蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

秋……沖縄旅情!?

2014年09月18日 | 季節の便り・旅篇

 「え、こんなところにさんぴん茶?」

 1泊2食12.000円が半額の6.000円というモニター宿泊券が当たった。このところ少し出不精になっていた身体に弾みをつける意味もあって、秋路のドライブに出た。
 長雨の8月が過ぎ、仲秋の名月を仰いで、やがて寒暖の激しい秋が来た。庭のあちこちに白い彼岸花が立ち、お向かいの庭からスズムシの涼やかな鳴き声が届く。肌寒い朝夕が続いたかと思うと、また真夏日の昼が来る。移ろう季節の波動に振り回される昨今である。

 少し風邪気味を葛根湯で押さえながら、気怠い身体に一般道の曲折が煩わしくて、筑紫野ICから九州道に乗った。鳥栖で大分道に踏みかえて杷木ICで降りると、もう5分ほどで筑後川温泉に届く。40分あまりの身近な温泉でありながら、すぐ手前の原鶴温泉の陰に隠れて、今まで訪れることがなかった。
 「清乃屋」……チェックインを済ませて部屋に案内される途中、通りかかった売店の棚にあったのが沖縄のさんぴん茶である。
 「え、何で?」……そればかりではない。沖縄そばや大好物のそーきそばをはじめとする沖縄の物産がいろいろと並んでいる。聞けば、女将が沖縄の出身だという。玄関脇には見事なシーサーが一対、それも型で作ったお土産用の焼物ではなく、瓦職人が手コネで作った二つとない本物のシーサーだった。

 窓の外には、坂東太郎・利根川、四国三郎・吉野川と並ぶ筑紫次郎・筑後川を望み、吐口から流れる掛け流しの湯船は、今日も独り占めだった。トロリと肌に纏わる湯質は原鶴に似ているが、結構硫黄分も強く、気付いたらシルバーの指輪が真っ黒に変色していた。(翌朝、女将がアルミ箔を敷いた器に重曹をお湯で溶かして、綺麗に元に戻してくれた。裏ワザである。)
 少し湯当たり気味の身体を珍しい真四角の琉球畳で休めて、やがて部屋食の夕餉の席に3年目という若女将が挨拶に来た。30分以上だったろうか、料理が冷めるのも忘れて、懐かしい沖縄の話が弾んだ。思いがけないところで出会った沖縄旅情。エレベーターのカーペットには海の青とハイビスカスをあしらい、「めんそ~れ ようこそ うきは市へ」とある。沖縄育ちの女将が、慣れない温泉宿の経営に試行錯誤しながら努めている姿が印象的だった。
 ふと、座間味島のサンゴ礁に群れる魚の姿が蘇る夜だった。

 翌朝、「調音の滝」を訪ねた。耳納連山の主峰・鷹取山を源流とする、高さ27メートルほどの爽やかな滝だった。案内板によれば、崖の上からイロハと描くように流れ落ちる姿から、「イロハ滝」とも言われ、天保年間に久留米藩主・有馬頼永公の奥方の晴雲院が領内巡行の際に立ち寄られ、水の流れる音がまるで天然の音楽を奏でるように聞こえることから、音の調べ「調音の滝」と名付けられたという。朝風呂の温もりに包まれた肌に、滝の音を送り落とす涼気が心地よかった。

 道すがら時折車を停めて、刈り採る稲穂の畦道に並ぶ真っ赤な彼岸花をカメラに切り取り、道端のススキを刈り、筑後吉井の白壁の町並みにある河童のお店で和菓子を求め、小さな秋旅を終えた。仕上げは朝倉の山間にある「りんご庵」でパスタランチ。勿論、お土産は隣接する「林檎葡萄の樹」の名物・アップルパイである。
 僅か110キロのミニ・ドライブでも、濃密な秋が味わえる。蟋蟀庵の立地も捨てたものではないとほくそ笑みながら、1日で5度も下がった気温にうたた寝の肌が寒く、ついつい肌布団を被った。紛れもない秋の夕風である。
             (2014年9月:写真:手捻りのシーサー)

秋風立つ

2014年09月10日 | つれづれに

 雨の8月が去り、ようやく訪れた快晴。空を行く雲は、早くも秋の佇まいだった。入道雲を殆ど見なかった夏。熱中症で運ばれる救急車のサイレンが激減した夏、庭のいたるところに緑色の苔が生えた夏、日照時間が1980年(昭和55年)以来、史上2番目に少なかった8月、降り続いた雨は462.5ミリに及んだ。身体中に黴が生えそうなほどの、濃密な湿度に喘ぐ毎日だった。
 だから、朝晩吹き始めた秋風の先駆けがいつになく爽やかに懐かしく感じられる。夜毎蟋蟀の声が冴えわたる季節である。エンマコオロギ、ツヅレサセコオロギ、ミツカドコオロギ……それぞれの音色で、秋の夜長を少し切なく紡いでいく。我が陋屋を「蟋蟀庵」と名付けた所以である。

 庭木の山茶花に、チャドクガが異常発生した。雨続きで遅れに遅れていた消毒に、出入りの植木屋がすっ飛んできた。
 ネットに曰く「毒針毛は非常に細かく、長袖でも夏服などは繊維のすきまから入り込む。直接触れなくても木の下を通ったり、風下にいるだけで被害にあうことがある。またハチの毒などと違って幼虫自身の生死に関わらず発症するので、幼虫の脱皮殻や、殺虫剤散布後の死骸にも注意が必要である。被害にあったときに着ていた衣服は毒針毛が付着しているので、取扱いに注意する。成虫も毒があり、卵塊は成虫の体毛に覆われているので、幼虫の時期のみでなく年間通じて注意が必要である。」
 虫好きとは言っても、ありがたくない客である。

 更に曰く「毛そのものに毒があり、非常にもろく折れやすいため、痒みを感じて掻き毟ることで知らぬ間に断片が細分化・伝播し、腕全体や体の広範囲に発疹が生じる場合が多く予防も困難である。毒針毛の知識をもたず、単に蚊に刺された程度と軽く考え、ほうっておくとだんだん全身におよび、痛痒感で眠れなくなる。発熱やめまいを生ずることもあり、そのままにしておくと長期に亘ってかゆみが続くので、速やかに医師の診察を受けたほうが良い。…一般市販薬ではまず効果はみられないので、症状が重くなる前に迷わず医師の診察を受け処方薬を使用するのがよい。」(中学時代に飼育箱で飼ったことがあった。大胆にして無謀!侮るには恐ろしい毒虫である。)
 
 散布後、山茶花の枝から300匹ほどの幼虫が落ちた。死滅後も、毒針は風に舞うから、皮膚が弱い家内には、当分山茶花に近寄らないように言い聞かせた。
 犠牲もある。消毒剤を庭中に散布したから、八朔の下でアゲハの幼虫が1匹、松の木の下で名前を知らないイモムシが4匹、スミレの鉢の傍でツマグロヒョウモンの幼虫が1匹落ちていた。コオロギの声も暫く途絶えるだろう。

 仲秋の名月。空は見事に晴れ上がり、石穴稲荷の杜の上から綺麗な満月が昇った。昼間、思い立ってススキを探しに走った。竈神社の脇を抜けて細い田舎道を走り登る。ない。内山、北谷辺りの人影のない山道を走り続けたが、やはりない。一旦戻って、四王寺山に駆け上がった。林道をひたすら走ったが、ススキの影も形もない。頂きを越え、宇美町方面に下り切ったところで、ようやくひと群れのススキを見付けて車を停めた。

 眩しい夕日に目をそばめながら走り戻り、玄関先の泡盛の甕に差した。秋が来た。

 あまりに美しい月の姿に、300ミリの望遠を嚙ませたカメラを向けてみた。微かに映るウサギの餅つきが、月の神秘をうかがわせる。あそこに人類が下り立った……なんてことは、今夜は思い出したくない。「影踏み」という遊びを記憶の底から呼び醒まして、かぐや姫と戯れるひと夜としよう。
               (2014年9月;写真:仲秋の名月)

<追記>
 生成りのヒガンバナが立った庭に、七色に輝くハンミョウが還ってきた。虫たちの命は逞しい。軒先に吊るした唐辛子の真っ赤な色が、一段と冴える朝である。