忘れない、忘れられない、1.17
冬の夜がまだ明けやらぬ午前5時46分。関西方面を襲った巨大地震「阪神淡路大震災」。
あれから27年の歳月が流れた。
失われた多くの命。奪われたかけがえのない人と人の絆。忘れることのない自然災害。哀悼と記念の灯をともして、発生当時の苦しみ哀しみを後世に引き継ぐ。
27年前、その時私は現役バリバリ。
前年4月、思いもかけぬ東京本社勤務を命じられ、世田谷区の寮で同僚と共に単身赴任の生活であった。
洗面を済ませネクタイも締めて、いざ出勤の朝ご飯のテーブルに着いたとき。テレビ画面を覆う黒煙とあちこちから上がる火の手。何事か!箸を持つ手も動かず、テレビ画面にくぎ付け。しばらくしてことの次第が飲み込めてきた。情報が交錯する中で、兎に角震え上がる恐怖を覚えたのをいまもしっかりと記憶している。
単身赴任と同時に新築したばかりの我が家はどうなのか、老いた母と嫁さんに異常はないか、気には掛かったがそんなことを口に出す雰囲気ではない。兎に角出勤して、全国各地の工場の情報を集めることに集中。岩国工場は無事、市内も工場周辺も地震の影響なし。
安堵の胸を撫でながら、災害から命を守ることの難しさ、避難を呼びかけ自分も助かる方法の模索など、阪神淡路大震災は数多くの教訓を残した。
あれから27年。その後の自然災害などで犠牲が出るたびに、あのときの教訓は生かされているのか振り返ってみる。どうなんだろう。災害はその時々において形を変え、新たな問題を派生させながら、人間を襲ってくる。共に生き抜くことの難しさを指摘してくる。さてどうすればいいのか。