優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

聖地

2016-10-11 09:18:07 | 日記
映画やアニメ等の舞台となったりモデルとされたりした場所はファンから聖地と呼ばれ、ただの岩であれ木であれファンからしたら神々しくさえ見えてくる。
私にとっての聖地はイーハトーブすなわち花巻市である。
今年は宮沢賢治生誕120年ということで、記念館では実物の原稿などが展示されたり多数の行事も開催されている。
行きたい。行かなければ。
というわけで、運転に自信のない私は夫に頼んで連休最終日に連れて行ってもらった。
そういえば以前花巻出身の知人に、私の知っている賢治のことやゆかりの地のことを熱く語ったら、「よく知ってるね、あぁ、そういえばそんな話聞いたことあるけどよくわからない」と言われたことがある。私が、なんというもったいない人だと憤慨したら「興味がなかったからね」と笑われた。まぁ、夫もそんな感じなので行ってくれるかどうか疑問だったが、今回次男も一緒だったので快く?運転を引き受けてくれた。
実は賢治記念館には何度も訪れたことがある。最初に行ったのはやはり夫とで、出来て間もないころだった。その時もどうしても行きたいと頼んで新婚旅行の帰りに連れて行ってもらったのだ。入口にある「よだかの星」のモニュメントを見ると当時のことが思い出される。その後は子供たちと来たこともあるし友達や賢治の会の仲間と一緒に来たこともある。
昨年春にリニューアルされて、生誕120年の今年は特別展が開催され実物の資料などが展示されていた。

そして今回、メイン会場の童話村で「銀河鉄道の夜」をイメージしたライトアップが開催されるということなので、暗くなるのを待って再度訪れた。そこには昼間とは違った幻想空間が浮かび上がり、水銀灯のダイアモンド型オブジェやミラーボールの演出によりまるで賢治の作品世界に入り込んだような感覚を覚えた。これには夫も満足したようで、写真を撮る次男に構図の指図をしたりしていた。

空には上弦の月。
次男に「賢治だったら水色の月が出ていたとか十日夜の月が上りとか言うのだろうか」と話しながら帰路に就いた。

土砂降りの雨の中

2016-10-08 18:23:02 | 日記
今日は全国的に雨らしいが、ここも土砂降りで一挙に気温も下がり寒い一日となった。
近所の中学校では、グラウンドはもはや沼と化し、バケツの水を浴びせられながらといったような状態でサッカーの試合が行われていたが、熱中症には敏感でも低体温症は大丈夫なものなのか?

若者の心配はさておいて、午前中の用事が終わり午後からの会まで時間があったので、時間つぶしに近くの博物館に寄ることにした。私が入館すると受付のおじさんが中から慌てて出てきて、「今電気つけますから」と言ってチケットとパンフレットを寄越して電気をつけてくれた。酷い雨なので来場者は誰もいなくて節電のため館内の電気を消していたようだ。1時間弱ゆっくり回って、その間他に訪れる人はなく、貸し切り状態だった。
ここは以前、隠れデートスポットとして人気があったところなのだが、さすがに来館者1名ってことはないよね。今日は悪天候ゆえに人が来ないのだろうと信じたい。


秋の夜長に

2016-10-07 20:42:26 | 日記
今日は北海道で雪が降ったそうだ。積雪3センチとか。
朝晩気温が下がってきて、なんだか心寂しくなるそんな季節になってきた。
そんな今朝、庭で栽培していたオクラが頑張って最後の花を咲かせていた。

先日実家の母に、オクラの葉っぱが丸まって、その中に何やら黒っぽいものが見えるし気持ち悪いのでみんな切り落としたと話したら、「それは中に葉巻虫がいるから、軍手をしてつぶせばいいよ」と教えてくれた。
さすがにそれはないでしょう!
大体、葉巻虫ってなんだよ、と調べてみたらハマキガ科の幼虫の総称で、糸を出して葉っぱを筒状に丸めてその中にいる青虫のことだった。日本には500種以上存在するようだ。
オクラの葉っぱにいたのはワタノメイガの幼虫らしい。黒く見えたのはフンだ。そしてプロはなんと、母の言うように手でつぶすみたいだ。

母は今のことを忘れるのに昔のことははっきり覚えている。この前も墓参りの帰りに自分の生まれ育った町を通ったとき、ここは病院があったところだとか旅館があった場所だとか、ここのパン屋は自分が小学生の時に開業したとかよく覚えていたのには驚いた。それも認知症の始まりだとしたら、昔の記憶や先人の知恵のような話は今のうちに聞いておかなければと、秋の夜長にふと思ったのだった。


家族構成(息子と召使)

2016-10-03 15:04:39 | 日記
認知症の話題でよく言われるのが、昔のことはよく覚えているが今のことを忘れるということだ。
グループホームに入所した姑も、名前は間違ったりはするが自分の息子二人のことはかろうじて覚えている。しかし、あれだけ可愛がっていた孫のことはわからなくなっていた。それはきっと孫と言っても皆成人しているし息子や孫は血がつながっているわけだからどことなく似てもいるだろうし見わけもつかなくなってのことだろうからしょうがないと思う。
面会に行った時も息子である夫の名前を間違うので、夫はあきれて黙っていたが私と次男(孫)の二人で夫の名前を連呼してやった。

ところが不思議なことにどういうわけか私のことは顔を見るなりすぐに「〇子さん」と言うではないか。
前に友人から「最後まで世話してくれた人のことは忘れないっていうから、あなたのことは覚えてるんじゃないの?」と言われたこともあり、お義母さんたら、自分の息子の名前もわからなくなったのに私のことは忘れないんですね…と殊勝な気持ちになったものの、待てよどこまで覚えているか怪しいものだとも思った。

というのも姑は一年くらい前から時々おかしなことを言うようになっていたからである。
「うちの兄さんとあんたのことを夫婦だっていう人がいて、情けなくて涙が出た」とか「世間の人っていい加減なことを言うもんだ。〇子さんはアンタんとこの嫁さんだとか嘘言って」とか「きっとあんたがうちの兄さんと一緒に住んでるから夫婦だっていうんだべな」とか「夫婦なもんだってか。いい加減なこと言われて悔しくて涙出てきた」とか時々??なことを言うので最初のうちは「はいはい、世間の人にそう言われたの。かわいそうにね」なんて笑っていた私もだんだん笑い事ではなくなってきて、「じゃぁ、いったい私を何だと思ってるの?」と問いただしたことがあった。最近は「私はあなたの長男の嫁ですけどね。はぁ、もしかして私のことを召使かなんかだと思ってたの」と憎まれ口も言うようになっていたくらいだ。

そしてその後ケアマネさんからグループホームに姑の様子を見に行って来たと報告の電話があった。職員さんたちに「本人がよく口にする名前が〇子さんとT男さんと言う名前なんだけど誰ですか?」と聞かれたので、〇子さんはお嫁さんでT男さんは以前通所していたデイサービスのお気に入りの職員さんだと教えてきたそうだ。
それはいいのだが、グループホームの職員さんが姑に「T男さんて誰なの?」と聞くと「デイサービスから来る人」(T男さんは確かにデイの送迎で来ていましたからね)と答え、「〇子さんて誰なの?」と聞くと「〇〇養護学校から来る人だ」と答えていたようなので、絶句してしまった。
確かに私は結婚する前、〇〇養護学校に勤めていたことがあった。何十年前のことだ。なぜ今その学校の名前が出てきたのか?

でもその話を聞いてなるほど姑が私のことを「あんたがうちの兄さんと一緒に暮らしてるから世間の人が夫婦だっていうんだべな」「夫婦だなんて言われて悲しくなったけど、言いたい奴には言わせておけばいいんだ」と言う言葉の意味が分かった。つまり姑の頭の中で私は嫁ではなかったのだ。私が冗談交じりに「私は召使なんですか!?」と言ったのも、あながち間違いではなかったということだ。