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*今週はイタリア車の話です。初めてのイタリア車がDUCATIのマイクヘイルウッド・レプリカ(1982年)です。
キック始動のみの900ccデスモドロミックのV型2気筒です、手の長いイタリア人に合わせたかのようなロングタンクにセパレートハンドル、レバーの長さが普通の1,5倍は有るかなと思われるクラッチレバー、それもそのはずレバーの端に指を掛けて引いても尚重くて、初めの内は1時間も乗ると左手が動かなくなる位でした。
ハンドリングもコーナーで中々寝てくれない、寝かせば寝かしたで起きてくれない、まるで地球独楽が組み込まれているようです。
それでも一度コーナリングの角度を決めるとレールの上をトレースする様に曲がって行きます。上手く乗れるようになるまで1月程峠道で練習しました。*
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*次に手に入れたDUCATIは写真の左側の900ssです、4輪のスーパーセブン(ロータス・セブンのレプリカ)を探している時にショップの整備士の人が持っていたバイクで手作りのマフラーとセミレーシングのタイヤ付きです。見つけたその日に交渉、売っても良いとの返事を頂き即決で購入決定、
先のMHRの8年後の1990年式のモデルでしたが、フレームを始めエンジンも含めて運動性能が格段に向上していました。
MHRの様な頑固なハンドリングは影を潜め、軽く寝て軽く起き、後輪のみで走っている様な、ハンドルと前輪は勝手に動いてくれる様な感じでした。
エンジンの性能も扱いやすくパワフルで、信号で止まった状態からフル加速すると恐怖感無く前輪が浮くほどでした。
峠道も楽しくて楽しくて、自分のテクニックが上達した様な気になりました、ブーツの先が削れるほど寝かしてもタイヤが滑る恐怖感も有りませんでした。*
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*イタリア車繋がりで、MVアグスタ125Sの話です。私がバイクに興味を持ちだした頃の世界GPではマイク・ヘイルウッド(英)、フィル・リード(英)、ジャコモ・アゴスティーニ(伊)等のレーサーが有名でした。
中でもアゴスティーニは映画にも俳優として出演する位の美男子で、いつも綺麗な女性を伴ってレース場に現れる人でした。
そんな憧れも有って手に入れたのがデッドストックの新車のMVアグスタ125Sです。発売当時の価格が38万円位だったのが、プレミアが付いて100万円でした、当時MVアグスタの750だと500万円~1000万円のプレミアが付いていました。
この125Sは乗らずに展示用として店に永く飾ってあり、ヘルメットもアゴスティーニのカラーを真似て自分で塗装していました。*
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*そしてオマケのヤマハRD250です。大学生の頃、本物の外車に乗れるなんて思っていなかった頃、イタリア車に憧れて、自分のヤマハRD250をイタリア車のマランカの様に作り変えようとトライしたのが写真のバイクです。
シートをシングル風に加工してくれる店を探し、赤のレザーで作って貰い、車体は部品を全てバラバラにしてフレームを赤に塗装タンクもマランカと同じ塗り分けにして、それに合わせてサイドカバーも塗り替えました、フロントフェンダーは当時流行っていたダンストールのコピーです。
このバイク、かなり気に入って乗っていたのですが、最後が記憶に無いのです、誰かに売ったのか、あげてしまったのか、全く記憶に無いのです、70歳近くになるとこんなもんですかね・・・残念!*
今月の読書
パレードの明暗(座間味くんの推理)・・・石持浅海
BG、あるいは死せるカイニス・・・石持浅海
スイス時計の謎・・・有栖川有栖
屍人荘の殺人・・・今村昌弘