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イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

T.C. Kimlik No(トルコ共和国身分証明番号)

2007-07-14 00:19:49 | Weblog

左は外国人用IKAMET(居住許可証)、右はT.C.Kimlik No.が記載されたNufus cuzdani(身分証明書・男性用)

以前ぷなるじゃんのブログ「おとぎの国☆の玉手箱」で、「トルコに在住する日本国籍を持っている日本人で『T.C. Kimlik No.』を持っている人はいますか?」と言う記事がありました。ぷなるじゃんは『T.C. Kimlik No.』がない為に銀行で振込みができなかったと言うのです。トルコにはこの番号のほかに『Verigi No.(税金番号)』と言うのもあって銀行口座を開く時などに必要でした。私も聞かれたのですが「ない」と言ったらそのまま口座が開けてしまい、でもその口座に付随するクレジットカードの解約をした時にVergi No.がないから処理ができないともめたことがありました。結局このVerigi No.は先日廃止され、これからはすべて『T.C. Kimlik No.』に一本化されるというニュースを見た記憶が最近よみがえってきました。そしてトルコ在住の外国人にも新たに番号が振り当てられると聞いたような気が・・・。『T.C. Kimlik No.』はトルコ国籍を持つ人が持っている身分証明番号でこの番号や出生地などが記載された男性は青色、女性は赤色の身分証明書を携帯しています。私のような外国人はIKAMET(居住許可証)やパスポートがそれに代わります。



先日イズミル県のHPを見ていると「TUIK(Turkiye Istatistik Kurumu=トルコ共和国統計局」)のこんなバナーが目に入りました。

「住所による住民登録システムに登録済みですか?確認するためにはクリックしてください」と書いてあるのでクリックしてみると『T.C. Kimlik No.』で検索できるようになっています。私の番号はないので当然夫の番号を入力すると、「あなたは登録済みです。現在住んでいる住所に2人で居住していることが登録済みです。」と表示されました。




画像をクリックするとこのページに行きます。黄色い枠内にトルコ人の身分証明番号を入力すれば住民登録してあるかどうかがチェックできます。
TC Kimlik Numaranızı bilmiyorsanız, öğrenmek için tıklayınız の文字をクリックすると身分証明番号の検索ページが表示されます。

ここでひらめいたのです!登録されていると言うことは私にも何らかの番号が付与されていると言うことじゃない?そこで「番号を知らない人は?」などをいじくっていると出てきました!


この画像をクリックすると外国人身分証明番号の検索ページが表示されます。


Yabancı Kimlik No nedir ?
Yabancı Kimlik No, onbir haneden oluşan, Nüfus ve Vatandaşlık İşleri Genel Müdürlüğü tarafından, Türkiye'de herhangi bir amaçla en az altı (6) ay süreli Yabancılara Ait İkamet Tezkeresi almış olan yabancılara verilmiş tek bir sayıdır.

外国人身分証明番号とは?11桁からなるNüfus ve Vatandaşlık İşleri Genel Müdürlüğü(なんと訳せばよいのでしょう)からトルコにおいて何らかの目的で最低6ヶ月間の外国人居住許可書を発行された外国人に与えられる番号。

上記のページでIKAMET(居住許可証)の番号、もしくは生年、IKAMET取得時に登録済みの両親の名前等で検索することができます。
これで私の11桁外国人番号を知ることができたのです。ただ話は元に戻り、「住所による住民登録システム」でこの番号で検索すると「該当する番号はありません」と表示されてしまいました。トルコ在住の日本人の皆様、一度試してくださいね。MUHTAR(ムフタル=地区長)では、私の名前も登録してあるのですがシステムとしてまだ運用されていないと言うことなのでしょうか。それとも新たに登録する必要があるのでしょうか。MUHTARに聞くのが一番ですね。そして今後は外国人にもこの外国人番号が記載された身分証明書が発行されるのかしら。ご存知の方、情報をお待ちしております。






サロンから眺めた海に沈む夕日。よくわかりませんね・・・。
       






☆現在のイズミル☆


EVLILIK YILDONUMU(結婚記念日)

2007-06-23 15:23:29 | Weblog

Hurriyet新聞より。「地獄の水曜日」とあります。

日本は各地で梅雨入りをしたようですが、こちらイズミルは連日の猛暑です。アフリカからの熱波だそうで週半ばにピークを迎え、エーゲ地域40~43度、マルマラ地域37~39度、地中海地域36~40度、中央アナトリア地域36~37度になることが予想されているそうです。暑くても乗り物や建物の中はほぼ冷房完備の日本と違いトルコはまだまだ冷房が気持ちよく効いた場所は少ないので暑さによる体力消耗は相当なもの。脱水症状や熱中症に十分注意したいものです。日中の外出は危険です。ヨーロッパのシェスタと言う習慣もあながち怠け者だからと言うことではなく必要に迫られての習慣だと言うことがよくわかります。あっつい~。


「NACI USTA」はこの看板が目印。

さて本題に入り、6月18日は我が家の結婚記念日でした。日本からスーツケースひとつで西黒海地方のチョルムと言う小さな市へ来た日から数えるともう4年と5ヶ月がたちました。チョルムは地方の小さな町、外国人は珍しいのでしょう、目の前で「日本人かしら」としょっちゅう言われて歩くのがいやだったことやアパートはカロリフエェルといって集中暖房システムだったため真冬でも家の中では半そでで過ごせた半面乾燥が激しく息苦しかったことを覚えています。夫は私が来るまでにアパートを借りペンキを塗りかえカーテンを注文とりつけて、家電は洗濯機だけを買って待っていてくれました。その他の家具や家電は私がトルコへ来てから一緒に買おうとカタログを揃えて日本まで持って来てくれました。
この頃一人で夫が色々と心を砕いて準備してくれていたことをたまに考えるのですがその度に一生懸命やってくれたんだなあと感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。その当時は自分がトルコに慣れることやないないづくしの中で何とかご飯を作ったり生活することで精一杯で夫の心遣いを改めて考える余裕もありませんでした。


「NACI USTA」広いお庭に案内されます。

お皿一枚なかった状態から少しずつ家具や食器を買い揃え、同じ年の7月にはイズミルへ引越しました。日本ではいつも近くに海がある場所で暮らしていたので山に囲まれたチョルムからエーゲ海を望むイズミルに引っ越した時は急に目の前が開けたような解放感を感じたものです。大きな都会に移ったら移ったでまた色々な住みにくさはあるのですが、毎日海を眺めることができることは何よりもの慰めになります。イズミルにはアンネ(義母)を始めテイゼ(叔母)夫婦、義妹一家も近くに住んでいるし何人かの日本人のお友達もいるのは心強いことです。


冬の間は室内で、吹き抜けの天井。

今年の6月18日は、前から行きたいと思っていた「NACI USTA(ナジ ウスタ=ナジ親方=シェフ?)」と言うレストランへ食事に出かけました。高速道路を通る時に見かけていつか行ってみたいと思っていたのですが、イズミルではかなり名の知れたレストランだったようで、帰ってきてから調べると9歳のときに皿洗いから料理人人生を始めたNACI USTAはそれまでイズミルのアルサンジャックとブルサにレストランを持っていたそう。2002年に今の場所へ新しいお店を開き、厨房だけの為に1,000,000YTL(9.400万円)もの投資をし周囲からはおかしいんじゃないのと言われていたそうですが、従業員の教育やいつも自分が厨房にいてコントロールをすることなどトルコでは珍しい世界を視野に入れたウスタのようです。


前菜やスープ、パンも美味しかったー。

お店に着くと大きな庭に案内されます。夏は気持ちのいい芝生の上でのお食事です。私たち2人の為に5人くらいのギャルソンが椅子をひいたり群がってきました。メニューも今まで行ったトルコ料理レストランの単純明快なメニューとは違い、色々なお料理がたくさん並んでいます。金に糸目をつけないわけにも行かないので10分くらいかけてメニューを検討しオーダーしました。こういうところに来るとすぐに緊張して何でも私に任せる夫、こういうところへ来るとすぐに気が大きくなってたくさん頼んでしまう私。幸い食べたかったいくつかのメニューは今はありませんと言われました。

 
KUZU INCIK(羊の脛肉?)、下にあるポテトとほうれん草とチーズのピューレが絶妙。


KARSIK MANGAL(焼肉盛り合わせ)、下の器では炭火が燃えています。


トルコへ来て久しぶりにたっぷり食べたえび。

食器からお料理の盛り付け、味付けまでなかなか洗練されていてとても美味しく満ち足りた気分になりました。昨年イズミルで行われたユニヴァーシアードの開会式、閉会式セレモニーのお料理は全てNACI USTAレストランが手がけたそうですが、それも納得のおいしさでした。今イズミルでは21時前にようやく日が暮れるのですが空には新月と1個の明るい星が並んでちょうどトルコ国旗のようでした。

あっという間に過ぎた4年間、これから先に続くであろう年月もあっという間に過ぎてしまうのでしょうか。これからの年月はきっと色々な意味で変化の多い、そして日本で暮らすのとはまた別の苦労があることと思いますが、最初の頃の二人をいつも忘れずに前向きに過ごしていきたいと思っています。



帰りはこの小径を通って駐車場へ。右の空に小さく月・星が見えます。







Sevgili kocacıgım evlilik yıldönümümüz kutlu olsun.
Yaşattığın ve yaşatacağın tüm mutluluklar için binlerce teşekkür ederim.





これからもよろしくお願い致します!      






☆現在のイズミル☆





KARNE(カルネ=通信簿)

2007-06-20 00:24:19 | Weblog

すっかり優等生の顔です。

Birtenciğim karnedeki güzel notlar için tebrik ederim ve bundan sonraki senelerde de böyle karne getirmeni dilerim.Dayın ve ben senden gurur duyuyoruz.

ビルテンちゃん、通信簿の素晴らしい成績おめでとう、これからも素晴らしい通信簿を見せてね。伯父さんと私はあなたを誇りに思っています。

トルコの小学校は6月15日が終業式でした。我が自慢の姪っ子ビルテンも小学校2年生を無事に終えました。6月16日から9月中旬に始まる新学期まで3ヶ月の長い長い夏休みです。トルコの学年はは9月に始まり、間に中休みを挟んで2期制です。高校入試や大学入試も暑いこの6月にに行われています。


全教科の通信簿。今は全部PCで出てくるんですねー。

ビルテンは2年生になると同時に公立の学校から私立の学校へ転校をし、毎日たくさんの宿題を持ち帰っていましたが、いつものんびり構えてぎりぎりになるまで宿題に手をつけないのでその度に義妹(母親)に叱られながら重い腰を上げていました。義妹は赤ちゃんを産み育てながらも必ず宿題に目を通しチェックをしていました。私だったらあそこまですべての宿題にはとても目を通せないと思います。

今日アンネの家へ行くとビルテンがKARNEを持って来て見せてくれました。昨年のKARNEに比べてずいぶん評価項目が増えました。英語とパソコンの授業のKARNEも別にあります。


PCの授業の成績表。


英語の授業の成績表。


さて結果は…「HEPSI 5(ヘプシ5=オール5)」です。1年生の時はまあ当然かなと思っていましたが、今年は学校も変わったし途中編入なので初めて習うことも多くどうかなと思っていましたが、頑張りました。オババカですが、オール5の通信簿なんてあまり見たことないのでやっぱり嬉しいですね。


父の日のプレゼントを作成中。

学校の勉強が全てではないけれど、いろいろなことを学んで、このまま優しい女の子に育ってほしいものです。






久しぶりに会ったらめちゃくちゃ人見知りされて大泣きされました。悲しい・・・。







☆現在のイズミル☆




旅の収穫

2007-05-22 23:23:21 | Weblog

HAYITBUKUの入り江。

kopekkayaさんの結婚パーティーが終わってマルマリスを後にした私たちはマルマリスから西のDATCA(ダッチャ)へ向いました。DATCAの手前のHAYITBUKU(ハユトビュク)という小さな入り江で一泊した後更に西へ、ギリシャのコス島を眺めるクニドスまで足を伸ばしました。もちろん写真も写してすばらしい海の色をブログでご紹介をしたいと思っているのですが、写真をPCにコピーした後、突然何の前触れもなくPCが立ち上がらなくなってしまったのです。
ここでPCオタクの夫の腕の見せ所なのですが、ただいま鋭意努力中、と言うことで今日は今回の旅の収穫をご紹介いたします!

と言ってもマルマリス名物やダッチャ名物のお土産があるわけではなく、イズミルへの帰り道に足を伸ばしたボドルムで買ったものたちです。ボドルムもリゾート地として有名な観光地、最近は海よりもトルコのナイトライフを楽しむ人たちでにぎわっているイメージが強かったのでそれほど行きたいとも思っていませんでした。ところが実際に夕日に染まるボドルム城を眺めながら町を歩いてみると、マルマリスとはまた違った風情があってなかなか心地がよいのです。


その他広告には粉わさび、紅しょうが、干ししいたけ、かにかま、豆腐、緑茶、わり箸なども。

次回の旅の目的地がまたできたと言うことで、今回は密かに狙っていたMETROと言うスーパーへ。このMETROと言うスーパー、確か日本にもありますよね。トルコでもイスタンブル、アンカラ、イズミルなどにありますが個人で商売をしている人たちに卸のような形で販売をしています。もちろん単品での販売もありますがまとめて購入するとかなり安くなるものもあるようです。そういう顧客が対象なので入店するには会員カードが必要です。





以前イズミルのMETROでもらったカタログに「アジアの食卓」「日本の食卓」と言う特集がありました。トルコではまだ見たこともない味噌やみりん、米酢などが紹介されていました。これは行くしかない!と張り切ったのですがカタログをよく見ると「この商品はイスタンブル、アンカラ、ボドルム、アランヤ店のみでお取り扱いしております」と書いてあるではありませんか。簡単に行けるところでもないので諦めていたところにめぐってきたこのチャンス、逃すわけはありません。ほかの商品には目もくれずそれらしきものが置いてあるコーナーへ直行。こんなものを買ってまいりました。カタログには「たくあん」なんて載っていなかったので少し興奮してしまいました。

参考までに私が買ったものの値段。
興奮して買ったけれど冷静になって値段を見るとやっぱり高いですよね。

もやしの缶詰 2.05YTL
ごま油    4.59YTL
そば(300g) 5.23YTL
うどん(300g) 3.78YTL
白味噌(1kg) 8.1YTL
たくあん(400g) 6.21YTL
大豆肉(ひき肉400g) 2.95YTL
大豆肉(一口大200g) 2.95YTL

  *今日のレートで1YTLは約92円。  

家に帰ってお隣さんが遊びに来た時に戦利品を自慢して見せたら旦那さんの方が、そばを手にとってしげしげと眺めながら「ああ、これ知ってる。cubuk(チュブク=棒=箸のこと)でしょう?」と発言、心の中で大爆笑させていただきました。




「そば」を「箸」だと思ったお隣さんの娘。我が家のアイドルです。   
     




☆現在のイズミル☆



DUGUN(デューン=結婚パーティー)

2007-05-18 21:23:59 | Weblog


5月12日、マルマリスの小さな街イチメレルは真夏のような晴天でした。結婚パーティーが始まる19時ごろには涼しい風が吹き始め、会場となったレストランのお庭には「kaya!kaya!!kaya!!!」のkopekkayaさんが心をこめて準備してきたキャンドルやお花が美しく整えられました。

 

 

Welcomeドリンクもレストランの厨房をお借りして花嫁と一緒に準備をしました。



パーティの始まる少し前に花嫁衣装を着たkopekkayaさんと花婿のうーちゃんがご両親や私たちの待つ宿泊先にやって来ました。ここからパーティー会場まで車に分乗してイチメレルの通りをクラクションを鳴らして爆走するのです!



花嫁、花婿を乗せた車が先頭を走り、私達も後に続きます。夫は「こんなにクラクションを鳴らしたのは生まれて初めて!」と言いながら大得意になって鳴らしまくっていました。
この車の行方を道行く人が「待った~!」とさえぎって御祝儀をねだるのもトルコの楽しい習慣。花婿さんがお金を渡すまで通してくれません。



kopekkayaさんとうーちゃんの待ちに待った結婚パーティー、日本からドイツからオランダからトルコから90名あまりがお二人の幸せを祝福する為に集まりました。
会場入口ではkopekkayaさんの従兄弟さんが花嫁手作りのwelcomeドリンクのサービスをしています。



花嫁・花婿が最初の写真の様に花火とともに入場するといきなりダンスが始まり私も呆気にとられました。日本のご両親はさぞや…。それにしても花嫁が一番ノリノリだったなあ。幸せではじけるお顔を見ているだけで私達も幸せになりました。



花嫁を見守るご両親と弟さん。お父様の後姿が寂しげだったのは私の気のせいでしょうか。



うーちゃんのおじ様が二人に結婚指輪をつけ、kopekkayaさんのお父様がご挨拶をされました。恥ずかしながらトルコ語⇔日本語の訳をさせて頂きましたが、興奮してボロボロ…恥ずかしい~っ!
花嫁・花婿の襟元にかかっている白い布には御祝儀をピンでつけてもらう為のものです。



Weddingケーキにも花火。ケーキカットの後には二人で食べさせ合ってますます熱々でした。



パーティの間はトルコの伝統的な音楽の生演奏。この方達の歌や演奏が耳に心地よく楽しい気分を更に盛り上げてくれました。



お料理も美味しかったし雰囲気も最初から最後までとても和やかでいつまでもこの場にいたいと思ったのは私だけでしょうか…。





kopekkayaさん&うーちゃん、この日の皆の笑顔を忘れずに末永くお幸せに。
そしてこれからは日土カップルの仲間として親戚づきあいよろしくお願いします。





翌日はkopekkayaさん側の出席者はボートツアーに招待して頂きマルマリスの真っ青な海を堪能してきました。
   

           





☆現在のイズミル☆




GELINLIK(ゲリンリッキ=花嫁衣装)

2007-05-11 06:09:45 | Weblog

招待客の数だけ、ラヴェンダーの香りのするポプリ。

以前「春が来た!」でもご紹介したドイツ在住「Kaya!Kaya!!Kaya!!!」のkopekkayaさんの結婚式がいよいよ5月12日(土)に、花婿うーちゃんの待つエーゲ海と地中海が出会うリゾート地、マルマリスで行われます。日本からドイツから、そしてトルコから、ご両親を初めご親戚、お友達の皆さんがkopekkayaさんとうーちゃんの幸せな門出を祝福するこの日をどれだけ心待ちにしていらっしゃることでしょう。

kopekkayaさんも4月の末にはトルコ入りをし、彼女達らしい結婚式を作り上げる為に一生懸命です。私も幸せのお裾分けに預かろうとイズミル滞在中の一日、kopekkayaさんとお義姉さんにくっついていきました。

まずは前回打ち合わせ済みのGelinlik(ゲリンリッキ=花嫁衣裳)の仮縫い。このアトリエは私の友人が働いています。初めて職場を見せてもらいました。幸せのためにお手伝いをする仕事っていいですね。皆さん明るくて元気いっぱいで働いていらっしゃいました。


頼もしいスタッフの皆さん、左からパタンナー、友人、デザイナー、パトロンの奥さん。

清楚で派手でない花嫁衣裳がいい!というkopekkayaさんと、花嫁衣裳が地味でどうする!と派手で人目を引くように主張するトルコスタッフ。



双方の中間あたりで、意見がまとまりいよいよ本縫いに入ってもらうことになりました。



この後は、これも前回オーダー済みの招待客に記念に渡すと言うかわいいポプリを引き取りに行ったり、花嫁用の下着を見たり、記念のサインをして頂く為のサイン帳や結婚指輪交換の時に使う小さなクッションを探したりと、kopekkayaさんの頭の中には既にご自分の結婚式のイメージがしっかり出来上がっているようです。私だったらきっとお任せでここまで自分のイメージを描くなんて出来ないでしょう。



 

結婚指輪をのせるクッションはこのお店に布を持ち込んだらこのお兄さんが10分で縫ってくれました。


   
クッションに添えるリボンも必要。        思い通りのクッションが出来てにんまり?



そして一番嬉しく思ったのはそんなkopekkayaさんを全ての面でサポートしていらっしゃるお義姉さんの存在でした。自分の親族でもここまで親身になることが出来るかしらとお義姉さんの「一生に一度のことだから思っている通りにしてやりたいんです」と言う言葉に目頭が熱くなってしまいました。

私達も幸せなことにマルマリスでの結婚式に参加させて頂きます。ついでに一足早い夏休み気分を味わって来たいとも思っています。お二人の素敵な花婿花嫁姿を皆さんも楽しみにしていてくださいね。





ポプリをオーダーしたお店。    
    






☆現在のイズミル☆







ISKENDER KEBABI(イスケンデルケバブ)

2007-04-01 05:01:12 | Weblog

イスケンデルケバブ。え、お肉にヨーグルト?なんて言わないで下さい。
トルコのヨーグルトはクリーミーで水っぽくありません。


トルコで暮らすようになってからめっきり外食することが少なくなりました。一応我が家では毎月18日は「外食の日」と決めているのですが、なんやかんやと理由をつけて延期されることが多いのです…。

トルコ料理は世界三大料理にも数えられるだけあって確かに美味しくて大好きなのですが、毎日毎日トルコ料理はやっぱり飽きます。日本で外で食事をするとなれば今日は何にする?イタリアン?フレンチ?中華?それとも和食?悩むのも楽しみでしたがトルコではそれらのレストランもあるにはあってイスタンブルはある程度のレベルに達しているところもあるかと思いますがイズミルでは値段は一丁前で実物は…「なんちゃって○○」のような気がします。それだけの金額を出して冒険する気にはちょっとなれない、だからやっぱり外食もトルコ料理…。


鶏のケバプ、左側あるのはブルグルと言うひきわり小麦のピラフ。

と文句を言ってみましたが、そんなトルコ料理の中で私がたまにむしょうに食べたくなるのが、そして家ではちょっと作れないものの一つに「ISKENDER KEBABI」があります。ISKENDERとはトルコ語であのアレキサンダー大王のこと。でもアレキサンダー大王が好きだったケバブとかアレキサンダー大王が考え出したケバブというわけではないようです。

 ブルサの元祖イスケンデルケバブ屋さん。

1867年にトルコの古都ブルサでイスケンデルさんと言うコックさんが作り出したことからこの名前がつけられたようです。トルコでもやっぱり元祖イスケンデル、本舗イスケンデルの揉め事はあるようで最近はブルサでは「イスケンデル」の名のついているお店は一軒だけでその他は「ブルサケバブ」とか「○○ケバブ屋」などと言われているそうですが本当のところはどうなんでしょう。イズミルではそんなことはおかまいなしで「イスケンデルケバブ」です。

 これがドネルケバブ。美味しそう~!

イスケンデルケバブは日本でも最近はおなじみのドネルケバブのお肉をピデという平たいパンの上にのせ、その上にトマトソースと熱々のバターをかけてヨーグルトと一緒に頂きます。私はお料理を運んでくれた後でまだ沸騰しているバターを持ってきてかけてもらうのが好きなのですが、最近はそういう手間をかけるお店も減っているような気がします。



先日出かけたのは私が住んでいる地区の繁華街HATAY(ハタイ)というところのお店。私はやっぱり定番のイスケンデルケバブを注文。夫はヘルシーに鶏肉のTAVUK KEBABI(タヴクケバブ)、その他にKELLE CORBASI(ケッレチョルバス=羊の頭)、PACA CORBASI(パチャチョルバス=羊の足)と言ういずれもヨーグルト風味のスープ、LAHMACUN(ラフマージュン)を頼みました。

 
左がKELLE CORBASI、右がPACA CORBASI。足の方はゼラチン質がいっぱい。
因みに1/2ポーションとして頼んでこの量。



以前アンカラで見かけたkelle、pacaを売る店。

 ラフマージュン。

ラフマージュンというのは薄い生地の上に挽肉や玉ねぎをのせて焼いたパリパリのピザでレモンを絞りマイダノズ(トルコのパセリ)やロカ(ルッコラ)をはさんでがぶりと食べるとほっぺたが落ちます!これだけ食べればそりゃあおなかがいっぱい、と言いながらついついまた文句が出ます。「日本だったらなあ、品のいい器に少しずつ繊細なお料理が出てくるのにねー、少しずつでいいから何種類も食べたいんだよね」…隣の芝生は青く見える…でもトルコ在住の方ならわかって下さいますよね。



本舗?元祖?イスケンデルケバブのお店「Kebapci ISKENDERケバプ屋イスケンデル」のHP
http://www.iskenderkebabi.com/

こちらはブルサでただ一軒イスケンデルを名乗れる「Kebapci ISKENDERケバプ屋イスケンデル」のHP
http://www.kebapciiskender.com.tr/tr/?PID=0





ブルサと言えばKARAGOZ(カラギョズ)と言う影絵芝居も有名。
   






春が来た!

2007-03-27 05:31:34 | Weblog
 部屋に入っただけで良い香りが。

先週の東京は3月も半ばと言うのにこの冬の初雪が降ったようですが、イズミルも同じように寒が戻り何日か寒い思いをしました。そこへブログお友達「kaya!kaya!!kaya!!!」のkopekkayaさんが、旦那様のうーちゃんと一緒に我が家へ遊びにいらっしゃり、フリージアの花と一緒に我が家へも一気に春を運んでくれました。

トルコへ来て4年、日本の友達に会うことが難しくなったかわりにブログを通してトルコを初めとする海外に住むたくさんのお友達が出来ました。ほとんどの方たちとはまだお目にかかったことはありませんが、夫がトルコ人である人とは妙な連帯感(?)、海外で暮らすことの楽しさ、寂しさ、むかつくこと、泣きそうなこと、不安などありとあらゆる今の気持ちを共有できる貴重なお友達だと思っています。



kopekkayaさんもそんなお友達の一人、そして幸運なことに今回2度目の再会をし、おしゃべりする機会に恵まれました。目がくりくりして赤いほっぺでペコちゃんに似ているkopekkayaさんはドイツ在住。昨年電撃入籍をされたトルコ人の旦那様うーちゃんさんはトルコのマルマリス在住で身長190センチ!お二人は来る5月の結婚式に向けて着々と準備を進めていらっしゃいます。(着々だよね、kokekkayaさん…。)今回はkopekkayaさんが休暇を使ってトルコへいらっしゃいました。うーちゃんの本拠地イズミルで花嫁衣裳などを見立てたり(たまたま私の友達が花嫁衣裳屋さんのアトリエで働いていたので彼女にも手助けをしてもらいました。これも何かの縁ですね。)結婚式で使う小物を探したりと、短い休暇で結婚式の準備やうーちゃんの家探しと大忙しのkopekkayaさんでした。

新婚さん、しかも現在はまだドイツとトルコに別れて暮らしているのにもうずっと一緒にいるようなお似合いのご夫婦です。kopekkayaさんとうーちゃんはドイツ語、kopekkayaさんと私は日本語、うーちゃんと夫と私はトルコ語と3つの言葉が飛び交い楽しい時間はあっと言う間に過ぎてしまいました。5月の結婚式に再びお目にかかれること、美しい花嫁姿を見れることが今からとても楽しみです。



わざわざ私へのお土産にと、ドイツからとんでもなく大きい生の生姜となんとドイツ製の「SAMURAI MIX」なんて名前のあられを持ってきてくれました。ありがとう!!!

   







    
ティラミスを作ってみました。   



春分の日とNEVRUZ(ネヴルズ)

2007-03-22 08:26:37 | Weblog

「平安と平和、愛をもたらすことを祈って・・・NEVRUZ(YENIGUN)おめでとう」トルコ軍の公式HPより。

3月21日は日本では「春分の日」の祝日でしたね。そろそろ早咲きの桜を見に出かけた方もいらっしゃったのではないでしょうか。春分の日は自然をたたえ、生物をいつくしむ為の祝日で祝日法上では春分日と定められている為、その前年の2月1日に、国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づいて閣議で決定され、官報で発表されるのだそうです。だから年によって20日になったり21日になったりするのですね。国民の祝日となる1948年より前は「春季皇霊祭」といって皇祖の神霊、つまり天皇の先祖を祀るお祭りだったそうです。


トルコ・シヴァス。

ここトルコでは3月21日は「NEVRUZ」と呼ばれ、各地で盛大に色々な行事が行われました。この「NEVRUZ」と言う言葉はトルコ語ではなく元々はペルシャ語起源の「新しい日」と言う意味があるそうです。イランを中心に中央アジアの国からアフリカまで広範囲で祝われているそうです。




アゼルバイジャン。


カザフスタン。


イラン。新年を祝う為の商品で色とりどりのパザル(市)。

トルコでは南東部に多いクルド民族の祝日となっている為、毎年この日はクルド人たちの民族運動で何かと騒動が起こります。今年も何日か前からニュースでは「何かが起こりそうな」報道をしトルコ軍の公式HPではあえて「NEVRUZ」の文字とともに「YENI GUN」と言うトルコ語を表記しトルコとして祝う姿勢をアピールしていました。そして南東部へは軍隊が大移動をしているという報道も。

 
首都アンカラにあるTRTでの公式行事。

 NEVRUZの火に点火するエルドアン首相。

朝からトルコの国営放送TRTではエルドアン首相を初め多くの閣僚達も参加した公式行事や中央アジアの国々を中継で結びその祝典の様子を全世界へと放送していました。NEVRUZと言うとこの辺では路地のような狭い道路に火を焚いてその上を子供達が飛ぶ姿を見かけることがあります。公式行事でもエルドアン首相が火を点火しその上をおじさん大臣達が飛んだり(エルドアン首相は腰痛の為飛べません)、鉄を打ったり、卵を叩き合ったりしていました。写真をご覧になって感じられるかもしれませんが、イスラム教の行事とは少し雰囲気が違います。これはイスラム以前のゾロアスター教の新年の祝祭に由来するからの様です。


トルコ・エルズルムの小学校。

夕方のニュースでは「何かある、何かが起こると言われていたNEVRUZ、もちろんあちこちで石が飛んだり、火炎瓶が投げられたりはしました、でも大事には至りませんでした!」と言っていましたが石や火炎瓶が飛ぶことが大したことではないのがトルコなんでしょうか。


トルコ東部の町ハッカリではこの日の行事が禁止された。暴動を防ぐ為に役所の前を守る軍隊。

何かと問題を起して、国情を揉めさせたい一部の人がいることは確かでしょう。トルコ軍のポスターのように「平安と平和、愛」が普通のこと、特別に言う必要がなくなるNEVRUZが毎年続くといいなあと思った一日でした。






 
トルコ・セルチュク大学にて「春の娘」。

 




本日の写真はANADOLU AJANSI(アナドルアジャンス)のHPから拝借しました。

40GUN(クルクギュン=40日)

2007-03-19 06:48:07 | Weblog

起きている時はなかなかじっとしていないエリフ。

トルコで出産、子育てをご経験のジャポンゲリン(日本人嫁)の皆さんは40GUNと言う習慣を経験されましたか?トルコでも最近はこういう風習が都会に行くにつれ薄くなり実際に行う人も少なくなっているようです。でもまだまだ地方へ行けばその地方独自のやり方がもっと色濃く残っているところもあるのではないでしょうか。


エリフのお気に入り、窮屈そうなのにこの中だとおとなしく寝ています。
この日はお姉ちゃんビルテンのお下がりの初スカート姿。(義妹の手製です。)


1月に生まれた義妹の娘エリフも先週生後40日を無事に迎えました。この産後40日の間は母子ともに外出をせず、安静に過ごす期間となっているようですが、日本でも生後約一ヶ月後にお宮参りをしたりしているのを見ると昔から母子保護の為にどこの国でも色々な風習が考えられたのでしょう。


今のところ瞳の色は「鉄色」のような不思議な色です。
抱っこしているとたまに微笑むんですよ~。オババカ。


昔は40日の間は赤ちゃんをお風呂にも入れず、初めて40日目にお風呂に入れたことから40日目にお風呂へ入れることが行事として残っているようです。最近は40日ではあまりにも長いと言うことで20日目にこの行事を行う人もいるようです。

アンネ(義母)と義妹による40日の行事はまさに20GUNと40GUNのミックスヴァージョン。まず20日目に20個の石を拾ってきて洗い桶にいれてから赤ちゃんを洗い、最後にざるの様なものに石をあけてそれを通した湯を赤ちゃんにかける。その後最初に外出をします(義妹はどこへも行かなかった)。訪問先からは卵、砂糖、衣類、ハンカチ、靴下などが贈られるそうです。
次に40日目に今度は40個の石を入れた洗い桶にTESPIH(テスピフ=数珠)を入れ、それに41回「Bismillahirrahmanirrahim(慈悲深きアッラーの名において)」という言葉を唱えてから取り出した後20日目と同じ様に赤ちゃんを洗い、頭から石を通した湯をかけます。この時にIHLAS(イフラス)を3回、FATIHA(ファティハ)を1回詠むのだそうです。(IHLASとFATIHAはいずれもコーランの章)


お風呂に入れているところを写させてとはどうしてもいえませんでした。
因みにトルコでは親と子供が一緒にお風呂に入ることはないようです。



この様にみんなに見守られながら、どんどん大きくなっているような気がするエリフです。