公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

日本競輪学校第87期生は私が卒業記念レースを観た期 → 知らぬ間に4人がGP&GI優勝者に 

2020-12-31 05:26:55 | 現場レポート
確か、2002年だったと思う。

南関東自転車競技会があった頃、「世話人会」なる組織があり、そこの恒例イベントとして、抽選で当選したファンを日本競輪学校に日帰りで招待する、というものがあった。朝7時頃だったか、横浜駅前集合で、そこからバスに乗って競輪学校へ。到着後、競輪学校の講堂で食事を取り、その後は、生徒が生活している部屋を覗いたりした。驚きだったのは、全ての部屋において、それこそ、いつでも部屋を明け渡せる状態、いわば、もぬけの殻状態になっていたこと。

その後、卒業記念レースを観戦することに。その前に、当時は、各生徒が一人一人自己紹介スピーチを行っており、それを見た後、レース観戦となった。

しかしながら、平原康多の名前は知れ渡っていたが、園田匠も、岩津裕介も、そして和田健太郎も、全く記憶に残っていなかった。その、記憶に残っていない生徒がGPやGIを制覇するわけだから、これまた驚き、というべきか。さらに言うと、このときの決勝戦で、平原が先行していたのは知っているが、誰が優勝したのかは覚えていない。

87期は、3年連続でGP優勝者を輩出した86期と、「史上最強期」と今でも名高い88期の合間に挟まれた、「谷間の世代」という印象が強かった期だが、平原は別格にせよ、4人もGP &GIを輩出したわけだから、昔ならば、「花の87期」と言われてもおかしくない期。しかも、遅咲きの選手が少なくない。

平原は言うに及ばず、園田も岩津もまだまだ第一線級の選手。そして、和田健太郎は、今度はGI制覇に挑んでもらいたい。

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「初代・ミスター競輪」:山本清治

2020-08-19 23:05:52 | 現場レポート
左から、井上茂徳・日本名輪会会長、岸和田市の副市長、S級戦優勝の稲川翔選手、山本清治さん、陶器一馬・日本競輪選手会 大阪支部長代行






山本清治氏の戦歴と逸話   井上和巳(元デイリースポーツ記者)

「ヤマセイ」とは、昭和20~30年代に活躍した競輪界の大スター「山本清治さん」(現・日本名輪会会員)の愛称で、「記念杯をつくってほしい」という長年にわたるファンの要望に応え、引退されてから50年後に創設され、今回で7回目を迎える。
 山本さんは、昭和5年(1930年)に熊本に生まれ、現在86歳になるが、栄光に満ちた競輪人生と、引退後の素晴らしい逸話はいつまでも語り継がれるだろう。

 彼が熊本県立商業学校(現熊本商業高校)に通っていたころ、小倉で競輪が始まった。昭和23年(1948年)11月のことだ。それから3ヶ月後の24年2月、同校の卒業式を目前にしてプロ選手になった。23年に創設された小倉と大阪住之江競輪に続き、24年に大宮、西宮などでも競輪が開設されたころの話である。
 山本さんは男7人、女4人の11人兄弟だが、若くして亡くなった長兄を除く6人の男子がプロ選手になった。オールドファンなら記憶されているかもしれないが、次男から順に春雄、金哉(きんや)、清治、義男、利光、賢一選手の「そろい踏み」である。今後、これだけ大勢の兄弟が競輪界で活躍することは絶対にあり得ないだろう。

 さて、注目のヤマセイさんだが、昭和25年の第1回高松宮杯(後に高松宮記念杯と改称)に続き、翌26年には第1回競輪祭も制覇して脚光を浴びた。その勢いはとどまるところをしらず、この年(26年)は前年に続いて高松宮杯を獲り、ダービーも手にした。よほど素質を持って生まれたのか。デビューしてわずか2年で競輪界の頂点に立ったのだった。
 話を戻すが、昭和24年に熊本でデビューした山本さんは、1年後に兄の金哉さんと大阪に転籍。大津びわこで行われた第1回高松宮杯は「大阪の選手」として優勝した。なぜ、大阪へ移ったのか。その理由は第2次世界大戦が始まる前から熊本県は自転車競技が盛んな所で、後にプロになった紫垣正春、正信、正弘兄弟や宮本義春選手ら逸材が多かった。そんな時期に紫垣兄弟らが大阪へ移籍。それを追って山本さんも大阪へ移り、瞬く間に大スターにのし上がったのだった。

 当時の名勝負や逸話をたどればキリがないが、デビューしてから12年たった昭和36年(1961年)11月29日、大阪住之江競輪を最後に引退した。突然の引退でファンは驚き、何とも残ってほしいと願ったが、彼にはデビューして10年たてば引退し、どんなに微力であってもいいから社会に貢献したいという強い思いがあったからだという。

 現役時代の通算成績は、総出走回数1290回のうち、1着609回、2着266回、3着153回。そのうち、特別競輪は高松宮杯3回、ダービー(日本選手権)1回、競輪祭1回、全国都道府県選抜2回の優勝。さらに、その間には賞金ベスト10に7回も名を連ねるなど数々の功績がさん然と輝いている。
 超一流のスターといわれた選手の中では、福島正幸、中野浩一、吉岡稔真選手らが17年間でそれぞれ引退している。しかし、ヤマセイさんの12年間の現役生活はあまりにも短く、引退式がおこなわれた住之江競輪場は黒山のファンで埋まり、日本自転車振興会(現・JKA)は新しく制定した「500勝達成記念賞」を授与。滋賀県自転車振興会は「胸像」を贈って栄誉を称えた。

 引退した山本さんは、事業家として活躍しながら、母校の熊本商業高校に申し入れて、平成3年から5年間にわたって1年に10人分の奨学資金(1年に150万円)を寄付。生徒の皆さんから「ヤマセイ奨学資金」と呼ばれて、感謝されたという。
 当時、山本さんはこんな言葉を漏らしたことがあった。 「私は現役時代、約3600万円の賞金をいただいた。そのご恩返しのつもりで、引退後は事業に精を出し、これと同額の寄付をさせていただきたいと思って働いている。」と。
 昭和20~30年代の3600万円は、現在、どの程度の貨幣価値になっているか分からないが、以後も寄付を続け、21年前に阪神大震災が起きた時は、兵庫県選手会を通じていち早く100万円の義援金を贈り、現在は居住地の大阪府高石市へ寄付を続けている。
 高石市への寄付金は、南海電鉄・高石駅前の図書館で遣われ、「闘病に関する書物」として約1000冊の本が書棚に並んでいるという。
「以前は子どもさん向きの本を寄贈させてもらったが、今は平成7年に膵臓ガンで亡くなった家内(喜久子さん)を偲び、病気で悩んでいる人やご家族の苦労を考え、闘病患者とその家族の心情を書いた本を贈らせてもらっています」とのことである。

 オールドファンや平成時代のファンは言うに及ばず、競輪を知らない人にも、ぜひ観ていただきたいのが、今後の岸和田競輪の一翼を支える「ヤマセイ杯」である。



寺内大吉が、SPEEDチャンネルの「名選手列伝」で言っていた話はこんな感じだった。

「山本くんの特徴は追い込み。もう、到底届かない、と思われた位置からでも、最後はキッチリと頭でゴールする。」

このことにちなみ、「燕返し」という異名がつけられた。ま、「今風(ってこれも古い言い回しだが)」に言い換えると、「鬼脚」みたいなものかな?

したがって、「初代・鬼脚」といってもいい選手であり、さしずめ、「二代目・鬼脚」の井上茂徳・日本名輪会会長と並んでいる、下記の写真のシーンは興味深い。

また、これは「後付け」の話ではあるが、実は、中野浩一の出現以前にも、中野の生涯成績に匹敵するほどの選手がいたのではないか、という意味も込められ、「初代・ミスター競輪」という異名を今は取るようになった。

また、「初物(の大会)に強い」選手でもあった。高松宮記念杯と競輪祭の初代チャンピオンである。

さらに、「岸和田の雄」ともいえる、故・石田雄彦の「師匠」(コーチ)でもあった。デビュー時は大敗ばかり続いたものの、徐々に頭角を現しはじめた石田が、タイトルを獲るために、山本清治さんの指導を受けたい、という意向を踏まえてのものだったが、生前、石田は「山本さんに厳しくやられました」と言っていた。また、愛弟子としては、第二回のオールスター争覇競輪優勝者である、西村公佑らがいる。

一方で、現役時代があまりにも短かったため、現存する、「オールドファン」ですら『ほとんど記憶にない』、と言われるほどの「伝説の名選手」でもある。

ホームバンクは岸和田ではなく、現存しない大阪競輪場(住之江競輪場)であったため、長らく、自身の冠名のレースは行われてこなかったが、2011年から岸和田で開催されるようになり、今年が7回目の開催であった。



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「まだ、バッシーに毛があった頃」

2019-12-31 21:39:36 | 現場レポート
1978年・船橋日本選手権オートレース表彰式。左から、板橋忍(2位)、飯塚将光(優勝)、秋田敬吾(3位)

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2018年3/7 岸和田・ガールズケイリン優勝 児玉碧衣インタビュー。

2019-11-06 11:33:34 | 現場レポート
2018年3/7 岸和田・ガールズケイリン優勝 児玉碧衣インタビュー。



「地元でもないのにたくさん名前を呼んでもらって」


と言った児玉だけど、「薄々分かってる」んじゃないの。


だって、「大阪ではなじみのある顔」だし。

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2019年6/26 岸和田改修前本場最終開催のS級決勝でテオ・ボスが優勝

2019-06-27 19:09:04 | 現場レポート
2019年6/26 岸和田改修前本場最終開催のS級決勝でテオ・ボスが優勝



2019年6/26 岸和田S級決勝戦出場選手インタビュー



2019年6/26 岸和田S級優勝:テオ・ボス インタビュー

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2019年6/26 岸和田改修前本場最終開催のA級決勝で山田諒がS級特進決めた

2019-06-27 08:33:59 | 現場レポート
2019年6/26 岸和田改修前本場最終開催のA級決勝で山田諒がS級特進決めた



2019年6/26 岸和田A級決勝で優勝し、S級特進を決めた山田諒インタビュー

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岸和田競輪場、今後取り壊される予定のスタンドの写真

2019-06-26 20:55:43 | 現場レポート
6/26をもって、2019年度の岸和田競輪本場開催は終了。

このあと、約2年間、耐震基準を満たしていないスタンドの撤去及び走路改修が行われるため、本場開催はお休み。

基本的に、特別観覧席以外の一般スタンドは全て取り壊される。









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高松宮記念杯競輪、岸和田恒久開催か

2019-06-17 17:44:03 | 現場レポート
6/16の岸和田・ガイダンスコーナーにおける岡本新吾先生の話によると、2020年の高松宮記念杯競輪の和歌山開催は、岸和田の改修に伴う「代替開催」のようだ。

2021年以降は、岸和田の恒久開催になる予定だとか。

となると、宮杯の「固定開催」が復活することになるが。

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2019年6/16 彬子女王が中川誠一郎に高松宮杯を下賜された

2019-06-17 14:07:05 | 現場レポート
2019年6/16 彬子女王が中川誠一郎に高松宮杯を下賜された

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2019年6/16 第70回高松宮記念杯競輪 決勝戦

2019-06-17 14:06:50 | 現場レポート
2019年6/16 第70回高松宮記念杯競輪 決勝戦

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2019年6/16 ガールズケイリン・ニューカマー(第116期生)レース

2019-06-17 09:40:07 | 現場レポート
関連記事:2019年6/16 ガールズケイリン・ニューカマー(第116期生)レース出場選手インタビュー


2019年6/16 ガールズケイリン・ニューカマー(第116期生)レース

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2019年6/16 ガールズケイリン・ニューカマー(第116期生)レース出場選手インタビュー

2019-06-16 22:49:25 | 現場レポート
関連記事:2019年6/16 ガールズケイリン・ニューカマー(第116期生)レース


2019年6/16 ガールズケイリン・ニューカマー(第116期生)レース出場選手インタビュー

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2019年6/16 第70回高松宮記念杯競輪 決勝戦進出選手インタビュー

2019-06-16 21:48:38 | 現場レポート
2019年6/16 第70回高松宮記念杯競輪 決勝戦進出選手インタビュー

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2019年6/16 第70回高松宮記念杯競輪優勝 中川誠一郎インタビュー

2019-06-16 21:06:41 | 現場レポート
2019年6/16 第70回高松宮記念杯競輪優勝 中川誠一郎インタビュー

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間寛平:「岸和田の客が一番うるさい!」

2019-06-16 20:42:05 | 現場レポート
と言ってたが、以下のデイリーの記事には抜けている。




 「高松宮記念杯・G1」(16日、岸和田)

 G1開催中の岸和田競輪に16日、タレントの間寛平(69)が来場。7R発売中に、お笑いステージを行った。

 登場前にMCが「撮影は禁止されております」と言ったが、サービス精神旺盛な寛平は「あんなん言うとったけど、ナンボでも撮ってや」とおなじみのパワーショベルのポーズをやって、ステージ前に集まった観客に写真を撮らせていた。

 その後、1人でトークを開始。すると、観客から「闇営業か」との声が上がると、寛平は即座に反応。「闇営業?ちゃうよ。そんなんでけへんがな」と言うと、観客は大笑いだった。

 もちろん「アメマ」「アヘアヘウヒハアヘウヒハ」など定番のギャグを披露。ステージ前に検車場を通りかかったことを明かした寛平は「選手はみんな柔軟体操やったり(ローラーで)自転車を乗ったりって一生懸命に準備しとる。だから、勝っても笑顔、負けても笑顔。そして、寛平を見て笑顔やね」と言うと、観客から「うまいこと言うな」と声援が飛んだ。

 12R決勝戦にも触れ「ケンカしても強そうな顔をしとる」と新田祐大から車券を買ったことを明かし、いろいろ突っ込んできた観客に車券をプレゼントしていた。

 ステージ終盤には「それではみんなで『アメマ』と言いましょう」と告げてから構えると、観客から「税金、払ろとるんか?」との声が。寛平は思わず反応してしまい「払うとるわ」とキレつつも『アメマ』で締めくくった。


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