鏡餅、2年振りこの手で 障子張り替え ビフォー アフター
今日もあれこれ頑張ってみた。何は置いても先ずは餅つきである。とは言っても私の出番は、搗き上がった餅が少し冷めるのを待って、神棚用・仏壇用・子供たち用に揉み上げるだけ。要するに、もち米を漬かしたりシタミに打ち上げたりの力仕事や冷たい水仕事は、全て山の神の手に掛かる。
餅つき作業そのものは、器械がウィ~~ンという唸り声をあげてしばらくしたら、ねっとり熱々の餅が出来上がって、片栗粉を敷き詰めたもろ蓋に載せられる。火傷しないよう細心の注意で、慌ただしく手のひらの中で右に左に揉み込むと、形のいい自家製の鏡餅が出来上がる。熟練の業でもある。
餅つきと言えば、我が住む家一軒が燃えそうな危機を迎えたことがある。
昔は嫁いだ娘一家や新宅などが親元に集まって、3・4家族分の餅つき行事が年末の楽しみな恒例行事であった。
中学生だった私も餅つき要員に駆り出されて、朝からぶっ続けで米を蒸す火の番をしていて、ひょいと上を見たら、煙突の周囲が紅い炎になって広がり始めていた。とっさに火を止め、急いで屋根に駆け上がりバケツで消し止めるという、火消しの親方というおっそろしい体験をした。今でもあの時の恐ろしさは、火事で全てを灰にするという痛ましい事件とつながって、身震いする思いがある。
それは遠い日のこととして、餅つきに次いで何年振りかの障子の貼り替えをした。
昔々の障子の貼り替えはまさに大変な大仕事の一つであった。古い紙を丁寧に剥がし、桟にこびりついて固くなった糊を洗い流す作業の大変なこと。新たに糊を焚き、頃合いの刷毛を見繕い、桟に糊を伸ばして障子紙を引っ張りながら貼っていく。
そんな苦労が遠い昔の話になった今、アイロンとものさしとカッターがあれば、難なく新品に戻る。プロの業かと見間違える出来栄えは、お年寄り向きの障子張り替え。ご近所さまのお手伝いにいこうかしらん。今は破れた障子を使っている家などありはしない。孫さんが出いるする我が家くらいなものだ。
いろんな思いが交錯する迎春準備。やはり何はなくとも、自らの手で出来ることには積極的に手を出せる元気な身体。これに勝るものはない。
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