「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「鏡を開く」

2022年01月11日 | 季節の移ろい・出来事

          

昨年暮れは、思わぬ入院の長引きなどで全ての予定が崩れてしまった。
その一つが、正月餅つきに一切参加出来なかったこと。特に神棚にお供えする鏡餅は、何が何でもお父さんの仕事であり、後生大事にまん丸に丸めて丸めて、ご神体である鏡のように角の取れたまぁるい1年になるよう願いを込めたものだ。それが出来なかった。その分、神棚へのお供えも、鏡開きの今日降ろすのも、念には念を入れた。そんなことに気持ちを込めることで、家内安全・夫婦円満・一陽来復など諸々を神様に丸投げするのである。

暮れも押し迫ったある日あるとき、各家庭に来年の年神様が降臨される。年神様を歓迎し、諸悪から守り祀り挙げる風習が、しめ飾りであり、門松であり鏡餅などのお供えである。そもそも年神様とは、五穀豊穣を司る神様で、いっときでも長く降臨されると1年間の五穀豊穣が約束される。そんな農耕民族の我が祖先が代々引き継いで年神さまを崇める風習である。と言われている。

そして前置きが長かったがやっと、神棚に供えた鏡餅を降ろしてぜんざいにして頂くところまでやって来た。神棚に供えられて10日もたてば、鏡餅も粘りを失いひび割れだって入る。それを上手に割って食べるのを鏡を開くという、決して鏡を割るなどとは言わない。ここらあたりの日本語の言い回しがなんとも絶妙な味わいを出す。

ついでに言うと、鏡を開いたときに小さく飛び散る小餅が多ければ多いほど、来年の豊作は全ての作物に及ぶのだという。餅入りぜんざいは大好物であり一椀で元気をもらう。が、その背景や歴史の遠くまで考えすぎるのも、有難味が薄れるというもの。美味しいものは「おいしいね~」と静かに味わうのも、日本人の奥ゆかしさかな、とも思う。

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