秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

全和鳳美術館。

2011年11月11日 20時18分40秒 | 路地と廃屋

 この廃屋は3年ほど前にチラッと紹介したんですけどね。三条通り(蹴上)を通過
するたび、昔から気にはなっていたんです。

ただ、あの時は、この先の病院に親が入院していたもんで、見舞いの途中に、サクッ
と撮影したのにとどまりました。

この先、退院する希望のない父親を見舞うにあたって、廃屋をキッチリ探索する気に
はとてもならなかったのであります。

父親が他界してからも、車で走行中、横目でチラリと眺める程度でしたが、今回その
近くに偶然用事ができたもんで、あと数カット写真に収めた次第です。

了徳寺が京都最大、相撲で言えば横綱級の廃屋なら、この美術館は大関クラスの
廃屋です。これくらいの廃屋になると不謹慎なヤカラがおいそれとは訪れません。

下部に人が現住しておられることもあるのでしょうが、落書きなどの荒廃した様子
が見受けられないのは、好ましい廃墟といえるかもしれません。(内部までは探索
していないので、現状は不明ですけどね)

この不ぞろいの階段、ワタクシ好みです。↓

階段を登りきった先にあったお地蔵さん。この先は墓地で行き止まりでした。

この建物にはまだ、謎が多く潜んでいそうですが、それはまた、おいおい解明して
いくつもりです。(いつになるかは分かりませんケド・・・・・。)

 


デビット・ボウイ邸

2011年11月11日 20時04分56秒 | 京都非観光迷所案内

 「この屋敷、デビット・ボウイが日本に居る間暮らしていたという噂なんですよ」と後輩の
K君に教えられて、アタシャ、シバシ唖然といたしやしたネ。

と、いうのは、その事実(かどうかは分かりませんけど)よりも、一瞬デビット・ボウイって
どんな顔していたっけ?というオノレの記憶のフガイなさに驚きましたョ。

まぁ、若い頃は「ケッ、なぁにが、でぇびっと・ぼういやねん、男はロケンロールに決まっと
るがな、ほいでもってリーゼントに皮ジャン!これしかナイ!!」

なんてコト言いながら皮ジャンを買うお金がないもんだから、ビニジャン(合皮でもないとこ
ろが悲しい・・・)の襟を立てていたワタクシでありました。

今思っても、赤面のいたれりつくせり(また日本語が間違ってますよ~)であります。

それはともかく、この瓦に黒塗りの塀は日本人の感覚ではありえませんナ。いや、「粋な黒
塀、見越しの松に、アダな姿の洗い髪~♪」なんて歌もあったけど。(それは杉板の塀です。)

表札(ってのも変ですけど)はボウイ・キッドであがっていたとか。これは都市伝説の一つ
かも知れませんが、この坂を登った先に有名人の豪邸がそびえ立っているのは事実です。

かつてH・Gと噂のあった元舞妓はんが暮らしていはります。K君の自宅のすぐ上なんです
けど、先日彼の家を訪ねた折にタクシーに乗り込まはるところに遭遇しました。

あれからかなり年月を経ていますが、さすが祇園の水で育った艶姿は衰えるどころか磨き
がかかっておりましたナ。ま、私には縁のない世界ではありますけどね。(興味もないし・・)

場所は、ま、いいでしょ。不確実な情報だし。ヒントは蹴上近辺つうことで・・・・・・。
これは重要なヒントです。昔はドライバー泣かせのU字カーブでしたネ。↓