公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

東京大賞典回顧

2005-12-29 19:11:21 | 大レース回顧集

ダート王者決定戦の第51回東京大賞典が29日、大井競馬場で行われ、4・アジュディミツオーが同レース史上初の連覇を達成した。

前売りの段階では超大物と目された1・シーチャリオットが1番人気だったが、直前になって実績上位の15・タイムパラドックスが1番人気。以下、6・シーキングザダイヤ、シーチャリオット、アジュディミツオー、一昨年の覇者、11・スターキングマンの順。

スタートはほぼ揃ったが、好枠を生かしてアジュディがハナを切り、これに14・ナイキアディライト8・ユートピア、シーキングザダイヤ、シーチャリオット・スターキングマンが続く。1番人気のタイムパラドックスは中団よりやや前、その後ろに9・べラージオとなり、2・ボンネビルレコードは後方から5頭目。

アジュディが快調に飛ばし、これに外に回ったシーチャリオットやタイムパラドックスが外から仕掛けにかかるも、アジュディはさらにペースを上げて後続を寄せ付けない走り。

直線に入って、アジュディをマークする形のナイキ、ユートピアあたりがズルズル下がるのを横目に、シーキングザダイヤが懸命に追い、さらに大きく遅れてタイムパラドックスもやってくるが、アジュディミツオーのペースは全く衰えることなく、昨年に続いての逃げ切り勝ち。2着シーキング、3着タイム、4着べラージオ、5着ユートピアで、シーチャリオットは4角までの8着、スターキングマンは10着に終わった。

今年はドバイ遠征もあり、なかなか体調をベストに戻すことができていなかったアジュディミツオーだったが、最後は自らの競馬で他を圧倒。史上初の東京大賞典連覇の偉業を成し遂げた。

前々走の武蔵野Sではしぶとく4着に入線も、続くジャパンカップダートでは馬が行きたがっていたことが災いして直線に向いたらバテてしまった。

だが、シーチャリオットの主戦でもある内田博幸は、3戦目となる今回は十分チャンスと見てアジュディミツオーを選んだわけだが、やはり「名手の目」は確かだった。

スタートは枠順がいいこともあって飛び出したわけだが、道中全く引っかかるところもなく、他馬に来るなら来てみろ!といったばかりの気合いぶり。昨年もそうだったが、気持ちよく競馬ができたときのアジュディを交わすのはそう簡単なことではなく、今回も大きな馬体を揺るがせるかのような走りっぷり。むしろついてきた馬がバテてしまった。

530キロ台という馬格のため、常に一定レベルでの調子を維持していくことは容易くないとは思うが、絶好調時であれば、アメリカのダートでも十分通用する逸材。来年も恐らく現役を続行するかと思うので、まずは中央のダートG1制覇が目標、いや、海外のレースも今後も十分視野に入れて欲しいもの。

シーキングザダイヤはまたもや2着。銀メダルコレクターといわんばかりの成績が続いているが、前々勝負で粘りこめたのもこの馬しかおらず、今回は勝った馬が強すぎた。しかし来年はソロソロG1制覇が欲しいところ。

タイムパラドックスは4角で武豊の手が動いていた時点で苦しい競馬。何とか3着まで持ってこれたのは地力があるからに他ならないわけだが、いささか反応に鈍さも感じられ、ひょっとすると来年は厳しい戦いになりそう。そのあたりをどう陣営が捉えるかだが。

期待十分のシーチャリオット。4角では見せ場もあったが、直線伸び切れなかった。まだ本調子ではないのかもしれない。

今年の地方競馬もまた、厳しい環境下に置かれたが、一方で明るいニュースも決してないわけではなく、むしろ笠松競馬の廃止撤回の際はファンの後押しもあって、ファンとの距離が一層縮まっているようにも感じる。

一方で福山の一件や名古屋のJBCクラシックの一件など課題を残す面も見られた。しかし中央競馬にはない、身近で楽しい環境を作り上げていって欲しいものだね。それができればまだまだ捨てたもんじゃあるまい。


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2005年最終戦?

2005-12-29 09:24:10 | 現場レポート

12月24日、私は向日町競輪場へと行った。

本来、競輪は「ボイコット中」であったが、なぜ行ったかというと、「縁起を担いでいた」から。

もともと24日という日は向日町のレースカレンダーにはない日。つまり雪で順延されたため、24日が最終日となったわけである。

過去、そうした「空白日」は過去4回、全て競輪に行ったのだが、「全て」儲けて帰れた。

最初は9年前の小倉。まだ旧競輪場時代。台風で順延となったため。2回目は花月園。誰かがバンク内に油を撒いたために初日が順延となったときだ。

3回目は5年前の「今はなき」真夏の西宮。このときは皇太后さまご逝去によるもの。そして4回目は2年前の高松宮記念杯決勝日。このときは台風順延。

しかしこの日の向日町はF2という「不人気開催」に加え、奈良のF2も開催されていたこともあってガラガラ。でも寒いからか、指定席は半分ぐらい埋まってたな。

決勝しか興味がなかったし、寒いので指定席にずっといたわけだが、3レース、かつての新人王にも輝いたことがある渡辺孝夫の引退レース。

出来レースも予想され、前を任せた岩崎武志が逃げたものの、4人いた京都勢に最終回で巻き返され5着ゴール。レース後、渡辺は「胴上げ」された。しかし56歳か、まだやってたんだな。

この渡辺は今岸和田でガイダンスコーナーにへばりついている大津初雄とともに、弱体化した「名門」大阪を牽引。74年新人王の他、75年に西宮、78年に向日町の各記念を優勝したほどの選手で、73年のスペイン世界選手権のスプリント代表選手でもあったわけだが、時代が「悪すぎた」。

これがデビューする10年前、さらに今ピークだったら、ひょっとするとタイトルを取っていたかもしれなかった選手だった。でも、長くよく頑張ったな。但し渡辺よりも年が2つ上の選手は「まだ」現役だぜ。バンちゃん

さて決勝。人気は完全優勝を目指す坂本晃輝→良永浩一に集まったが、伏兵が多く混戦ムード。ということは「万シューの匂い」が?

「おなじみの」2車単ヨーロッパ外しの6点ボックス買いで十分万シューも狙えると思っていたし、九分九厘それで「大丈夫」だったのに・・・

良永が逃げ、番手の坂本が一旦は先頭に立つも、9・谷本一樹が2センターで捲り上げてきた。ゴール前は谷本、坂本、それに谷本マークの4・岡田浩太の3車の争いとなってゴール。体勢的には9-2で決まったと思ったし、もしそれなら「万シュー」・・・ところが。

岡田が最後抜いてやがった。スカ・・・

「このボケドアホ!いらんことするな!」

と言っても仕方ないな。

というわけであまりにもこの負けのショックが大きく今年の公営バクチはこれにて終了?そして、カレンダー空白開催に行けば「必ず儲かる」という「定説」も見事に崩れた。

でも考えてみれば、過去にそうしたときに行った日って決まって夏場。冬場はこれまでなかったのか・・・

それには気づいてなかったな。


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2005公営競技10大ニュース その2

2005-12-29 00:23:07 | 10大ニュース

A 「7位は特殊法人等改革推進本部参与会議から消滅をつきつけられたオートレースが前々から思案が練られていた構造改革を4月から施行。6場一律の開催日数をやめ、開催場によって弾力的な開催日程、つまり全体的な開催削減、それに伴う選手の事実上の首切りをやったところ、場外発売を大幅に拡大させたこともあるが、4~9月の上半期で売り上げをアップさせた。」

B 「しかも他競技を見渡しても、上半期の売り上げをアップさせたのはオートレースだけしかないんだよね。全体で2.4%プラス。当然開催を削減させたことから、1日当たりの伸び率は何と23%。まるで昭和30年代を彷彿とさせるような伸び率だ。」

A 「このことは、いかに今、他の競技で無駄な開催がはびこっているかということが分かるというもの。そしてオートレースでこうした「成果」が出た以上、とりわけ選手数を一番多く抱えている競輪でも将来的にこうした試みが行なわれるのではないかという声もある。」

B 「それにオートレースは構造改革を行なった4月からトップクラスの戦いとなるSG・G1はかなり面白くなり、ベストレースだ!と唸るような内容のものが続出している。如何せん、オートレースはファン人口が少ないもんだから全体の注目度はいまだ低いが、この調子で来年も頑張って欲しいところ。しかし後に取り上げる浜松オートレースの存廃問題はいまだ揉めているね。」

A 「6位は岡部幸雄騎手の引退。JRA通算2943勝はいまだ同第一位、またJRAG1級レース制覇も36回、さらに欧州G1制覇も果たすなど内外に亘る活躍を果たした。」

B 「ま、何と言ってもシンボリルドルフの全16戦に騎乗した騎手ということで完全に名を上げたね。馬事公苑同期に「天才」福永洋一がいるんだけど、その福永が落馬事故で騎手生命を絶たれた後ぐらいから勝ち星も量産するようになった。やはり「期するもの」があったんだろうね。」

A 「武豊がG1勝利数で岡部に追いつくや、その翌週岡部が引き離すなんてことはよくあったからな。だから武豊も「いつになったら岡部さんを追い抜けるのか?」と、岡部の存在があまりにも高いことをこぼしていた頃もあったね。」

B 「それに海外の競馬を本格的に見据えたのは岡部が最初だろ。後になって武豊も倣うようになった。ということは武豊も岡部の存在がなければ今はなかったといえるのかもしれない。」

A 「それに、騎乗フォームもいいし、特に若い騎手は岡部のフォームをよく見て欲しい。いまだ模範的なジョッキー。こうした騎手ってそうそう現れるものではない。」

B 「そうだね。岡部のような騎手をいかにして育て上げていくかが今後の競馬界の課題でもあるな。」

A 「5位は5月に発生した福山競馬の調教師・厩務員名義貸し事件。この事件で福山競馬のリーディングトレーナー・番園一男容疑者が逮捕されたが、当然、番園容疑者が抱える管理馬は多くてしかも有力馬揃いということから開催不能となり、2週間ほど福山競馬の開催は行なわれなくなった。」

B 「実際には番園容疑者が馬主だが名義を他人に移していたということ。そして福山市から不正に補助金を受け取っていたということで御用になった。ま、地方競馬では昔からよくあった話なんだが、調教師が馬主にはなれないというのは当たり前の話であって、番園容疑者は「廃業」を余儀なくされた。」

A 「実は2月にもJRAから出されていたアラブの補助金を不正に搾取していたとかで馬主が逮捕され、事実を調べ上げていくうちに、「番園と厩務員の山内もやっている」ということになって御用となった次第だが、実際、番園容疑者はリーディングトレーナーとはいえ、年間の稼ぎはせいぜい700万円程度。こんな数字ならばサラリーマンやってたほうがいいというもの。」

B 「不正に補助金をもらった額ってたったの80万円程度だが、それでもないよりはマシってことなんだろうね。」

A 「番園容疑者は主に「ユノ」の冠名がついた馬を管理していて、幾度となく重賞制覇も成し遂げた。だからこんな事件が発生するとそりゃ競馬はできない。予想以上に大きな事件となったものだ。」

B 「そして福山競馬もこの事件を契機にアングロアラブの競馬とも半ば決別する様相だな。何せ、広島県の馬主会はアラブの仔馬に手をつけなかったとかいう話だからね。しかし生産者は大激怒し、もう福山には馬を売らないとまでいい始めている。一方では不正にカネを取り、また一方ではアラブを見捨てる。それにしても根の深い事件だな。ひいては福山競馬の今後にも影響を及ぼすかも。」


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