「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「さざんか、山茶花・・・」

2022年12月16日 | ニュース・世相

          

    ♬ さざんか さざんか 咲いた道

        たきびだ焚火だ 落ち葉焚き あたろうかあたろうよ

          しもやけお手手が もうかゆい ♫

庭のサザンカが花の盛りを迎える頃が、1年のうちで最も寒さを感じる季節である。
童謡「たき火」で歌われる通り、そこらに舞い上がる枯葉を集めてたき火の一つもしてみたくなる。そのくすぶる火の中にサツマイイモを忍ばせたり、固くなりかけた餅を投げ入れて、真っ黒になって灰だらけの中から真っ白い餅やホクホクの芋を探り出して食べるあの充実感。あつっアツッと右に左に手を交わしながらの熱々感は、今も忘れ得ぬ子供時分の夕暮れ時である。お八つらしいお八つもない子の格好の食べ物であった。

今はそんな楽しみなど考えることさえタブーである。下手にたき火などしようものならお巡りさんが飛んできてタイホされるご時世である。
畑の強敵である草取りをして乾かしても、勝手に燃やしてはいけない。ホンの少しだから・・・などと畑で燃やそうものなら、ご近所さんの通報で前述の如くお巡りさんがパトカーで駆けつける。くわばら・クワバラ。

今私たちが地域活動の最大事業として取り組む「海岸清掃」は、毎年毎年大量の流木や多種多様の漂着物が押し寄せる。根っこを付けた長い木や竹など、切断して燃やせられると、我々の活動の成果は、現状の10倍にも広がる。それほど大量の漂着物が折り重なる海岸地形を持っている。しかも山陽本線と、防波岸壁に遮られて独立する特殊な海岸には重機や動力車など侵入できないときている。

ああそれなのに、海のすぐそばの砂場で燃やすのさえ、消防署・警察署・海上保安庁等々の許可が要る。しかし、我々のボランティア清掃活動に対して許可など下りはしない。そういう法体型が出来ているのだ。仕方なく、ボランティアの人海戦術や、漁船による海上運搬という原始的方法を採用せざるを得ない。 オットット、こんな小難しい話をするのではなく、枯葉のたき火さえタイホされるお話でした。

何をやっても個人の主張が尊重される時代になり過ぎたのかな、などと勝手に推測している。飽くまでも推測ですぞ。
個人が「うるさい」と苦情を言えば、お寺の鐘も搗けない。幼稚園の音楽も、小学校の児童の声もうるさい対象になる。たき火は煙たいからダメ。個人の苦情で公園さえ閉鎖することが優先される世の中である。情緒とか子供を育てる環境などは、個人の苦情の前には無力である。これって人間の世の中じゃろうか。間もなく迎える大晦日、普段は閑散なお寺でも、除夜の鐘を搗く人は集まってくる。「鐘の音がうるさい」という人が現れないよう願って、無事新年を迎える煩悩を払う百八つの鐘が打ちとおせることを願いたい。

コメント
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