HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

体罰は暴力だ。だが・・・

2013年02月01日 |  思いのまま
今、体罰によって自殺した子の件から、次々にスポーツ界での体罰へと波及している。

ワタシは「水なんて飲むな!飲んだら負けだ!」というスポーツ精神時代に
部活動をバリバリやっていたわけだから、体罰も一度は経験している。
とはいえ、顧問に平手打ちをされたのは、中学1,2年の時だったと記憶している。
その時、思い返せば部活動顧問は全くの素人で、本を買ってきて勉強し指導するといったものだった。
そんなこともあってか、先輩方から舐められたような態度を取られ続けていた顧問が
ある日突然豹変し、いきなり怒られた、というようにワタシは受け取った。
その時は「連帯責任だ」と言われ、並ばされて平手打ち。
その後、「1年は30周、2年は40周・・」とか走らされた。

きっと何らかの理由があってのことだったんだろうけど、今では記憶が定かではない。
(結局、この新しい顧問が指導し始めたおかげで、以前から来てくださっていた経験者のコーチは
 わが校には来て下さらなくなり、別の学校を教え始めたという・・(^^;)

ぶたれた時は、漠然と「しようがない」と皆感じていたのだろう。
だけど、ワタシ自身としては、課せられた罰を難なくこなせてしまったことに
逆に自信を覚えたことは、はっきりと記憶している。

こういった感情が’愛のムチ’として認識されてしまうのだろうか。

それ以降、体罰はない。
高校時代の部活動コーチも厳しかったが、手を上げることはなかった。
苦しい練習を毎日のようにこなせたのは”上手くなりたい””強豪校を破りたい”という気持ちがあったからだろう。
高校の3年間は、ほとんど家にはいなかったし(^^;

ただ、年上の方は「体罰も必要だ」と仰られる。
体罰がないと上手くはならないと。
確かに、体罰うんぬんは置いておいて、’なにくそ!’という気持ちがないと
上には上がれない。
それはスポーツだけではなく、どういった環境・状況に置かれてもだ。

体罰はいけないことだ。
だけども、体罰をなくしたとしても、パワハラや暴言は無くならないと思う。
体罰以上に、線引きが難しい事であるからだ。
それは、セクハラでおわかりだろう。
パワハラや暴言は、スポーツの世界だけではない。
日常的に、其処ここにあるのだから。
例えそれが、安らげるという家庭内であっても。
個々の人間の認識を、もっともっと深めなければ、減ることはない。

コメント (3)
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