毎週土曜日朝に配信されるメルマガを楽しみにしている。
宮沢賢治研究をしているそのメルマガの記事の最後に、先月末「癌が見つかって手術をすることになったので、もし配信が滞ったらお許しください」と書かれていたので、今日のメルマガは無理かなと思っていたが、変わらず配信されていた。
先月の記事の中に「自分が癌になるとは思いもよらず驚いています」とあったので心配して、どうか手術が無事終了し、お元気になるまで無理なさらず、ゆっくりお休みなさってくださいという内容のメールを送ったものの、すごく不謹慎だが心の中ではせめてあと一回(今日の分まで)はいつも通り配信してほしいものだと思っていた。
というのは、二年ほど前からそのメルマガで取り上げていた賢治の年譜がくしくも今日の配信で最後、つまり賢治の臨終の日(1933年9月21日)の記事となるからだった。
宮沢賢治は37歳でその生涯を終えるのであるが、その最期は他の文献でも読んだことがあるがなかなかドラマチックである。熱心な法華経信者である賢治は亡くなる日、経を唱え、父親にその宗教のことで遺言を残し、自分の身体をオキシフルで拭いたという。そもそも賢治は22歳の時友人に、自分の命もあと15年はあるまいと言っていたというから、自分の死期を予見していたのではないかとも思えてくる。
今日配信された記事の中に、来週から抗がん剤治療が始まることが書かれていたが、まずは我々賢治ファンのためにメルマガを10年以上も配信し続けてくれている著者の無事を祈りたい。
宮沢賢治研究をしているそのメルマガの記事の最後に、先月末「癌が見つかって手術をすることになったので、もし配信が滞ったらお許しください」と書かれていたので、今日のメルマガは無理かなと思っていたが、変わらず配信されていた。
先月の記事の中に「自分が癌になるとは思いもよらず驚いています」とあったので心配して、どうか手術が無事終了し、お元気になるまで無理なさらず、ゆっくりお休みなさってくださいという内容のメールを送ったものの、すごく不謹慎だが心の中ではせめてあと一回(今日の分まで)はいつも通り配信してほしいものだと思っていた。
というのは、二年ほど前からそのメルマガで取り上げていた賢治の年譜がくしくも今日の配信で最後、つまり賢治の臨終の日(1933年9月21日)の記事となるからだった。
宮沢賢治は37歳でその生涯を終えるのであるが、その最期は他の文献でも読んだことがあるがなかなかドラマチックである。熱心な法華経信者である賢治は亡くなる日、経を唱え、父親にその宗教のことで遺言を残し、自分の身体をオキシフルで拭いたという。そもそも賢治は22歳の時友人に、自分の命もあと15年はあるまいと言っていたというから、自分の死期を予見していたのではないかとも思えてくる。
今日配信された記事の中に、来週から抗がん剤治療が始まることが書かれていたが、まずは我々賢治ファンのためにメルマガを10年以上も配信し続けてくれている著者の無事を祈りたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます