成人の日を迎えた。今年の新成人の人口は120万人で、前年2021年と比べて4万人の減だそうな。
総人口に対する新成人比率は0.96%で、依然として毎年減少傾向にあることに間違いない。
別に参考にして頂くほどのものではないが、毎年1月1日付けの新成人の数値の推移が一目で見られるので乗せたまでである。早い話が、1942年生れなどはこれらの統計の仲間にも入れられていない。日本の復興を支えた昭和を生き抜いた俺たちなのに、などとの自負が邪魔をして、嘆き節のひとつも訴えてみたかった、ということかも。
思うに小生にももちろん成人式はあった。何年前の話か、問われて名乗るもおこがましいから自らは言わない。勝手に計算して頂こう。要するに大昔の話である。強く印象に残っているのは、「成人の日」は男のためにあり、「成人式」は女性のためにあるな、と感じた当時の印象が今も大きく変わらず続いているようである。
何年か前のように、成人したことを何か勘違いして、成人式をぶっ壊す輩が横行した一時期は別として、成人式はやはり男にとっての一つのけじめ、一皮剥けて脱皮しようとする契機であったような。一方女性は、その華やかさをことさらお披露目して、世の中におんなの存在を見せつける。そんな違いを感じた。その60年前の感覚は、今もあまり変わらないねーと振り返っている。どっちが良くてどっちが悪いなどとの話ではなく、二十歳という年令の立場の感覚とか、人生観というものに若干の違いがあった、と思い返している。
青年団という、地域の大人への登竜門みたいな組織があって、お小遣いの使い方や、ネオン輝くおねえさんにウソをつかれるのも男の甲斐性などなど、良くも悪くも色々教わったなー。
そんな成人の日を英語では「coming‐of‐age day」というのだそうな。それがどうした、って話だが。