A 「今年の競輪も残すところ、GPとYGPを残すだけとなったが、果たしてどんな年だったのか、振り返ってみよう。まずは競輪祭からだな。」
B 「小倉竜二が7年ぶりとなる同大会2度目の優勝を果たした。小倉は7年前にG1を制覇して以降、すっかりマーク屋稼業が板についた感じもしたが、当時はまだ23歳。この年齢にしてマーク屋一本みたいなレースは勿体無いと思っていた。しかし。」
A 「とにかく後述するが、吉岡稔真「引退」のある意味引き金となったのは、その7年前の競輪祭で、まさかという形で、小倉にG前、ハンドル投げされて負けたことにあった。古いファンだと、高原永伍が日本選手権で工藤元司郎にまさかの追い込みを食らって以後高原にタイトル奪取のチャンスが来なかったというシーンを思い出される方もひょっとしたらいるかもしれないが、そんな感じに似ていた。そしてそれ以後、吉岡はなかなかG1を優勝できなかったし。」
B 「でも今回も小倉は吉岡マークをつかむことができ、吉岡が捲りきれないとみるや一気に中を衝いて優勝した。そして、「しかし」に戻るんだが、小倉のこの7年間というのはとにかく落車が多かったし、一方で自力は完全に鳴りを潜めていた。ところが、ここ数年前あたりから、新人の頃に繰り出していた捲りを多用するようになった。それが功を奏したともいえる。」
A 「そして日本選手権だが、吉岡稔真が「涙、涙」の優勝。ダービー史上最多の4回目、通算11回目のG1制覇、そして99年の大垣・全日本選抜以来のG1優勝を果たした。」
B 「決勝では、最近は逃げることがほとんどなくなった吉岡なのに、なんと自力選手は吉岡だけというメンバー構成となり、最後は吉岡マークをめぐって大量落車が発生したりするなど、吉岡にとってみれば展開上非常に恵まれたこともあって、ついに逃げ切ってしまった。」
A 「でも吉岡は偉いよ。前述した7年前の競輪祭で小倉に負けてから自力では限界ではないかと自分でも思っていて、一時は他力型にイメチェンを図るもモノにならず、やはり自分は自力勝負あるのみ、という信念を貫き通しての優勝だったからねぇ。」
B 「その間も、3年前の共同通信社杯を優勝したりしてはいたんだが、吉岡自身も何とかもう一回G1を獲りたいと何度も思い続けて獲ったわけだからねぇ。しかし吉岡にとって、この優勝が本当にある意味、選手生活としては本望というんだろうか、ひょっとすると、この優勝を最後に引退なんていう噂も出ていたほど。」
A 「しかし吉岡にすれば、その話は年末のグランプリが終わってからという気持ちがあり、これまで「封印」してきた。ところがスポニチにすっぱ抜かれ、引退が「既成事実」となってしまった。」
B 「本当は吉岡本人の口からその言葉を言ってもらいたかったよな。スポニチは明らかに「いらんことしい」をした。」
A 「高松宮記念杯は山崎芳仁と佐藤慎太郎の「添田軍団」の2人のほぼマッチレースの展開となったが、タイヤ差、わずかに山崎が佐藤を退けて優勝。もちろん、88期としては初のG1制覇となったが、これで88期の出世頭は武田豊樹ではなく自分だ、と言わしめる結果となった。」
B 「それにしても、山崎の上半期はトントン拍子だったな。昨年のヤンググランプリを制覇したかと思えば、今年はG2の東王座戦で渡辺一成の番手から抜け出して勝利し、続く熊本記念も制覇。そしてついにG1までゲットしてしまったんだからなぁ。」
A 「通常使用している「3.71」のギアを駆使して、とにかくかかったら絶対に他は捲れないし、あるいは捲ったときにはビューンと突っ込んでくる。ひょっとすると、山崎が以後もタイトルを量産し続けるんじゃないかと思われたもの。」
B 「しかしながら管理人が常日頃から山崎のそのギアの取り扱いについて懸念しているんだが、山崎はまだ20代なのに、「大ギア」に頼る競走にこだわっていいものなのか、ということを盛んに言っている。しかし山崎は11月の伊東記念準決勝、決勝で、さらに大きい「4.00」のギアを使ってきた。かと思えば一気に3.57まで下げる場合もある。」
A 「大ギアは長い目で見れば足腰に負担がかかりすぎるため、選手寿命を縮める恐れもある。でももうここまで来れば、ギアを3.5レベルまで下げて、というわけにもいかない。ギアって上げることはできても、下げることはなかなかできないからねぇ。」
B 「寛仁親王牌は、地元のコンビが大活躍。手島慶介がバックから捲ったところを、後閑信一が最後、ズブリと差して、2度目のG1制覇を果たした。」
A 「後閑は今年は地元に戻ってきた当大会を何とか優勝したいと意気込んで臨んできたが、その気合いが見事に発揮された。ま、後閑も強かったけど、2着の手島も強かったよな。」
B 「後閑も手島に道中まかせっきりで、決勝では手島に思うように走らせていた。そしてこのときから後閑は思っていたらしい。「手島にもグランプリに出てもらう。」ついに実現したわけだ。」
A 「ま、後閑自身も時折自力を放つこともあるんだが、手島と乗り合わせた場合にはすっかり手島に任せている。30日のグランプリはこのコンビでもういっちょっていう感じで乗ってくるだろうから、非常に不気味だ。」
B 「オールスターは武田豊樹の事実上逃げ一車のメンバー構成となり、悲願成就かと期待されたわけだが、雨が降りしきる花月園バンクを疾走したのは、アテネ五輪チームスプリント銀メダリストの井上昌己だった。」
A 「とにかく、井上とすればマークしているのが高木隆弘だったものだったから、同地区の選手でない分、ある意味気楽で走れたのが良かったのかもしれない。」
B 「ところで、井上が雨走路を1周逃げたことから、なんでマークの高木は差せなかったのか、という声も一部に上がっていたようだが、当の高木は、「ついていくだけで精一杯だった」というコメント。でも、井上ならば頷ける話だよ。」
A 「何せ井上は今年の世界選1KmTTで8位入賞。タイムも1分3秒台だからね。大抵の競輪選手はトップクラスでさえ1Km独走は1分7秒か8秒出せればいいほうだろ。となると井上にかからせてしまったんではちょっとやちょっとで交わせないよな。」
B 「アテネの後は腰の具合が非常に悪く、一時は自転車にさえ乗れないほどだったそうだが、1年後ぐらいからF1戦で優勝を連発するようになり、上述の世界選の入賞などもあってオールスターでは自身としては最高潮の調子だったともいえるね。」
A 「全日本選抜は、恐らく現在、競輪選手としては身長からすれば、小さい選手のベスト10に入るのではないかといわれている合志正臣が、10月に岐阜で行われた共同通信社杯でビッグ初優勝を挙げるや、こちらもとんとん拍子でG1を制覇してしまった。」
B 「このレースは、なかなかG1の決勝へ駒を進められなかった荒井崇博が11回目の正直でG1初優出を果たしたが、その荒井が気合満点の走りを見せ、結局最後は行ききれなかったんだが、その間隙を衝いて合志が、ここを優勝して悲願のグランプリ制覇へと挑みたかった神山雄一郎の野望を打ち砕いた。」
A 「合志は身長のこともあって最近では追い込み選手がすっかり板についている形となっているが、元々タテの脚があり、場合によっては捲りも放てる。ま、「動ける追い込み選手」というんだろうか。同じ九州では、合志と身長では変わらない佐賀の佐々木昭彦が3度G1を優勝しているが、合志もそれに続けるか、というところだな。」
B 「それと、合志の優勝は熊本勢としては、66年の後楽園ダービーの宮路雄資以来40年ぶりのG1制覇となった。常にG1争覇級の選手を送り込んでいる「名門・熊本」ながらも、そんなにもG1タイトルホルダーがでていなかったわけで、合志の優勝というのは殊更意味があるといえる。」
A 「ざっとG1だけを振り返ってきたが、思うにどうだろう、いよいよ競輪界も漸く「新しい風」が吹いてきたかな、という印象があるか。」
B 「そうだね。80期勢が3人もG1を制覇しているし。ま、吉岡、後閑の65期コンビが貫禄を見せ付けたシーンもあったが、来年は完全に80期勢主導となるだろう。さらに初タイトル選手がこれまた3人も出たことで、競輪界はすっかり「下克上」「戦国絵巻」の様相にもなりそうだね。」
A 「一方で、10大ニュースでも取り上げることになる「大量落車」続発問題や、勝ち上がり段階に進んでいるにもかかわらず「お帰り」した選手がいたりするなど、言うなれば「モラル」っていうのか、客をないがしろにしたというしかないニュースも目だった。記念の欠場癖の流れも依然として変わっていないし。それと福島勢の溝っていうのは今後も埋まらないものなのかねぇ?」
B 「さらに吉岡が「引退」するわけだろ。今の「若い」競輪ファンって、吉岡の走りにあこがれてなったという人が多いのに、その吉岡がいなくなることで果たしてどうなるのか、ということもいえるね。ま、一方で競輪の流れが大きく変わりそうな年でもあるような気がする2007年。ひょっとすると、「ヤングパワー」台頭につき、「旧勢力」が一掃される可能性もある。やっと競輪界にも新しい息吹が吹き荒れそうな予感が。果たして、戦国競輪時代を平定するのは誰か、ということにもなりそうだね。」