長らくS級選手として活躍してきた尾崎雅彦選手が先ごろ引退。
中野、井上の「黄金コンビ」の好敵手として逃げよし・捲りよし・追い込みよしという「三拍子」揃った選手であったが、来期もS級をキープするというにもかかわらず、
『自分の納得いくレースができなくなり引退を決めました。』
とのことで、引退後はなんと「住職」だって。元競輪評論家の寺内大吉と同じ道を歩むのか!
でもフラワーラインの中では尾崎が一番充実した成績を挙げてたけどねぇ。
記念あたりだと尾崎はそれこそ、中野、井上にほとんどヒケを取らない成績を収めていた。競走得点や勝率も2位とか3位を常にキープしてたし、また、滝澤正光あたりとは違った意味で力でねじ伏せる戦いができた選手でもあった。
でも、特別競輪ともなれば、当時フラワーラインはその一員を「順番に」優勝させるという「ならわし」みたいなものがあって、結局尾崎は83年の高松宮杯しか優勝できなかった。でもこのときの尾崎は菅田を引き連れてバックから捲り、完全優勝&グランドスラム間違いなしと目された中野浩一の偉業を打ち砕いた。
80年には世界選手権・プロスプリントで中野浩一に続く2位に入ったんだが、一方で尾崎の世界選挑戦はこれで「終わり」。どうも肝心な勝負という点において「淡白」な面が否めなかった選手だった。
85年の第一回のグランプリにしてもそうで、尾崎は清嶋彰一の番手に入り、主導権を握る清嶋をたたきに行った中野浩一を大きく牽制して一時は中野を圏外へおいやったにもかかわらず、中野が最終バック4番手から捲ってきたときには牽制を「空振り」してしまい、番手絶好の展開であったにもかかわらず優勝を逃してしまった。
もし尾崎があのグランプリを勝っていたら流れは随分違ってたものになってただろうね。そしてそれを境にタイトルを奪うチャンスすらなくなってしまった。それでも95年の宮杯では決勝3着という実績もあるな。
でも単なる追い込み選手でなかったから、年齢がいっても「しぶとく」S級をキープし続け、山口健治らはとっくにA級の常連と化していった中でもS級選手として君臨し続けた。
それにしても、尾崎はマスクもいいし、「プリンス」なんていわれただけあって泥臭い側面が感じられなかったいい選手だったね。