蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

雷鳴轟く夕べに

2013年08月31日 | つれづれに

 激しい雨脚が二日続いた。降り始めからの太宰府市の雨量、382.5ミリ!深さ40センチのバケツの水を、太宰府市全域にぶちまける、この自然の脅威は何だろう!

 8月晦日前日、猛々しい雷鳴に家鳴り震動した。慄く犬が吠える。テレビの音が聞こえないほどの豪雨が続いた。幸い、ここ蟋蟀庵に出水の不安はない。水害の不安に駆られ、轟く雷鳴に耳を塞ぐ人たちには誠に申し訳ないが、雷大好き人間のとっては、血沸き肉躍る夕べだった。
 夕飯を摂りながら、部屋中のカーテンを開け、石穴神社の杜の右肩の闇に落ちる稲妻を愛で、びりびりとガラス戸を揺する轟音に、苦しめられたこの夏への鬱憤を晴らした。「2階の方がよく見えるかも」と、家内が箸を置いて階段を駆け上がる。おかしな夫婦である。

 若い頃から雷に惚れ込み、沖縄でも、この太宰府でも、雷雲が近付くと追っかけを楽しんだ。まだアナログカメラの時代に、ここぞと思う方向にカメラを構えて、シャッター開放で落雷の瞬間を待ち続ける。その一瞬にシャッターを落とし、見事に稲妻を捕えたときの快感!その貴重な写真が、今も手元にある。ネガの行方は、もうわからないほどの昔である。プリントを引っ張り出して、改めて接写してみた。
 一瞬の目には1本の光の刃にしか見えないものが、これほど複雑な模様を空に描き出しているとは驚きだった。天を駆ける龍に擬えた古人の感性は素晴らしいと思う。以来、いつもバッグの中に持ち歩く一枚になった。

 近くに落ちて、稲妻と雷鳴が殆ど同時に届く瞬間の緊迫した昂揚がいい。光って轟音が届くまでの秒数を計り、距離を読むのも楽しい。又、鉄球を引き摺り転がすような遠雷の風情もいい。忘れ雪の頃の突然の春雷、梅雨の終わりの激しい雨に轟く雷、夕立を伴う束の間の夏の雷は、時折美しい虹を空に架ける先触れだった。
 時には怖い思いもした。夏山で出会った雷は、首をすくめて岩陰に逃げ込んで通り過ぎるのを待った。海水浴の沖で襲われて、海面に出た突起物の頭に落ちないことを祈りながら、ひたすら岸に向かって泳いだこともあった。

 広島に赴任中の会社勤め最後の6年間、月に一度留守宅に帰って風を通し、庭の草取りに励んだ。ある時帰ってみたら、仏間のコンセントの蓋が吹き飛び、壁が黒く焦げていたことがあった。アンテナに雷が落ちたのだろう、テレビ、ビデオ、アンテナなどすべてのAV機器がやられて、家財保険の世話になる羽目になった。幸い、買った時の定価で補償する保険に入っていたから、年々低価格化が進んでいた家電製品に時価の倍以上の補償が得られて、ワンランク上のAV機器に買い替えることが出来た。まさに焼け太りである。
 写真で見る落雷の主流でなく、脇の1本が落ちたのだろう。主流だったら、おそらく家一軒を焼く羽目になったかもしれない。

 束の間雲が切れて、豪雨が一瞬やむことがある。それを待っていたように、虫の声が庭に満ちる。その逞しい生命力に感じ入るのも、この夜の醍醐味だった。
 前夜、何故か浅かった眠りに瞼が重くなり、9時過ぎに早々とベッドに入った。私には、夜を轟かせる雷鳴も心地よい子守唄である。夜半まで豪雨が続き、雷鳴も断続したらしいが、今朝6時まで、爆睡する私の眠りを妨げることはなかった。

 8月が逝く。暑く重い夏の疲れが身体に澱む。初めて「憎い!」と思った今年の夏だった。
 小学生を集めて12年塾長を続けた「夏休み平成おもしろ塾」も、今年で閉じた。編集を続けて13年目を迎えた町内月刊広報紙「湯の谷西便り」153号に記事を掲載し、「想い出いっぱいの12年間の歴史を閉じました。長い間ご協力をいただいた皆様、本当にありがとうございました」と書きながら、感無量だった。

 ……夏が終わる。
                    (2013年8月晦日:写真:落雷)

<追記>
 8月29日に降り始めた雨は、秋雨前線に台風17号の追い打ちを加えて降り続き、9月4日までやむことはなかった。ようやく青空が戻った9月4日までに、太宰府の雨量は526ミリに達し、この時期の平年の3か月分に及んだ。
 ゲリラ豪雨は全国に拡大、関東の相次ぐ竜巻まで加わって、歴史に残る異常気象が続いている。

 福島原発の汚染水の水漏れは解決のめどさえ立たず、ようやく政府あげて対策に乗り出したが、遅きに失した感は否めない。最終処分の道筋すらつかない中で、行政も電力会社も懲りることなく、原発再稼働を進めようとしている。唯一の被爆国でありながら、この愚かさは何だろう。世界に、そして人類に対する責任を、日本は果たし得るのだろうか。
 その事態に他人事のように目を背けて、東京オリンピックを誘致しようとする厚顔無恥を、異常気象が容赦なく叩きのめしていく。

 ……亡びの笛が聞こえる。

目で涼む

2013年08月14日 | つれづれに

 夕刻、又この団地に救急車が入った。連日の猛暑は容赦なく、熱中症との果てしない戦いに倦み疲れ、喘ぐような毎日を送っている。太宰府の昼下がり、35.6度の気温にも、もう驚きもしない。時に体温を超える暑さに見舞われながら、異常が異常でなくなった気象に耐える。ひたすら耐える。

 クマゼミも、もう鳴かない。8月2日に初鳴きを聴かせたツクツクボウシも、ここ数日我が家の庭で声が途絶えた。虫たちにもつらい残暑なのだろう。
 「体が小さい昆虫は体表から水分が蒸発しやすく、水分を探し、補給できるかが生死に関わる問題とされてきた。当時は、昆虫は感覚器で外気の湿度を感じていることが分かっていたが、その仕組みは解明されていなかった。」
 1980年から福岡大でゴキブリの感覚器の研究に取り組んでいる、横張教授の記事を新聞で読んだ。ゴキブリが触覚で湿度の高低を感じる仕組みを世界で初めて突き止めたという、こだわりの研究者である。

 ネットのウィキペディアによれば、「ゴキブリが出現したのは約3億年前の古生代石炭紀で、『生きている化石』ともいわれる。全世界に約 4,000 種、うち日本には南日本を中心に 50 種余り、世界に生息するゴキブリの総数は1兆4853億匹ともいわれており、日本には236億匹(世界の1.58%)が生息するものと推定されている。」
 その生命力と環境変化への順応力の強さは、遠く人間の及ぶところではない。誰もが忌み嫌う心理の底には、その逞しさに対するやっかみもあるのかもしれない……などと、意味不明の感嘆詞を心に呟きながら、猛り立つ日差しを空しく睨みつける午後である。(因みに、最も古いヒト科の化石は500万年前のもので、エチオピアで発見された。)

 東側の仏間の腰高窓の外に園芸用の柱を立てて格子を組み、ネットを張ってある。例年そこに夕顔の蔓を這わせ、夕暮れに大輪の花を見て微かな甘い香りを楽しむのが恒例になった。
 その夕顔の間に、今年はご近所からいただき、種子から育てたオキナワスズメウリの苗を植えた。(何故か、リュウキュウネズミウリと何度も名前を間違えて家内の失笑をかった。一度刷り込まれた記憶を改めるのは容易ではない。)糸のように細い螺旋状の蔓をネットに絡ませながら勢いよく育っているが、まだ花を着ける気配はない。色とりどりの手毬のような実を着けたら、写真を撮ってブログに書こうと昨秋から楽しみにしているが、この猛暑の中、まだまだ遠い先の話である。
 朝日が昇ると、その影が障子に映る。束の間の涼を目に映して、我が家の一日が始まる。

 西に傾いた夕日の中を、遠く石穴神社の杜で鳴くアブラゼミとツクツクボウシの声を聴きながら、乾き切った庭に水を撒く。隣りの父の家を売るとき、裏に掘った井戸の蛇口一つの権利を残した。お蔭で福岡大渇水の時も気兼ねなく水を使えたし、豪快に庭木に水を撒くことが出来る。
 ホースの飛沫を避けて、今日も2匹のハンミョウが虹色の翅を煌めかせながら飛び遊ぶ。昨年2月、早春の晴れた日に塀から顔を覗かせて以来、どうやら我が家の庭で世代交代を繰り返しているようで、この夏も毎日庭で遊ぶ姿が見られた。こんな自然とのふれあいは嬉しい。
 八朔の枝先に取り残された蝉の抜け殻がひとつ、風に揺れていた。(残り50個ほどの抜け殻は、回収して軒下の籠に収めてある。特に、どうしようという目的があるわけではないが、何となく……)
 庭石の側面に、フクログモが長い袋を幾つも立てていた。夕風の中に微かな秋の気配を探しながら、小一時間の撒水を終えた。ふくらはぎを、しっかり藪蚊が刺していた。例年になく少ない藪蚊だが、雌は生き血を吸わないと卵を産めないから、ある程度仕方がないと諦めているが……やっぱり痒い!

 父の庭から移し植えた松の根方で、ヒメミズギボウシが咲いた。そして、庭の片隅でカネタタキが小さな鉦を叩きはじめる。小さな秋の先触れである。
                 (2013年8月:写真:障子に映る涼感)