HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

だが・・・渦を巻く、気持ち。

2013年02月19日 |  思いのまま
さて、何から書きましょうか(苦笑)
整理できないこともあるとは思いますが。

ワタシは暴力は嫌いです。
ですが、人間が生きていくうえで、必ずしも体罰=悪 であるとは言い切れないと思います。
それは、人として、限度と節度というものがあれば、すべてが悪い方向へ進むとは限らないからです。
だけど、残された術が平手打ちでしかない場合でも(代用できると言われるかもしれませんが)
それを遠目で見た人は(事情を知らない場合)ただの暴力事件だと思うでしょう。

すべてにおいて言える事ですが、片方からの言い分だけでは、真相を知ることが出来ないという事です。


話は少々逸れますが、ワタシは学校の先生に
「手をあげなければならない事を子供がした場合、遠慮なく叩いてください」
と挨拶の時、言ったことがあります。
躾は家庭でするものです。
ある程度出来ていれば、先生が手をあげるような子供にはならないでしょう。
それでもなお叩かれたならば、話し合いをして先生の考えを聞くなりし、
善悪をはっきりさせればいいと、思っていましたから。

ワタシの小学校低学年時の担任が、とにかく罰を与える事を好む人でした。
宿題をひとつでも忘れたら、15分~30分の正座(重しあり)や、水平腕上げ継続15分など、さまざまありました。
気に入らない態度をとった時もそうでした。
一度、かなり強く抓られ、頬の顎近くが青痣になり、両親とともに教頭先生の自宅に訴えに行った事もありました。
その時は、翌日担任から謝罪はあったものの、しばらくすると体罰は復活しました。

そして、家では父が厳しかったので、そんな生活の中、
ワタシは、少しずつ性格的精神的におかしくなってしまったようでした。
毎日ビクビクとなにかに怯えながら、人の顔色を伺うようになっていたのです。

高学年に上がる頃、新しい担任になり、ワタシは変わることが出来ました。
担任はワタシを見て、母と連絡を取り改善の方向に持っていって下さったのです。

そうでなければ、今のワタシはいません。
その先生には、今でも感謝しています。
しかし、昔に受けた体罰と恐怖心は今でも甦り、苦しむこともあります。

そんなワタシですが、子供に手をあげた事は数回あります。
その時というのは、やはり感情に負けてしまった時。
感情に流されて叩き、子供の寝顔を見て涙するということを何度か繰り返し
自分の幼いころの感情とオーバーラップする日々。

『同じ思いは味あわせたくない。ワタシを恐れる目で見てほしくない』
そういった気持ちが、’怒り’という感情を抑え込みました。

手は上げなくなりましたが、怒鳴ることはありました。
そして、諭すように話すということも覚えました。

けれども、その後も娘を平手打ちしたことがあります。
それは、ヒステリーを鎮めるためでした。
その当時の娘は、自分の思いが爆発し、泣き始めるとヒステリーを起こし
泣き叫び続けることがありました。
確か4歳くらいだったと思います。
やむにやまれぬ思いで、軽く叩きました。しっかりしなさい、と。

叩かれた娘は、びっくりして泣き止みました。
その後、ヒステリーを起こすことはなくなりました。

それからは、何度か注意したことをやらなかった場合、
罰として、軽く頭をはたく程度のことはありましたが、
娘たちも成長し、怒ることも少なくなりました。


日常的な体罰は、絶対にいけません。
それは、躾でも教育でもなんでもありません。
ただ、子供の想いを削ぐだけです。
子供の人格を’消して’しまいます。
子供自身は’自分の存在も意思も感じなく’なります。
そんな子供に、大きくなって一人で歩けといっても無理です。

少々話はそれましたが、部活動の顧問となると、他人ですから
気持ちの伝わり方も、さらに鈍ります。
子供は、親に対しては無条件に信頼を寄せていますから、
恐怖を感じながらも、体罰を受け止めざるを得ません。
しかし、信頼関係を結べていない他人からの暴力は、愛情を感じることすら難しいと思います。
暴言とセットなら、尚更です。

ここまで書いていますが、まとめるのは難しいです。
でも、基本的に、ワタシは体罰には反対です。
ただ、家庭的に満たされていない子供に対して、親の部分をカバーする意味でやったとしたら、
何とも言えません。
家庭でも体罰はいけないことと思いますが、どうしようもない場合があるとしたら
’してはいけないこと’の一辺倒では済まされないこともあると思います。

親ですら子育てに悩むのですから、教師も悩んで当たり前。
だからこそ、安易に体罰をしてはいけないのです。
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1 コメント

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Unknown (ふぅ)
2013-02-24 14:30:42
こんにちは♪
娘さん 良かったですね。 うちの息子たちは出来が良くないので、本当にうらやましいです。

昔から学校とかの先生が手をあげる場合、その子の為は七割、自分の機嫌三割くらいでしょうか? 最近は体罰による処罰などの為 ほとんどの先生は自身を犠牲にしてでも子供たちの為と言う方々ではないでしょうか。

以前、すぐきれるのは…という議論の解決策でゆとり教育が産まれました。先日の追伸でのように、社会が学校が ガラス細工を作っているからだと思えてなりません。
ゆーさんの時代もそうだったように、私も野球少年でしたので 炎天下でも水分はとらせて貰えず、みんなぎりぎりの中で練習をしていましたよね。 それでも「うがいをしてきます!」と言うと、先生もすべて分かっていて 水分補給をさせて下さっていました。 そのようなぎりぎりの練習の中で 誰一人倒れた生徒を見ませんでした。
時代が代わり、練習方法も無駄が一切なくなり、体の水分バランスが崩れるとベストパフォーマンスが出来ないと言われる中で、子供たちはいつもベストです。喉が乾くことは有っても、水分バランスがぎりぎりの中で…という体験は今は有るのでしょうか?
花屋の店先の選定されて分別された花は確かに誰が見ても美しいです。
私たちの子供たちを みんなで美しい花のように切り揃えて、親たち社会は栄養分を与え、定期的にきれいな水に変えてあげるつもりでしょうか。雑草のように…みんな昭和は そこを目指して頑張って来たのではないでしょうか。
私も今、子供たちのスポーツクラブの指導者ですので、極力 今の指導方法を取り入れて頑張っています。確かにその方が上達も早いです。 しかし、それで良いのであれば、私はすぐに指導者を辞めます。私にとってあんまり魅力的では…

体罰! ? ?
それが良いか悪いか…。 多分悪いでしょう。
でも、もっと深い 社会が問題とも思っていない大切な問題がおざなりにされています。
このままだと体罰ではなく、叱咤激励でも子供たちが…と。


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