秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

浄蓮華院(深草毘沙門天)

2011年11月05日 18時55分40秒 | 京都非観光迷所案内

 不思議、というか、流れというんでしょうかね。山科の毘沙門堂を訪ねた翌日
深草(伏見)に所用ができて、車を走らせました。

目的地の近くで目にとまったのが、仁明天皇深草陵の立て札。こんなの見つける
と、通り過ぎることができないワタクシであります。
  

   

仁明天皇や陵墓については、またいつかお話するとして。(多分忘れてしまうと思うけど)

そのすぐそばで、ワタクシのアンテナにビビッと引っ掛かったのが、この建造物です。
    

モスクのようなビルマの寺院のような摩訶不思議な建物。いつもなら写真に収めて、テキトー
に投稿するところですが、昨日山科の毘沙門堂を訪ねたもんで因縁を感じてしまいまして・・。

この横に住職が住まわっているであろうと思える民家があったもんで、インターホンをプッシュ。

最初は怪しげに思われたかもしれませんが、ただの物好きなオッサンだと分かったのか、
いろいろお話をしていただけました。

まず、この不思議な寺院ですが、これはご住職が各地を巡り、構想を練りあげた建造物だ
とか。驚くべきことは、これを造り上げたのはたった一人の職人だったそうです。

60年前に建立されたそうですが、今見ても壁にひび割れもなく、雨漏りなども一切ないと
いう話です。恐るべき職人技です。

ご住職に、「失礼ですが、60年前にこのような寺院を建てるにあたって、延暦寺(天台宗)
からクレームなどは無かったのですか?」と訊ねた私に対する答えは

「な~んもない。一銭も金は貰っとらんから、延暦寺からは」。・・・・ナルほど・・・・・。

で、ご本尊はやはり毘沙門天なのですね、と聞いたら、本来は桓武天皇を祭神とされて
いたそうです。寺院の後ろの藪は、桓武天皇の墓陵だそうです。

たしかに円墳の形です。桓武天皇の陵墓はそちこちにありますが、それらは明治に入って
から名乗りでたもので、こちらは江戸時代にすでに認定されています。(ご住職談)

桓武説はともかく、昭和25年の農地改革法が発令されるまで、このお寺は皇室から相応
の田畑を受領していたという話ですから、なんらかの関係はあったんでしょうね。

今回は久々に迷所案内らしいスポットを紹介できたかも。