」にも、こんなフレーズがある。
    「時を失くした哀れ蚊の様に 散りそびれた木犀みたいに」

 どう詠われようと、痒いものは痒いのである。
         (2019年9月:写真:蚊……ネットから拍手を添えて借用)