蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

沖縄旅情(番外編)気弱なハイジャッカー!?

2016年08月18日 | 季節の便り・旅篇

 福岡発10時05分、那覇行ANA1205便の搭乗が迫っていた。安全を期して家内をホームドクターに託して入院させ、心を残しながら娘と二人旅の旅立ちだった。
 真夏の沖縄、しかも民宿には洗濯機もあるから着替えも最小限にして、5泊6日にしては呆気ないぐらい少ない荷物だった。小型キャリングケースに納めて預け、ダイビング・グッズだけを詰め込んだリュックを肩に、機内持ち込み手荷物検査場にはいった。グッヅは、マスク、シュノーケル、ブーツ、グローブ、スポーツタオル……BC(浮力調整ベスト)、かさばるフィン(足鰭)は現地レンタルと決めたから、勿論金属類はない。いつものように、携帯電話(こだわりのガラ携)と小銭入をケースに置き、リュックを並べてゲートを潜った。
 途端に、警報音が鳴る。アレッと思いながら、促されるままにベルトを外した。まさか腱板断裂の手術で肩に埋め込んだ、4本のチタンのビスが反応することもあるまい。再度ゲートを潜り直し、今回は事なきを得た。

 ところが、X線検査機を通ったリュックが引っ掛かった。「ナイフの反応が出ていますから、暫くお待ちください」
 しまった、いつも山歩きに使うリュックである。全てを取り出して入れ換えた筈なのに、ナイフに気付かなかったらしい。
 係員が深刻な顔をしてナイフを取り出し、刃渡りを測っている。住所氏名まで訊かれて、使うことの少ないマイナンバー・カードを見せて書き写してもらった。
 私のお気に入りの折り畳み式フォールディング・ナイフ、娘に頼んで送ってもらったアメリカ・GERBER社製の優れものである。
 「まずったな、預かりにして、那覇で受け取るしかないか」軽く考えていたが、係員の表情は硬く、「空港交番から警官が二人来ますから、暫くお待ちください」
 一瞬、ヒヤッとした。銃刀法違反で、下手すれば書類送検?!搭乗が迫っているのに、家内だけでなく私まで行けなくなって、娘に一人旅させる羽目になるのだろうか?いやいや、軽犯罪法にも触れるかもしれない。刃渡り8.5センチは、どう考えてもヤバい。これは、没収されても仕方ないな。
 テロの時代である。警戒厳重になるのは当然のことだった。

 銃刀法:何人も業務その他正当な理由による場合を除いては、刃体の長さが6センチを超える刃物を携帯してはならない。違反は2年以下の懲役また30万円以下の罰金に処せられる。折りたたみナイフについては刃渡り8センチ。

 軽犯罪法:正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他、人の生命を害し、または人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた者。
 違反は拘留または科料。刃物の寸法は示されていないから、たとえ小さなものでも軽犯罪法上ではその対象となる。

 持ち運ぶのに正当な理由とは、「通常人の常識で理解できる正しい理由」という意味。
 例えば
  ・買ったナイフを自宅に持ち帰る、修理のために販売店に持っていく
  ・釣やキャンプで使うための往路、復路など
  ・ナイフメーカーがナイフを売るためにディラーにナイフを運ぶ
  ・板前さんが店に自分の包丁を持っていく途中

 ただし,携帯する場合は現場に着くまでは厳重な梱包が必要。充分な注意を払って厳重に梱包してはじめて持ち運びが可能になる。

 ジリジリ待たされて、ようやく制服警官二人が駆けつけてきた。その一人が威嚇するように睨み付けて事情を聴いてくる。もう一人は優しい表情で、「事情は分かりました。帰りは気を付けて、預ける荷物に入れてください」
 警察小説でお馴染みの、「怖い警官と優しい警官」が此処にいた!それを面白がってる自分に呆れながら深々と頭を下げて、帰って行く警官を見送った。
 それからの空港係員の対応は機敏だった。「一緒に来て下さい」と1階の手荷物預け窓口に走り、素早く小さな段ボールに納めて預けてくれた。那覇空港受け取りである。再び2階の手荷物検査場に駆け戻り、リュックを受け取って搭乗口に走った。既に搭乗は終わりかかっていたが、辛うじて間に合い、娘と機内の人となった。
 「冷や汗三斗」とまでは言わないが、あんな怖い顔で警官に睨まれたのは初めてだったし……「ハイジャックするほどの度胸はないな」と気弱な自分に苦笑いしながら、翼の下に消えてく福岡の街を眺めていた。
 波乱が重なる旅立ちだった。これ以上、何事もなければいいが……。
               (2016年8月:写真:件のフォールディング・ナイフ)

沖縄旅情(その3)夕映え

2016年08月14日 | 季節の便り・旅篇

 朝の防災放送が「天候不良の為、高速船欠航」と告げた。明日は発たなければならない。那覇にもう1泊して、体内の窒素ガスを抜くために24時間経過しないと減圧する飛行機に乗れない。明後日福岡に戻り、一日置いて娘はロスに旅立つ。だから、今日のダイビングは貴重だった。

 「9時半に、港で待ってます」
 波高3メートルでも、島が防波堤となり安全に潜れるスポットがある。8年前と同じ「アダン下」のスポットまでは、「夕空(ゆうあ)号」で5分。慶良間諸島は、到る所にダイビング・スポットがある。大きなうねりを乗り切って島陰にはいり、装具を付けてエントリーした。昨日とは嘘のように浮力調整がうまくいき、耳抜きを繰り返しながら16メートルの海に潜っていった。中性浮力が整えば、あとは呼吸の深浅で微調整して気儘に海中を浮遊出来る。
 珊瑚が復活していた!色とりどりの珊瑚礁に濃い魚影が舞い、時を忘れた。呼吸さえ意識しなくなり、陶然と漂う別世界だった。Kさんと娘が見守ってくれる安心感がある。この美しい静寂は、おそらく今までで最高のダイビングと言えるだろう。珊瑚礁の上を自分までが魚になったように、舞い漂い、酔い痴れ、喜びに包まれながら浮遊し続けた。
 Kさんのボードに「残圧が少なくなってます。そろそろ上がりましょう」と書かれるまで、いつまでも名残りを惜しんでいた。
 「まだまだ、潜れるかもしれない」……そんな思いでときめきながら、港に戻った。

 その夜、Kさんが友人の沖縄料理の店に一席設けてくれた。心地よいダイビングの後のビールは極上!Kさんが創作した料理なども含め、座間味最後の夜に相応しいご馳走だった。
 寡黙なKさんが、これからの生き方を語り始めた。商売として、この仕事を続けたくない。35歳になり、半年悩んで自分なりの結論を出した。常連の馴染客と初心者を相手に、座間味の自然を守っていきたい、という。結婚を決め、11月に結納を済ませに豊後竹田に行くけど、実は、もう赤ちゃんがお腹に宿っている……よしよし、現代風・沖縄風で微笑ましいではないか。
 さすがに、この席をご馳走になるわけにはいかない。実は、家内帯同のプランだったから、現金を二人で分け持っていた。前日夕方のドクターストップだったから、慌てて家内に預けた現金を受け取らないままに旅立ってしまった。カードが効かない座間味島、Kさんに事情を話したら、「後払いの郵便振り込みでいいですよ」と言ってくれた。お土産の現金にも不安を残しながらの旅だったから、本当に助かった。
 (帰宅後の振込みで、「海亀と珊瑚の保護基金」として1万円上乗せさせてもらった。優しかった座間味の海への、ささやかな感謝の気持ちだった。家内も、大賛成してくれた)

 最後の「ゆんたく」を楽しみ、星空に別れを告げた。
 翌朝、Iさんご夫妻とKさんの見送りを受けて「クイーン座間味」で島を後にした。波は穏やかに鎮まっていた。
 帰り着いた泊港に、アジア系とおぼしきクルーズ船が2隻も停泊していて、いやな予感がした。

 糸満のリゾートホテルに荷物を置いて、国際通りから平和通に抜け、公設市場でシャコガイと赤貝を刺身に引いてもらって、2楷の食堂でお昼を摂った。ほぼ全席、アジア系観光客で埋め尽くされているのに唖然…やっぱり!
 「アバサー(ハリセンボン)の味噌汁」で締めくくって、壺屋の「やちむん(焼き物)通り」の馴染みの店・A商店で家内のお茶碗を買い替え、平和通りで土産物を整え、ホテルで壮大な夕日を見送って……こうして、沖縄の旅が終わった。お互いを気遣いながら、主治医に預けた病室の家内とメールを交わして、状況を確かめ合う緊張の旅だった。

 帰り着いた37度の太宰府、立秋を過ぎるのを待っていたように、ツクツクボウシが鳴き、夕闇でカネタタキがチンチンと鐘を鳴らした。猛暑に埋もれて見えないところで、小さな秋が芽生えている。
 家内と病室で別れを惜しんで、二日後に娘はロスに帰って行った。横浜の長女から届いた「ほんの気持ちです」というマスカットを求肥で包んだお菓子をつまみながら、暫く孤老の夏の日々が続く。

 我が家の夏が終わった。家内も間もなく退院できるだろう。穏やかに秋を迎えることを祈りながら、灼熱の日差しを叩きつける空を見上げていた
                    (2016年8月:写真:糸満の夕映え)

沖縄旅情(その2)蘇るサンゴ礁

2016年08月14日 | 季節の便り・旅篇

 夜半、激しい雷鳴が轟いて目覚めた。
 座間味島、阿真ビーチに近いお馴染みの民宿「P」、ダイビングショップを兼ねた宿は、8年のご無沙汰の間にご主人が亡くなられ、奥様のEさんと息子のKさんが守っている。長年の馴染客と初心者を大切にする家庭的な民宿であり、樹間をリュウキュウアサギマダラや、南方種のベニモンアゲハが舞う木立の中にある。
 幸い、この4日間のダイビングは私達父娘の貸切り、天候と波の様子を見ながら、自由にダイビングが組み込めることになった。
 全国晴れ上がって猛暑が続く中、何故か沖縄だけが曇り・雷雨という皮肉な天候に、空を見上げながらタイミングを計っていた。気温は30度、沖縄本島の南に小さな熱帯低気圧が発生し、昨夜の「ゆんたく」仲間が、「明日は波高2.5メートル、明後日は3メートルだから、高速船は欠航だよ」と言っていた。
 いつもは、6月20日前後の沖縄の梅雨明けを待って座間味に来ていた。本土は梅雨真っ盛りで観光の足も鈍り、7月にはいれば学生が夏休みで動き出す。だから、6月20日から月末までの10日間が、夏本番の座間味の海を楽しむ絶好の穴場シーズンなのだ。シュノーケリングのメッカ・古座間味ビーチも人影少なく、思うままに静かなエメラルドグリーンとコバルトブルーの珊瑚礁を楽しむことが出来た。

 走る黒雲と時たま落ちる雨を見ながら、Kさんが「1時半に、港で待ってます」と言って先に準備に出て行った。阿真ビーチの「ゆんたく」仲間の店でお握りを買ってお昼を済ませ、借りたウエットスーツを着込み、上半身を腰に垂らして、ブーツ、グローブ、マスク、シュノーケルを持って港まで3分、ダイビングボート「夕空号」が待っていた。一明さんの甥っ子と同じ名前で、「ゆうあ」と読む。亡くなった先代が付けた名前である。
 「久し振りですから、今日はリハビリ・ダイビングにしましょうね」と言われ、恐縮する。高齢ダイバーへのいたわりである。阿真ビーチの目の前に横たわる無人島・嘉比島のスポット、その名も「嘉比前」という。比較的浅場の根(岩礁)で身体を慣らすことにした。
 ボンベを背負い、8キロのウエイトを腰に巻き、BC(浮力調整ベスト)とマスク、シュノーケル、ブーツにフィン、手にはグローブを装着して、背中から落ちるバックロールでエントリーした。
 5年の空白を実感した。エアを抜きながら徐々に深度を稼いでいくが、中性浮力のバランスがうまく取れない。後で娘が言うには、「浅場の方が浮力調整が難しいんだよ。明日は、もっと深くしようね」
 BCに僅かなエアを入れただけで、すぐに海面に持っていかれる。こんな筈ではなかったと焦りながら、少しずつ身体を慣らしつつ、根に沈んでいった。底の砂地に膝をついて、呼吸を整える。魚影も珊瑚も濃くないスポットだったが、少し余裕を失ったファースト・ダイブだった。それでも、とうとう此処まで来たという感慨があった。77歳の年齢から、或いは最後のダイビングかも、という想いがある。だから、一層この海が愛しかった。

 昨日の阿真ビーチのシュノーケリングで、思いがけない楽しい出会いがあった。遠浅のビーチで遊んでいるうちに、娘が「お父さん、海亀がいるよ!」と叫んだ。胸ほどの浅場で、1メートル近い海亀が餌を摂っていた。人影を恐れることもなく、時折海面に顔を出して私の目の前でプクリと呼吸し、又底に戻って餌を食む。8年前、「ギナ」というスポットの根で、岩礁に眠る海亀とツーショットを撮ったことがある。14メートルほどの海底だった。最近、このビーチによく現れ、保護に努めているという。「自然との距離」を意識しながら、少し離れた海面からマスク越しに見守り、30分以上遊ばせてもらった。
 この自然を壊したくない。これ以上観光客で荒らされたくない……それが、この島の人たちの本音だろう。

 昨夜は、オープンして4日目のイタリアンの店で、娘の誕生日を祝った。娘はイタリアのスパークリングワイン、私は娘が住むカリフォルニアのナパで作られた白ワイン・シャルドネで乾杯し、密かに家内から託されていた誕生祝のネックレスを贈って、父と娘のささやかな宴を楽しんだ。
 今夜は、Iさん夫妻が友人の店で一席設けて下さった。一日一組限り、予約制で営む創作沖縄料理の店である。母と娘でもてなす家庭的な雰囲気の店だった。
 温かいひと時に満たされ、民宿に戻った。雲が厚い夜だった。「ゆんたく」を失礼して、早めに眠りに就くことにした。
      (2016年8月:阿真ビーチから望む嘉比島  撮影:Iさんの奥様)

沖縄旅情(その1) 避暑地?沖縄

2016年08月14日 | 季節の便り・旅篇

 星空の天球、その中天を滔滔と流れる天の川……沖縄では、天河原(てぃんがーら)という。水平線から水平線まで半球を描いて、のし掛かるように落ちてくる星の煌めきは圧巻だった。おびただしい星屑に呑みこまれて、星座を見付けることさえ難しいほどだった。
 8年ぶりに訪れた慶良間諸島・座間味島、国立公園に指定されて2年、蘇る珊瑚に密かに期待しながらやって来たダイビングだった。朝一番の高速船「クイーン座間味」に乗って50分、エメラルドグリーンの眩しい海が待っていた。
 午後、5年ぶりのダイビングに備え、阿真ビーチのシュノーケリングで身体を慣らした夜、早速友人のIさんご夫妻から「ゆんたく」のお誘いが来た。庭のテーブルで、ご近所さんや友人たちが思い思いに寄って、泡盛を呑みながら談笑する……沖縄特有のふれあいの時間である。
 夢にまで見た、満天の星空がそこにあった。

 1年半ぶりに帰国した次女と3人で楽しみに待っていた旅だった。4か月前から手配を始め、1か月前に高速船チケットを予約して整った旅が、出発の前日、思いがけないドクターストップがかかって家内が入院するハプニングが起こり、やむなく娘との二人旅となった。

 10時5分、福岡空港を発った。連日37度という猛暑の太宰府、30度の沖縄が避暑地に思えるほどの異常な夏だった。空港に予約待機させていた観光タクシーで北に向かった。
 高速に乗って名護に走り、新山(しんざん)食堂で遅い「そーきそば」のお昼を摂り、本部(もとぶ)半島に入って、時計回りに瀬底ビーチ、渡久地港、今帰仁の赤墓ビーチ、古宇利島大橋を渡ってハートロックと走り廻った。JALのCMで人気アイドルグループ「嵐」が紹介したことから、俄かに人気スポットになった古宇利島ハートロック、波に削られた二つの岩が、ある角度から見るとハートに見える。
 折り悪しく干潮時の為に、歩いて渡れるのが仇となった。相変わらずほかの観光客に眼もくれず岩に渡り、我が物顔で傍若無人に振る舞うアジア系観光客がカメラの邪魔をする。強い日差しに顰めた眉が、一層険しくなるのを意識しながらイラついていた。

 西日を浴びて、20時近くに那覇に走り戻った。汗に濡れた身体を洗うのも後にして、行きつけの海鮮と沖縄料理の店「G丸」で、オリオンビールと泡盛で沖縄料理をと期待していたのに……8年前の繁盛が嘘のように寂れ果て、板場一人と日本語が殆ど通じない店員が一人、客も一組だけの無残な状況だった。注文が通らず、違う品が運ばれてくる。さすがに辛抱しかねて、ビール代も取らないというのを無理やり支払い、料理をキャンセルして店を出た。

 幸い、娘が探した久茂地の「抱瓶」が、120%の満足を与えてくれた。「だちびん」と読む、沖縄古来の陶器製の腰に着ける携帯用の酒瓶のことである。腰の曲線に合わせた三日月形が、泡盛を野や畑に提げていくには格好の形状である。若いころ、山歩きに持ち歩いていた水筒が、やはり腰の曲線に合わせてあったことを思い出しながら、この店の沖縄料理ともてなしに疲れが消えて行った。
 アルバイトのベトナム女子留学生が、2階席を見事な目配りで取り仕切り、客の注文を捌いていた。「アリガト、ゴザイマ~ス」というたどたどしい言葉が、何とも心地よかった。「海ぶどう(海藻)」、「島らっきょう」、「じーまみー豆腐(ピーナッツ豆腐)」、「山羊の刺身」……懐かしい沖縄料理に舌つづみをうち、最後に「ひらやちー」(沖縄風お好み焼き)でおなかを満たして、泊港近くのホテルに戻った。
 座間味ダイビング、助走の夜が更けて行った。強行軍の一日の疲れで、シャワーを浴びたらストンと眠りに落ちた。
                      (2016年8月:写真:抱瓶)