蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

暑さ、容赦なく

2019年07月26日 | つれづれに

 「カナ、カナ、カナ、カナ……♪」と、ヒグラシが黄昏を手繰り寄せる。午後7時、「少し鎮まったかな?」と庭に出て夕風を求めたが、ウインドチャイムはチリンとも鳴ることなく、温度計はまだ31.2度を指していた。
 あれほど待ちわびた梅雨明けだったのに、連日34.2度、34.4度と今年の最高気温を更新し続け、3日目にして36度を記録した。県下一番の記録であり、今年初めての猛暑日となった。
 「せめて夕立でもあればいいのに……」と、もう梅雨終盤の豪雨を忘れて、身勝手な呟きを漏らす夕暮れだった。

 読書会で「伊勢物語」64段目を読み終え、メンバー10人うち揃ってフレンチのランチに出掛けた。読み始めて2年5ヶ月、ようやく全125段の半ばを超えた。90歳近い最長老を筆頭に、平均年齢70歳を優に超えた仲間達である。全段読み終えることが出来るのだろうか?……お互いの胸中に去来する思いは同じである。太宰府の文化を支える有識者を何人も擁するハイレベルな仲間達との学びと語らいは、時を忘れるほどに楽しい。
 在原業平の、時に奔放、時に大胆、時に濃密、時に繊細、そして時に浅薄な世心――好色な気持ち(「世」には「男女の仲」という意味もあると知った)を、女性ばかりの中でただ一人の男として読み解くのは、時には居心地が悪いこともある。プラトニックラブなどなかった、遠い遠い昔のお話である。「逢ふ」とは、すなわち「肌を合わせる」ということだった。しかし、だからこそ、純粋に求め合ったこの物語は、いまだに読み継がれているのだろう。
 しかし、お洒落で美味しいランチに舌鼓を打ちながら、一抹の寂しさもあった。お気に入りのこのフレンチレストランも、店主夫妻の高齢故に9月いっぱいで店を閉じるという……歳月は人を待たない。来月は気功仲間と、そして9月には九州国立博物館環境ボランティア編集チームの仲間たちと、店主夫妻への別れの宴を持つ。

 軒下や玄関先のフェンス、台所や寝室の壁に這わせたフウセンカズラが、可愛い風船を幾つも風の中で踊らせ始めた。種子を委ねた友人が、見事に育てて届けてくれた十数本のフウセンカズラ(風船蔓)である。しばらく後に、やはり育てて届けてくれた亜熱帯性のオキナワスズメウリは、いよいよこの時期から蔓を延ばしはじめる。
 昼間の耳鳴りがするほどのセミの合唱、クマゼミとアブラゼミ、それに今年はニイニイゼミが元気がいい。
 「ワ~シ、ワシ、ワシ……♪」
 「ジリ、ジリ、ジリ……♪」
 「チイ、チイ、チイ……♪」
 姦しさが、暑さを一段と練り上げる。夏は好きな季節だった。気持ちは今も変わらないのに、年毎に暑さが心身を苛み削っていく。昔の夏は、確かにこんなに暑くはなかった
 「去年の今頃は、人工股関節置換手術の直前だったのに元気だったなァ。帯状疱疹をやってから、体力が落ちた!」と呟く……歳のせいにしたくない、年寄りの哀しい言い訳である。
 梅雨明けと共に、我が家のセミの羽化が停まった。一昨年の104匹、昨年の59匹、そして今年は35匹、この異常に少ない原因は何だろう。6~7年前の産卵数の反映なのか、季節の異常が加速しているせいなのか、それとも根から樹液を吸う八朔の樹の弱りなのか……憶測を重ねるのも、私なりの夏の風物詩である。

 昨夜の3輪に続いて、今夜も3輪の月下美人が間もなく芳香を拡げようとしている。ひとつの鉢は、カリフォルニアの娘の所から手折ってきた葉から育てた。原産地は同じ南米でも、多分メキシコ経由でアメリカに渡ったものと、台湾経由で日本に拡がったものと、昨年までは微妙な時差があった。いつの間にか日本の気候に馴染んで、同じ夜に咲くようになった。ここにも大自然の不思議がある。
 嫁入り先の読書会の仲間からも、「今、咲き始めました!」とメールが届いた。多分、他の3軒の嫁入り先でも綻び始めていることだろう。

 容赦なく攻め立てる猛暑の中で、いくつもの慰めを探しながら夜が更けていく。
                 (2019年7月:風に揺れるフウセンカズラ)

夏燃える……競演?狂騒?~饗宴!

2019年07月17日 | 季節の便り・虫篇


 月1回の読書会「はしばみ会」で、「伊勢物語」を詠み始めてもう2年になる。125段のうち、今月で63段を読み終え、ようやく半ばを超えることになった。このペースだと、あと2年で読了するだろう。
 私が参加してから、この20年で「古事記」、「おくの細道」、「枕草子」、「中国故事成語」、「伊勢物語」と、全て原語を音読し、講師は招聘せずに、仲間同士で解説し合って全文読むことを必須にしてきた。間で、時にはカミさん解説で歌舞伎のビデオを観たり、名作映画のビデオを鑑賞したりもする。7割勉強、3割お喋り、8月と12月はお休みという女性ばかりの和やかな会に、リタイア後に会員のカミさんにくっついて行って、緑1点として参加させてもらっている。「古事記」の時は、神話の故郷・宮崎県高原町を訪ねて、2泊3日のドライブ旅行をしたこともある。ガリ版刷りの資料作りから始まって、もう40年の歴史を持つ会である。
 私が担当してきたものは、「おくの細道」と「中国故事成語」、そして今回の「伊勢物語」である。平均 年齢70歳を超える仲間たちだから、文庫本では目がツラい。だから、昭和63年刊の角川文庫を原典に、「原文、脚注、補注、現代語訳」を、虫眼鏡片手にPCでフォント12Pの資料に打ち替える。A4で8ページ~10-ページを作成するのに、一日を費やす。原本は、もうバラバラ寸前である。目にはツラいが、これが私のボケ防止にもなっているのだろう。

 歩いて5分、車で2分の近場、太宰府天満宮大駐車場の前にJA直営の「ゆめ畑」という小さな道の駅がある。さすがに野菜の鮮度は、何処のスーパーにも負けない。それぞれ生産者の名前が書かれたさまざまな野菜が朝から次々に運び込まれる。採れる時は何処の畑もほぼ一緒だし、同じ野菜が大量に並ぶから、時に選ぶのに難儀する。
 長く通っていると、例えばこの野菜は誰々さんのがいい、地鶏のかしわお握りは誰々さんのが美味しい等という評判が囁かれるようになる。
 昨日、玄関の泡盛の古酒が入っていた壺屋焼きの壺に差す花を探しに寄った。底の深い大きな壺だから、お花屋さんに並ぶ普通の切り花では、短かすぎて格好がつかない。「ゆめ畑」には丈の高い花や木ものを置いてあるから、花が好きで玄関の演出に気を配るカミさんは、定期的に「ゆめ畑」に通うことになる。
 「えッ?」……一角にラッキョウが山積みになっていた。こんな時期にラッキョウ?Y農園の奥様が、我が家の為に丹精込めて育てて下さったひと畝分を漬け込んだのは、最盛期の5月だった。もう美味しく漬かったものを、毎日カリカリ食べているのに、この時期に?と驚きながら、1年分には少し足りないかな?と思っていたから、1キロ買い込んで早速その日のうちに処理して漬け込んだ。

 庭の落ち葉掃きの夕暮、八朔の下に見慣れた穴を見付けた。辺りを探すと、紫陽花の葉裏に1匹のクマゼミの幼虫がしがみついていた。こんな早い時間に、慌てものの1匹だった。
 夕食後、気になっていたガスレンジ回りと、フード換気扇の掃除を始めた。取り外し、油汚れを綺麗に拭きあげて終わったのは9時過ぎだった。昼間31.2度の暑さの夜である。汗まみれになって、カメラ片手に庭に下り立った。
 4時間を費やして、見事なクマゼミが誕生していた。翅脈にはもう体液が行きわたり、透明な淡い緑の翅がすっきりと伸びた初々しい誕生である。朝には褐色に染まった逞しい姿になって飛び立ち、日が高くなる頃には、「ワーシ、ワシ、ワシ、ワシ♪」と、命を繋ぐ伴侶に届けとばかりに声高く鳴き始める。アブラゼミの「ジリ、ジリ、ジリ、ジリ♪」との競演である。最盛期には、姦しいというほどの狂騒になる。
 転寝を妨げられても、我が庭で生まれた命と思えば、私にとっては何よりもの宴……
饗宴なのである。
 黄昏時には狂騒は鎮まり、代わって遠く石穴の杜で「カナ、カナ、カナ♪」ヒグラシが夜を手繰り寄せる。
 蝉に明け、セミに蝉に暮れる日々が始まった。夏が燃える。
                  (2019年7月:クマゼミの誕生)

一夜限りの絢爛

2019年07月15日 | 季節の便り・花篇


 昨夜生まれたクマゼミが、庭の木立で姦しく鳴きたてる。「ワ~シ、ワシ、ワシ、ワシ♪」という空気の振動が肌に突き刺さる……夏到来を実感させる瞬間である。
 二日降り続いた雨がやみ、今日は梅雨の中休み。遅れに遅れて漸く本番になったというのに雨量は少なく、水不足の心配は消えない。今週が早くも終盤、来週にも明けそうな気配である。殴りつけるような酷暑が来る。

 プランターのスミレの群生に、ツマグロヒョウモンの訪れが頻りである。近付いても逃げようとせず、スミレの株の根っこに潜り込んで尻尾を曲げて新芽に卵を産む。大きく育った葉でなく、これから伸びようとする新芽を選ぶ智慧に感動する。鳥糞状の幼虫が孵化する頃、柔らかく育った若い葉を食べさせようという巧みな母性本能を、こんな小さな虫が持っていることは、大自然の摂理の驚異である。
 「おいおい、そんなに卵を産んでも、このスミレの量では2~3匹しか引き受けられないよ!」
 毎年の悩みである。春、庭中のスミレをプランターに集めた。それでも足りることはない。いずれ数匹を間引きして、観世音寺裏の野性のスミレ畑に移すことは既に想定済みだった。

 今年は異常にセミの誕生が遅く、少ない。今日の時点で、一昨年は49匹、昨年は33匹、それに対し、今年はまだ9匹に留まっている。天候に左右されているのだろう。昨年のピークには、一夜で13匹が羽化したこともあった。昨年のピークは11匹、いずれもここ3日ほどが最盛期だった。

 博多祇園山笠フィナーレの追い山が終わった。15日4時59分、薄明の中を一番山・千代流れから、「舁き山笠(かきやま)」が櫛田神社から博多の街を駆け抜ける。何故、こんな中途半端な時間に一番山が走るのか?……それは、櫛田入りを果たした一番山は「祝いめでた(博多祝い唄)」を唄う。その時間を見て、櫛田神社から舁き始める時間が丁度5時になるように設定されているという。
 「オイサ、オイサ!」の掛け声に、勢い水(きおいみず)の飛沫が被る……博多の街に夏を呼び込む、勇壮な夏祭のフィナーレだった。

 その前々夜、4輪の月下美人が華麗に咲いた。(最近、「かれい」と入力して転換すると、「加齢」が先に出る。パソコンも、ちゃんと使う人物を認識しているのだろう。呵呵)
 我が家から嫁に行った2軒からも、「今、咲き始めました!」とメールが届く。元々は台湾から長崎に上陸した数株が全国に広がっていったものであり、謂わばクローンである。全国ほぼ同じ夜に、一斉に豪華絢爛な花を開く。8時頃から蕾が綻び始め、5分咲きになった頃に、一斉に甘い香りを放ち始める。馥郁とした熱帯性の香りは、窓を開けないと息詰まるほど濃厚である。それからおよそ1時間、10時過ぎる頃に満開となる。
 その華麗さ故に、一夜限りの儚い花である。朝には嘘みたいに萎んで、うな垂れてしまう。あとには、早くも次の蕾が7輪も育ち始めていた。ひと夏を越え、秋風が立つ10月頃まで、何度か夢のような夜を演出してくれるのだ。

 黄昏を待って、夕顔1号が咲き、フウセンカズラ1号が緑色の小さな袋を提げた。オキナワスズメウリも葉数を増やし、そろそろ蔓を伸ばし始めるだろう。
 我が家の庭も、俄かに夏に向けて走り出したようだ。
                  (2019年7月:写真:月下美人の華麗)

戦士の帰還

2019年07月05日 | 季節の便り・虫篇

 豪雨禍を免れた太宰府に、束の間の梅雨の中休みが訪れた。湿気を孕んだ大気が肌に纏わりつき、動くたびに汗が噴き出る。そんな中の32度は、快晴の34度以上に心身を苛む。今年の夏を乗り切れるかな?と、ふと弱気の虫が騒ぐ午後だった。

 最近、起き抜けの30分の下半身ストレッチの後、少し熱くなった身体をクールダウンするために、近くの石穴稲荷に詣でることを習慣にし始めた。一拝して一の鳥居をくぐり、二の鳥居で合掌して一日の息災を祈る。6時過ぎの早朝なのに、いつもウォ—キングのついでに立ち寄る人達がいる。いつしか顔なじみになって「おはようございます!」と声を掛け合うようになった。
 その二つの鳥居の間の道端に、幾本ものウバユリが立った。いつも落ち葉降り積む天満宮裏山の散策路で、スックと立つ枯れた楕円形の果実を見掛けていたが、花を見たことはなかった。
 50センチほど伸びた茎の上部に、横向きの蕾が並んで開花を待っていたが、ようやく今日綻び始めた。緑白色の花が満開になる頃には葉が枯れるから、歯(葉)のない「姥」にたとえて名づけられたという。何となく侘しいネーミングだが、実は「無垢」・「威厳」という立派な花言葉を持つ。
 女偏に老いと書いて「姥」。「姑」もそうだが、なぜか女偏の文字には、差別的なものが多い。男社会が作ってきた日本の文化、その名残りでもあろうか。男は、歳を経ても達観できず、いつまでも煩悩に振り回される生き物だから、「無垢」や「威厳」と縁がないのかもしれない。

 今年はダンゴムシが異常発生し、群れ為して繁殖に励んでいる。触ると丸くなるこの虫が、子供たちには人気の遊び仲間だった。虫が苦手な子供でも、結構ダンゴムシとは平気で遊んでいた記憶がある。
 ダンゴムシが大量に発生すると地震が起きるという民間伝承があるらしいが、落ち葉を食べて微生物が分解しやすいように土壌を改良する。穏やかなき生き物である。足を降ろす場所に迷うほど、ぞろぞろわらわらと歩き回っていた。

 我が家の庭に、戦士が還ってきた。緑色の光沢を輝かせながら大顎を嚙みあわせ、ビロードのような黒とも紫とも見える前翅に白い斑点を散らし、胸と前翅の間に赤い横帯を掛け、腹は金属光沢の青緑色で飾っている。これが我が家の戦士の戦闘服……晴れ着である。
 飛んでは走り、走ってはまた飛びながら、終日庭の蟻などの小さな生き物を貪っている。ダンゴムシまで食べるかどうか、まだ見たことはない。
 散策路の山道では、いつも数匹が歩く先に飛んで、野性溢れる「野うさぎの広場」への道を教えてくれた。ミチシルベあるいはミチオシエと言われているが、本名ハンミョウ(斑猫)は、この戦闘服の鮮やかな飾りに由来している。固い鎧を纏い、身体に似合わないほどの大顎、そしてその俊敏性から最強の昆虫とも言われている。
 昔の土の道は殆ど舗装され、彼らの戦場には似つかわしくなくなってしまった。我が家の土の庭は、狩りをするには格好の戦場なのだろう。数年前から、2~3匹が此処に棲みつくようになった。成虫で越冬することもあるが、この時期の出現は、多分新たにこの庭で誕生したのだろう。
  
 飛び走るハンミョウを目で追っているうちに、ふと睡魔が瞼を引き下ろしにやって来た。暫くうたた寝でもしようか Zzzz……。
               (2019年7月:写真:戦士ハンミョウ)

蜩1号、誕生!

2019年07月01日 | 季節の便り・虫篇

 どこの世界にも、慌て者がいる。6月26日、観測史上最も遅い梅雨入りとなった北部九州、その二日前に今年初めてのヒグラシが鳴いた。石穴稲荷の杜から届いたのは、たった一匹の鳴声……蝉時雨にはほど遠く、やがて三日ほどで途絶えた。連れ合いを見付けることも出来なかったのだろうか、慌て者に貰いは少ないのだろう。

 鉛色の梅雨空が覆い、一気に湿度が上がった。雨は確かに降ったが、熊本以南の激しい降りに比べて、ダムを潤すほどの雨ではない。
 降らねば困るし、降り過ぎても難儀だし、ほどほどにというのは難しい。天候ばかりは、文字通り天任せである。
    時によりすぐれば民の嘆きなり 八大龍王雨やめたまへ   源 実朝
 そんな古歌を思い出すことが多くなった。

 朝、ならしておいた八朔の根方に、見慣れた穴が一つ穿たれていた。慌てるなよ、梅雨はまだこれからだよ……そんな思いで毎朝誕生の地面を見守っていたのだが、昨夜は確かめることもなく、時折軒を叩く微かな雨音を聞くともなしに聞きながら眠りについたのだった。
 抜け殻を探して八朔の枝を確かめている眼に、いきなり飛び込んで来たのはゴマダラカミキリだった。黒地に白い斑点を散らして、長い黒白縞模様の触角をしきりに動かしている。胡麻斑髪切と書く。その姿は美しく、好きな虫のひとつなのだが、生憎柑橘類にとっては甚だ厄介な害虫なのだ。庭いじりが好きだった父は、これを見付けると日頃の温厚な姿とは一変して容赦なかった。
 幹を顎で傷付けて産卵する。やがて孵化した幼虫は幹の中にトンネルを穿って、根の方に下りて行きながらながら内部を食べて育つ。直径2センチにも及ぶトンネルを穿たれた樹は弱り、最悪の場合は枯れてしまうこともある。それは困る、一番好きな柑橘類だから植えた八朔である。
 しかし、害虫と知っても殺せないのが昆虫老人の弱み、掴み取って近くの空き家の庭にこっそり放つのが常なのだ。また舞い戻るかもしれないと分かっているのに、毎年こんなことを繰り返している。トンネルが樹皮に届くと、そこから木屑が地面に散るようになる。さすがにそこまで来ると、その穴に殺虫剤を噴き込むしかないのだが……。

 小雨の中を放ち終わって、更に八朔の枝葉を覗きこむ。あったあった、台所の出窓に近い葉裏にセミの抜け殻が一つ、風に吹かれながら揺れていた。当然飛び去ってその姿はないが、昨夜生まれた我が家のヒグラシ1号である。昨年は7月9日、一気に6匹が誕生した。十日も早い誕生は嬉しくもあり、仲間が少ないことが哀しくもあり、複雑な思いでカメラを向けた。
 ファインダーの向こうに、2センチほどに育った丸い八朔の実が4つ。不作の今年は、殆ど花も咲かなかった。所謂「裏作」なのか、それとも根方の地中で育っている数百匹の蝉の幼虫が養分を吸い取っているせいなのか、あるいはゴマダラカミキリの悪さが原因なのか……深く追及するのはよそう。

 博多祇園山笠が始まった。
  「山笠があるけん、博多たい!」
 水法被に締め込み姿の「のぼせもん」が博多の街をそうつきまわっていることだろう。男の尻と太ももが眩しく輝く季節である。胡瓜を食べることと、女人に触れることが禁じられる男の祭。人形師が腕を振るい、舁き山(かきやま)が街を駆ける。重要無形民俗文化財であり、掛け声「おっしょい」は日本の音風景100選に選ばれたこともある。また、博多祇園山笠を含めた日本全国33件の祭は、「山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産に登録された。
 勇壮極まる夏祭に、多くの説明は無用だろう。

 遅れた梅雨を追うように、博多の夏がもうすぐそこまでやってきていた。
                  (2019年7月:写真:ヒグラシ1号の抜け殻)