公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

10月30日の波乱レース

2008-10-31 17:57:06 | 競馬

・10月30日

大井10レース

http://www2.keiba.go.jp/keibaWeb/PageFlows/RaceMarkTable/RaceMarkTableController.jpf?k_babaCode=20&k_raceNo=10&k_raceDate=2008%2F10%2F30

2頭(1、4)競走中止。

http://www.chihoukeiba.jp/nar/meta/vod/20/2008/10/30/202008103010.asx

ゴール残りあと100m付近で1が落馬。これに4が乗り上げ落馬。


この記事をはてなブックマークに追加

専門紙の未来ってあるのか?

2008-10-31 03:10:03 | 競輪

ところで、最近のコンドル日記はなかなか興味深い記事が多いな。

TOOL4より

平成20年10月19日(日曜)

世界の株価は急降下したかと思えば急上昇、そして急降下と凄い事に。株で勝負している人達からすれば「競輪なんて小さい」としか映らないでしょうが、この世界しか知らない私には現在の状況は深刻で寂しいものが。我々の同業者も栄華の時代は終わり、辛抱の時。数年前に関東圏を支配していた黒競が廃刊、小倉・防府では専門紙は消え、今年に入り広島では老舗の研究社が今月一杯。前橋の赤城も大変な事に成る前にで今年一杯で廃刊の見通しとの事。ファンも老齢化し、情報は「紙」の時代は去る運命に。インターネット主流。しかし現場から遠ざかる傾向が。現在の競輪界の低迷、厳しいのは我々だけではない様な気がします。私は体力が続く限りでも、それより本体の方が不安に成っているのは事実。


まぁ、今年はホースニュース馬も廃業したし、公営競技専門紙はまさしく冬の時代、というか、衰退業種であることは間違いなさそう。

そういえば私も最近、公営競技の専門紙ははっきりいって買うどころか、見ることさえなくなった。昔は競馬ブックをそれこそ競馬が終わったあとも食い入るようにしてみていた頃もあったけど、こんなことを言うのは何だが、今や中央競馬についていうならば、スポーツ紙と専門紙の情報量の違いというものはほとんどなくなった(厳密にいえばもちろん今でもあるんだが)。

しかし、中央以外の公営競技についてはまだまだそのようにはいかない。

がしかし、競輪については、それこそ、客のほうが「分かっている」と豪語する人もいるくらいで、そんな人はスポーツ紙さえ見ず、競輪場に置いてある出走表だけで車券を買っている。

となると、専門紙の存在そのものの意義が問われてくる。

ま、コンドルについていえば、印は一つしかない上に、当たり障りのないところに印が打たれ、一方で予想者の気に入らない選手は、たとえその選手が人気になると予想されていても、大胆にも無印となることがあるように感じた(逆をいえば、気に入っている選手は「特注」とかいった形で印が入っている)。したがって私からすれば、コンドルという新聞は使いにくい。

ところで2年前、熊本競輪場の入場門で待っていると、

「コンドル持っているの?見せてくれない?」

と言ってきた人がいた。なぜ?と聞くと、

「いやぁ、あたるかもしれないから」

だって言った。

ま、それだけ熊本ではコンドルの信頼度は絶大なんだろう。というか、大社長がよく自慢げに、

「私の予想を信じた人は、今日は大儲けしたことでしょう!」

とコンドル日記でも書いているが、それを感じている客もいるってことなんだろう。

上述した通り、私は今や、専門紙を買ってみることさえなくなったが、それでも、競輪ダービーや、日刊競馬の大井版には非常に助けてもらったという思い出がある。

これがネットあたりだと、なかなかそのような思い出を呼び起こさせてくれるようには思えない。要はネット情報の大半は紋切り型で、見ている側に考えさせるような内容にはまずなってないから。

ま、専門紙の話については、何度となく同じような内容のことを書いてきたが、要は、客が必要としながらも、なかなか客自身では掴みにくい情報をいかに提供できているかが専門紙に問われているんじゃないかな。

コンドルについては、要は取材における「裏情報」を新聞に掲載することが今でも売りなんだろ。ま、そうした売りがないと、500円とか、410円もするものを買ってはもらえないわな・・・


この記事をはてなブックマークに追加

超満員狙うとかいうけど・・・

2008-10-31 01:28:55 | 競馬

11月3日に園田競馬場では初めて行われるJBCだが、入場者目標を何と2万5000人と置いているとか。また、JBCの売り上げ目標は17億円だとか。

http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/10/30/21.html

2万5000人というと、園田では超満員。馬券の買いそびれも十分考えられる数だ。最近では正月開催ですらこうした数字はお目にかかったことがない。

ところで園田といえば、今月、2度も禁止薬物馬が出てしまった。これに激怒した人もいる。

http://blog.goo.ne.jp/yoroshiku109/e/36f123136c8a8acc13896dfad8d11e9c

要は、「ふざけるな!こんなところでJBC開催なんてちゃんちゃらおかしい!」ということ。その通りだ。

と考えた場合、「うっかりしていたのだが」、今年は船橋、高知、浦和、ホッカイドウ、岩手、ばんえいといったところでも禁止薬物馬が発覚しており、船橋では調教師が逮捕されていることを考えると、

「こんなところで、Jpn1の競走を開催するのはちゃんちゃらおかしい!」

ということも言わねばならないということになる。しかしながら、船橋も盛岡も、既に今年のJpn1の開催は終了してしまった・・・

本来ならば、「地方競馬に蔓延する薬物汚染事件にかんがみ、今年のJBCは中止にすべきだ!」ということを言わねばならない、特にひとつきに2度もそうした事例が出てしまった園田ならばなおさらなのだが、となると、自厩舎で起こった事例ではないとはいえ、同じ南関東地区である船橋、浦和で発生した手前、川崎の全日本2歳優駿も、そして、大井の東京大賞典も、今年は中止にすべき、ということがいえるかもしれない。

今年はここまで、地方競馬における同種の薬物事件が連続的に続いている。そのことを無視することは当然できまい。ま、JBCを中止にしろ、というのであれば、少なくとも、年内の地方競馬場で行われる全国交流重賞は即刻中止にすべきだろうな。

でも前述したとおり、船橋も、岩手も、既にJpn1の開催を終えてしまったことをかんがみると、園田のJBC中止はできないという理屈になってしまう・・・

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

10月30日の大量落車

2008-10-30 18:46:59 | オートレース

山陽11レース

http://autorace.jp/netstadium/ns/RaceResult/Display/?p=6&d=2008-10-30&r=11

1名(1)反則原因、2名(5、6)他落。

http://autorace.jp/netstadium/ns/Ondemand/asx/?d=20081030&p=6&r=11

1周目バック手前、1がドドッて車体ブレを起こした上に、6の前輪を引っ掛けて6、さらに5を転倒させる。


この記事をはてなブックマークに追加

さらば、ふるさとダービー

2008-10-30 06:49:42 | 競輪

♪ありがとう、友よ~、さらば、ハイセイコー♪

という歌があったけど、1989年12月、広島競輪場で産声を上げ、約20年間に亘って開催されてきた、「ふるさとダービー」が、明日31日からの開催をもってその幕を閉じる。

このふるさとダービーっていうレースは、はっきりいって、取れそうで取れなかったという思いが今でも強い。

2001年の武雄決勝。郡山久二が1着、横田努が2着で入り、確かこの組み合わせで2万円ほどの配当が入るはずだった。大宮競輪場のサービスセンターにいて、払い戻しをずっと待っていたところ、

「おい、横田失格で加倉が2着だぞ」

という声が聞こえてきて、「エーッ?」と思ったが、結局、横田が2センター付近で諸橋らを落車させたとして失格を取られ、郡山→加倉で入ってパー。

その瞬間、膝から崩れ落ちそうになった。

4年後、また武雄開催の決勝だったが、佐藤慎太郎を外していてパーだったし、その年の豊橋決勝では、岡部芳幸を抜かしていて、これまたパー。しかしながら今思うに、何で佐藤や岡部を買っていなかったのかなぁ、と悔いるばかりだな。

一方、弥彦へ遠征した2002年の決勝は、大量落車レースとなったが、村上→山田で入って割と儲けたし、2002年の防府決勝は、齋藤→新田で入り、これまた儲けた。あと、2001年の函館決勝は、伏見と渡邉が同着となったこともあったな。

とにかく、考え方を多少ひねれば、万シューが取りやすい大会だった。まさしく、「荒れるふるダビ」の俗称は最後まで生きていたように感じる。

また、当時の若手選手がこの大会で優勝したことを契機に、後にG1を制したケースも少なくない。つまり若手選手にとってみれば、まさしく「登竜門」。

1991年の別府を制した豊田知之は、17年後の2008年、初代S級S班選手となったし、1998年の観音寺を制した小倉竜二は、この優勝を期に一躍トップスターダムへとのしあがり、翌年、競輪王を制した他、2001年の小松島も優勝している。

1999年2月の佐世保を制した渡邉晴智は、2001年の函館でも同着優勝。そして2008年、日本選手権と高松宮記念杯を制覇。1999年12月の佐世保を制した稲村成浩は、2001年の日本選手権優勝者。また同年の富山でも優勝している。2000年の豊橋を制した村上義弘は、2年後に全日本選抜、3年後にオールスターを優勝。加えて村上は、2002・弥彦、2003・向日町、2004・福井でも優勝しており、松本整と並んで最多優勝記録保持者。

2001年の函館。渡邉と同着優勝の伏見俊昭は、その後同年のオールスターを制したが、以後の活躍ぶりは承知の通り。また若手とは言えないが、力がありながらも当時G2以上のレースを一度も優勝したことがなかった小嶋敬二が、2002年の松阪を制したことをきっかけに、翌年の高松宮記念杯で念願の初タイトルを手中にした。

この他、まだG1優勝経験はないけど、初代S級S班選手である平原康多(2006・富山)や手島慶介(2006・防府、2008・弥彦)、また稲垣裕之(2007・松阪)といった選手も優勝経験がある。

加えて、今年引退した滝澤正光が、1995年の小松島決勝で他をぶっちぎって逃げ切ったレースや、松本整が出場機会4連覇(1995・1996の富山と和歌山)を達成したことでも知られる大会だった。

思うに、なくしてしまうのが惜しい大会だ。

しかしながら、今、ふるさとダービーの開催といえば、4日間で100億を越す程度がやっと。川崎や平塚あたりの記念開催よりも売り上げが少ない。にもかかわらず、PRはG1並みに行わねばならないし、加えて、賞典費の捻出も多いとあっては、施行者に受け入れられる大会とはいえないし、ここ数年の流れを見る限り、開催通じて赤字を出したといわれる大会もあったらしい。

創設当初は逆に、地方競輪場にとって、「金のなる木」ともてはやされたふるさとダービーも、今や「お荷物大会」と言われるのがオチだろう。

でも、ネーミングが実にいいし、年3回はさすがに多すぎるので、年1回ならば存在意義はあるのではないかという気がする。

またいい時期を見計らって、「復活」するのを願ってやまない大会だ。


この記事をはてなブックマークに追加

10月29日の波乱レース

2008-10-29 19:50:09 | 競艇

芦屋9レース

http://cgi.kyotei.or.jp/race/kekka.php?day=20081029&jyo=21&race=09

1名(1)妨害、1名(5)沈没。

http://210.148.108.173/bb_top/new_bb/txt/21/rep/rep2008102909.asx

1周1マーク旋回完了直線、1が突然落水。これに5が乗り上げ沈没。


この記事をはてなブックマークに追加

落車をしないようなレースをすることが大事だろ

2008-10-29 16:43:57 | 競輪大量落車

コンドル日記TOOL4より

平成20年10月27日(月曜)

3日目は大量落車が続きました。2日目に堤洋は鎖骨々折。3日目の和田誠吾は肋骨々折。小橋正義に至っては医者が事故現場に駆け付ける程、幸い大事には至りませんでしたが、多過ぎなのでは。心臓病と闘い乍ら頑張ってる地元の森下太志が真剣に訴えてました。それは3年前からJKAと施行者にちゃんとした医者を2人は揃えて、機具を充実させる事、それなのに一向にそれは実行されない内にオールスターでの事故。森下君は真剣です、安心して走れる環境作りは急務、そう思いませんか。そして選手の技術向上も大事、そこら辺りを競輪学校で教える事も。


言いたいことは分かるけど、いわゆる今、「医師不足」が盛んに言われる中、医師の確保さえままならないんじゃないか。ま、どの競輪場にも常勤医師は必ずいるわけだが、要はいかにして落車をしないレースをするかということが大事だろ。

落車レースの防止については、競輪学校で教えるという点については異論はないが、要は実技ではなく、演習(ゼミナール)形式でやらないことには意味がないように思う。そう考えると、拙ブログで常時アップしている、大量落車コーナーなんて重要な学習材料になると思うけど。

要は、実際に当該レースを見て、教官が、「お前はどう考えているんだ?」といった形でやるのが一番と思うけど。その際、「先輩選手」や競輪マスコミがしばし言っているような、

「展開上仕方ない」

で済ましているような論調はもちろんご法度。大量落車って、実は非常に勉強になるわけだし、ひいては、「完走することがいかに大事か」ということを教えることにも繋がる。

というわけで、要はいかに落車しないレースをするかということを、選手が考えることこそが一番求められるんだろ。それが不十分にもかかわらず、医師を増やせとか言ったって、そう簡単に事は運ばないよ。

<追記>

中井光雄さんや、阿部道さんも昔スピードチャンネルで同様のことを言っていたぞ。

「ちゃんと走れ!」って。


この記事をはてなブックマークに追加

日本選手権オートレース40回の足跡

2008-10-29 15:40:36 | オートレース

今月30日より開幕する日本選手権オートレースは今年で40回目を迎える。

http://autorace.jp/archives/record/sg_senshuken.html

第1回は当時ダートコースだった川口で開催が行われ、断然人気の、地元の広瀬登喜夫が周回を重ねるごとに一人、また一人と捌いていき、340mのハンデをモノとせず優勝。広瀬は飯塚で行われた第3回でも優勝した。

1968年3月、今はなき大井オートレース場で行われた第4回より、今日にいたるまで舗装路で開催されることになるが、その記念すべき大会を制したのは、地元の戸田茂司。しかしこの後、戸田は八百長に関与していたことが発覚して永久追放されることになる。さらに、大井オートレース場は1973年3月、美濃部亮吉東京都知事の都営ギャンブル廃止表明により廃止された。その代替地として、1976年に伊勢崎オートレース場が誕生するのは承知の通りだろう。

その後、日本選手権オートレースはしばし開催がない年度が生じるなど、存続の危機が囁かれたが、1976年の第8回(飯塚)からは今日に至るまで一度も開催が途切れることなく行われ、またこの年より、これまた現在に至るまで、日本選手権オートレースはオートレースの開催の中では唯一、全レースオープン戦で行われることになった。その元年となったレースを制したのは、加納好和。

そして1977年、今でもこの大会といえば、この名前を出さないわけにはいかない、飯塚将光が初めて優勝を果たした年となった。飯塚は続く、地元・船橋で開催された1978年も制覇し、大会史上初の2連覇を達成する。ちなみにこの年の優勝戦を実況していたのは、現在、「とくダネ!」などに出演中の小倉智昭氏であった。

1980年、1981年は、実力がありながらも、当時、特別競走と呼ばれた、現在のSGをここまで一回も勝っていなかった、「川口四天王」のうちの2人、阿部光雄、且元滋紀がそれぞれ優勝することになる。ちなみに、阿部の優勝が決まった瞬間、ゲストの平尾昌晃氏が開口一番、「よーし!やった!」と言い、且元が優勝したときには実況の小倉氏が、「無冠のプリンスがキングになりました!」と言っていたことが印象的。なお、1981年の開催は、伊勢崎で初めて開催されたSG大会であった。1982年、秋田敬吾が、大会史上初の5連勝完全優勝を達成。

と、ここまでは、ミスター・オート、飯塚以外の選手がずっと勝ち続けているが、1983年以降、選手生活としても最盛期を迎える飯塚のほぼ独壇場となっていくことになる。飯塚はその後、1983年、1986年、1987年、1989年と制覇。通算6回の優勝を飾ることになるが、この記録は今でも当大会の最多優勝記録。また飯塚は、13年連続(1980年~1992年)、当大会の優勝戦進出を果たしたが、その間4回も優勝を果たした。したがってミスター・オートは今でも、「ミスター・日本選手権」だと言っても過言ではない。

しかしながらその間、飯塚と同期の篠崎実(1985年)が優勝した他、「エンドレスファイター」と称されることになる、田代祐一(1988年)が優勝。また1989年の2着は片平巧であり、徐々に飯塚全盛時代にピリオドが打たれつつあった。

1990年から1994年までの5年間は、片平が3回の優勝(1990、1993、1994)を果たし、飯塚に替わる、オートレース界の顔として確立していくことになる。一方1992年、後に鉄人と称される島田信広が優勝。また1993年の川口大会より、全選手がセア一斉乗り換えとなったが、その大会を制したのは岩田行雄。つまりこの間、俗に、「船橋四天王」と呼ばれた3人のタイトルたらいまわしとなったわけである。

1995年、雨走路となった一戦で、福田茂が船橋勢の当大会7連覇を阻止。1996年、片平が何とSG年間全冠制覇に王手をかけるという、大記録をかけて登場。加えて島田、さらに地元・山陽の小林啓二が共に全勝優勝をかけることになるという、話題性満載の一戦となったが、前年に続いて生憎の雨走路となり、雨が不得手な片平は前年の優勝戦に続いて道中で勝負権を失い、最後は島田と小林の一騎打ちとなったが、島田が制して全勝優勝を達成した。

1997年、優勝戦の時間帯のみナイターレースという、SG史上初の試みとなったが、地元・伊勢崎の高橋貢が圧勝。高橋は翌1998年の船橋大会でも圧勝し、史上3人目の大会連覇を果たした。1999年、池田政和が初のSG優勝を果たしたが、2000年、高橋が完璧な走りを見せて3度目の優勝。つまりこの間、後に2強として君臨することになる、高橋、池田の2人しか優勝しておらず、オートレース界に新時代到来の息吹が感じられるようになる。

ところで、前述した通り、日本選手権オートレースは全レースオープン戦という形式が取られている。しかし次第にその特色であるがゆえに、レースが単調だというファンの見方がされるようになり、人気も売り上げも下火傾向となっていった。

しかし2001年以降、優勝戦においては毎年のように素晴らしい一戦を提供してくれることになる。2001年は、地元・飯塚の浦田信輔、伊藤信夫、岡部聡の3人が、レース中盤よりつかず離れずという、最後まで目が離せない攻防を展開したが、浦田がその激闘を制した。2002年は、一旦は池田に逆転を許した濱野淳が、最後の最後で池田を再び抜き返して優勝。2003年、前年悔しい敗戦を喫した池田が見事に雪辱を果たして2度目の日本一となった。そして当大会史上、恐らく最も素晴らしく、かつ終生語り継がれるであろう2004年の優勝戦を迎えることになる。

地元の池田が、道中は快調に飛ばし、中盤あたりまでは大会連覇も十分に見えていた。しかし、高橋が周回を重ねるごとにヒタヒタと迫り、しかも池田に次第に余裕がなくなってきたのか、白煙も目立つようになってきた。それでも最終周回バック付近までは池田がリード。だが、3角を通過するあたりで、高橋が渾身の差しを決め、ついに池田を逆転。高橋が優勝した瞬間、場内は割れんばかりの歓声に包まれた。

2005年は雨中戦となり、歴代屈指の雨王者・岡部聡が優勝。2006年は田中茂、2007年は山田真弘がいずれも度肝を抜く圧勝で制覇した。そして2008年の今年、日本選手権オートレースは通算40回目の大会を迎える。


この記事をはてなブックマークに追加

昔の競輪に戻りました

2008-10-28 17:04:31 | 競輪

千葉記念の決勝を、まいど!火曜日はKEIRINで見ていたところ、なにやら懐かしいBGMが聞こえてきた。しかもファンファーレもこれまた懐かしい。

確か、1980年代はこのBGMを使用していたと思うが、当時ラジオ日本系(こっちはラジオ関西だったけど)で放送されていた競輪トピックスのオープニングBGMも上述のものだったので、その後採用されたもの、さらに今の競輪ファンファーレと比較すると、思い出も深い。

ま、昔の競輪、なんて持ち出すと、全てがいい、とかいうお方もおられるようだが、少なくとも、ファンファーレや入場BGMは、冒頭のものが割りと今でも競輪では合っているような気がする。

ということを書くと、中央競馬の関西開催の重賞競走の入場BGMも、昔はサラブレッドマーチだったが、はっきりいって、今でもこれをやってほしい気がするしなぁ・・・

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

10月27日の波乱レース

2008-10-28 14:40:51 | 競艇

津6レース

http://cgi.kyotei.or.jp/race/kekka.php?day=20081027&jyo=09&race=06

1名(4)妨害、1名(1)転覆。

http://210.148.108.173/bb_top/new_bb/txt/09/rep/rep2008102706.asx

1周2マーク、4がキャビってエンスト状態となったところ、つけ回った1が乗り上げ転覆。

住之江10レース

http://cgi.kyotei.or.jp/race/kekka.php?day=20081027&jyo=12&race=10

3名フライング。

2 +.03秒、4 +.01秒、6 +.02秒。

http://www.webkyotei.jp/rebroadcast/suminoe2/new/200810271210第12回ブルースターカップ(ゴールデンレース).asx


この記事をはてなブックマークに追加

笠松競馬大ピンチ

2008-10-28 08:17:16 | 競馬

なるほどなぁ。

http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20081024/200810240856_6195.shtml

笠松競馬が3年連続で黒字となったことから、地主側の弁護士も、「だったら元に戻せ!」といった譲らないんだろ。

一審では地主側の主張がほぼ認められ、競馬組合側は敗訴した。ま、二審は一審と見解が異なるケースが少なくないから、逆転する可能性ももちろんあるわけだが、ここでも負けたとなると、リンク先の岐阜新聞の記事の通り、最高裁で審議するような事例とは言いがたいから、笠松競馬場は地主に明け渡さなくてはならなくなるな。

判決は来年1月か2月あたりだとか。

 


この記事をはてなブックマークに追加

「地デジ」よりもネットの更なる充実を

2008-10-28 01:17:28 | その他

地上デジタル放送完全移行まであと1000日を切ったとか。

2011年7月24日が「最後の日」だから、例えば、アナログで見れるビッグイベントといえば、バンクーバー冬季五輪とサッカーのワールドカップ(いずれも2010年開催)だけということになり、2012年のロンドン夏季オリンピックはアナ波では見れないということになる。

しかしながら、デジタルに移行した世帯はまだ半分も行っていないとか。しかも、移行スピードそのものも鈍いようで、北京オリンピックも大きな起爆剤とはならなかったようである。

前々から、3年後の地デジ完全移行はムリという話も後を絶たない。さらに、約1億台と見込まれるアナログテレビが皆廃棄処分となるようでは、大きな環境問題を引き起こす。そもそも、地デジが今必要不可欠なものだとはとても思えない。

それよりも、ネット環境をさらに拡充したほうがいいんじゃないか。というか、地デジで新たにできる機能といえば、ネットを駆使すればほとんど可能なもの。

そもそも、地デジ受像機って、いまだン十万円もするものばかり。テレビの値段って、10年以上も前から3万から4万程度で買えるという感覚があるのに、まるで、40年前にタイプスリップしたかのよう。

加えて今、見たいと思う番組が果たしてどれだけあるというのか。土日の昼間といえば、大半が2時間ドラマなどの再放送ばかり。ま、かろうじて今ワクワクするような面白さがあると思うのは、政治討論番組や国会中継ぐらいなもの。でも、国会中継や日曜討論はラジオでもやるしなぁ・・・

思うに、ニュース番組は今、NHKラジオのほうが面白い。テレビのニュースワイドショーは、今でもじらしにじらすといった、見ていてイライラくるような演出が横行しているようだが、ラジオのニュース番組は、項目を先に挙げて、その通りきっちりとこなす。だから、これは面白くないな、と思ったら、そこで切ってしまえばいい。またテレビでは低俗な内容の番組が目立つ民放も、ラジオだと比較的まともな内容のものが少なくない。

地デジ完全移行とするのであれば、クライアントからふんだんにカネをもらいながらも、多くをピンハネして、残ったカネで下請けに安上がりな番組を作らせるといった体質をいい加減改めたらどうなのか?

そう考えると、ホリエモンがいつか、「今平均で1500万円ほどもらっているテレビ局社員の給与を下請け並みに下げ、浮いた分を番組制作費につぎ込む。」と言っていた頃が懐かしいが、まずはそれを実現させるのが先ではないかなぁ。 


この記事をはてなブックマークに追加

10月27日の大量落車

2008-10-27 21:24:30 | 競輪大量落車

千葉記念7レース

http://keirin.jp/pc/dfw/dataplaza/guest/raceresult?KCD=32&KBI=20081027&RNO=7

1名(7 <14.1>)落車失格、1名(6)事故入、1名(2)再入、3名(1、5、9)棄権。

mms://streamw1.hitpops.jp/chiba/wmv/200810277r.wmv

最終4角、7が2を押し上げたところ、2がバランスを崩し、7共々転倒。さらにその他4名も上記のごとくの事故。

 


この記事をはてなブックマークに追加

内国産リーディグサイアーの日近し

2008-10-27 18:15:10 | 競馬

昨日のドリーム競馬でやっていたが、今年のJRAのリーディングサイアーは、51年ぶりに内国産種牡馬となるのが確実な情勢。

第二次世界大戦以前は、長らくイギリス産輸入種牡馬がリーディングサイアーとなっていたが、第二次世界大戦の影響を受け、イギリスなどの輸入種牡馬が一時的に入ってこなくなったこともあり、1952年から1957年まで、クモハタがリーディングサイアーとなった。しかし、旧公認競馬、日本競馬会、国営競馬時代も含めて、内国産のリーディングサイアーとなったのはクモハタただ一頭。

しかし、戦争等の影響がなく、内国産のリーディングサイアーが誕生するのは、事実上今年が最初となる見込み。ということは、今年は日本競馬界にとって、歴史的な年となる。

現在トップを行くのはアグネスタキオン。

http://www.horsenavi.com/_rank/index.asp

2位も内国産のフジキセキ。 輸入種牡馬は、フレンチデピュティの3位が最高だが、アグネスタキオンとは約8億円強の差がある。

一方、大種牡馬であるブライアンズタイム(5位)、サンデーサイレンス(7位)がまだベスト10圏内にいるが、ベスト10内に内国産が実に5頭。また、クロフネは米国生まれだが、日本調教馬だったため内国産扱い。ということは、6頭ということになるな。

ま、日本産種牡馬が外国で活躍馬を出すケースはまだほとんどないが、ナタゴラを輩出したディヴァインライトのケースもあり、内国産リーディングが51年ぶりに誕生したその次は、日本産種牡馬産駒の外国(パートワン国)での活躍が期待される。

もしそれが恒常化するようならば、日本産競走馬の評価は世界的に大きな評価を受けることになる。ひいては、日本競馬のステータスも上がっていくはず。

ま、競馬の世界も今やグローバル化が進んでいるからなぁ・・・ 


この記事をはてなブックマークに追加

10月の中央競馬騎乗停止

2008-10-27 08:08:11 | 競馬

・4日

http://www.netkeiba.com/news/?pid=news_view&no=31294&category=F

・5日

http://www.netkeiba.com/news/?pid=news_view&no=31327&category=F

・12日

http://www.netkeiba.com/news/?pid=news_view&no=31500&category=A

 


この記事をはてなブックマークに追加