公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

「中野二世」、特進決める

2005-12-03 00:00:15 | 競輪

丁度30年前の1975年、中野浩一がデビューした。さらに競輪創世記の1949年に「神様」・松本勝明がデビューしている。ちなみにこのお二方、公営競技勢としても過去に2回しか例のない「日本プロスポーツ大賞」受賞者である。

つまるところ、競輪に限らず各界の「スーパースター」なんていう存在は30年に一回ぐらいしか出現しないのかもしれない。

そして今年、2003年ジュニア世界選手権でスプリント・ケイリンの2冠という日本人史上初の快挙を成し遂げた北津留翼がデビュー。

2003年、モスクワで行なわれたジュニア世界自転車選手権で2冠を達成したときの成績。

スプリント

1 116 KITATSURU Tsubasa JPN 19850426
2  64 BAUGE Gregory FRA 19850131
3  84 DOEHRER Sebastian GER 19850524
4  67 HENRIETTE Didier FRA 19850612
5  80 HARZHEIM Dominik GER 19850226
6  79 GIESE Daniel GER 19850128
7  5 PERKINS Shane AUS 19861230
8 189 NELMAN Ryan USA 19860207


ケイリン

1 116 KITATSURU Tsubasa JPN 19850426
2  7 THORSEN Daniel AUS 19861126
3 169 SHIKHALEV Mikhail RUS 19860419
4 185 LAKATOSH Andy USA 19850422
5 148 TOKARZ Michal POL 19850315
6 166 RYABIKOV Alexander RUS 19850720
7  6 TAYLOR Andrew AUS 19850724
8  64 BAUGE Gregory FRA 19850131


このあとアテネ五輪の「秘密兵器」としても期待され、本人もその気満々だったが、昨年4月に行なわれた四日市のアジア選手権・スプリントにおいて稲垣裕之に決勝で敗れたためにその道が閉ざされた。

そのため、日本競輪学校90期を特別選抜入試で受験して合格。今年7月デビューとなった次第。

デビュー戦から昨日特進を決めるまで決勝進出を外したのは確か2回ぐらいで、しかも初日の予選では負けたことがなかった北津留だが、どうしても決勝となると勝てなかった。したがって同期一番乗りの優勝も果たすことはできなかったし、前評判の割には「期待はずれ」と囁かれたことも。

しかし、10月行なわれた熊本レインボーカップセカンドでデビュー初優勝を飾るや、武雄一宮と完全優勝して11月30日から行われた観音寺開催へ。

ここでも完全優勝ならばS級特進が決まるという開催において初日中日と内容的には少々物足りないようにも感じたが、決勝は圧巻だった。

正攻法で進み、ジャンが鳴って堂村知哉以下近畿勢が上昇するやスッと後方へ下がり、最終ホームでは一気に8番手まで後退。

しかしここからが桁違い。1センターで踏み出すと先に捲りをかけていた吉田健市の動きをモノともせずイエローラインの外側を通過して4角手前で先頭に立つやぶっちぎりの優勝。

http://www.shikoku-keirin.jp/kanonji/3d-10r.asx

8日から始まる熊本・レインボーカップファイナルにおいて決勝進出しても決まったわけだが、レインボーファイナルを経ずして決めた。

このあとは14日から行われるインド・アジア選手権に出場、アジア王者を狙う。もちろんそこで優勝すれば自動的に世界自転車選手権出場も決まる。

テレビ東京系で放送されている「ミラクルC」にも出演したことがある北津留はその際、傍に「彼女」を従えていてついこの間結婚したわけだが、出演した際に目標を聞かれて、

「北京五輪でメダルを取る。」

と豪語していた。

そしてプロフィールを見れば目標とする選手は、

テオ・ボス

つまりあの「テオ様」を目標としているわけだ。

テオ様と北津留って年齢的に2つしか違わないはずだが、あちらは今や世界の短距離界では最上位のトップ選手。今度の北京五輪では金メダルを2つや3つぐらいは「当たり前」のようにかっさらってしまうのではないかとも言われている選手だ。

したがってテオ様に勝とうと思うものならば相当に努力せねば難しいだろう。だが、目標というのは高ければ高いほどいいのは当たり前の話。

そしてやはり究極の目標は五輪制覇。それしかあるまい。そのためにはこの先いくつものハードルが待っているわけだが、まずはその「第一段階」をクリアしたということか。

恐らくS級デビューは来年になるかと思うが、ここでも連戦連勝街道をもってして閉塞状態の競輪界を変えて欲しいね。

世界王者を目標とするとともに、競輪の常識をも変えて欲しい北津留翼。今後も期待大だ。


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