花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

初代御家元の眼

2015-01-14 | アート・文化


華道、大和未生流の初代御家元は、当代御家元の帝塚山学院大学名誉教授、須山法香斎先生の御祖父君である。私の母は、奈良女高師付属の高等女学校在学時の華道の時間に、初代御家元に御指導をいただく機会を得ている。お稽古の日は塵一つなく清めた体育館内に薄縁が敷かれる。袴姿の初代御家元は一列に正座した女生徒が生けた花の後側をお渡りになり、「さっぱりと、さっぱりと。」と繰り返しおっしゃりながら、裏側から次々と生徒の生け花に鋏をさくさくとお入れになった。新たに生まれ出た花の姿がまこと見事で、同じ花々が何故このように生まれ変わるのかと、感動を通り越して不思議でならなかったそうである。

この後、京府医大付属の女子医専に進学し耳鼻咽喉科医になった母は、花の稽古からは遠ざかってしまったが、それでも折に触れて庭の花々を部屋に生けてくれた。その母が、初代御家元のお花はどの方向から拝見してもまことに美しかったと言う。正面からだけではなく、次々と眺める方向を変えて眺めてゆく御眼に花がどのように映っていたのだろうと思案した挙句、天・人・地の役枝からなる単純な三本生けの形を3Dで作ってみることにした。そしてモニター画面一杯に拡大した基本形をぐるぐるとしばらく回転させていた時、ふとモデルと自分の境がなくなり、回転台の上で回っているかの様な感覚におちいった。生け花の背面から鋏をお入れになったというエピソードを初めて母より聞いた時は、はるかに優れた空間認識をお持ちであった為かと考えたのである。左右上下、どの方向から眺めた二次元の景色をも、瞬時にお頭に結ぶことが御出来になったに違いないと。しかし3D画像を回した時に考えが変わった。もしかすれば、眼前の花と一体になった眼でその花姿を捉えておられたのではないだろうかと。

流派の左勝手、前人の花形は、冒頭の写真の花の活け方である。やや斜めに天をさした右手の先から、その力を受けて曲げた左手へ、さらに右やや前方に伸ばした右足の地と言う風に、あたかも経絡を流れる気血を体感するかの如く、初代御家元は生け花の形を、如実に御自身の身体感覚として捉えておられたのではないだろうか。生け花も人体も、自然をそのうちに内在してしかも体現する小宇宙というならば、それは決して不思議なことではない。もはや生け花と自己との間に彼我の分がない境地にあれば、その花に降り注ぐ陽の光が一番恵みをもたらす場所は何処か、吹いてくる風がしばしそよぎを生む處は、その後にいずこに吹き流れてゆくのかということさえも、五感を超えた身体知により把握することができるだろう。そして伸び行く形を阻んでいる部位、臨界点を超えて傾きすぎた處、其の内で生命の流れが滞るのは何処かなど、いわば美しくない花形もまた、外から判断する眼とは異なり、病んだ部位から生じてくる症状の様な自らの病的感覚として感知することができるのではないか。勿論、本当の御心は私風情に到底理解できるものではないとは承知の上で、思いを巡らせてみたのである。

東大寺南大門には国宝の阿吽の金剛力士像が守護神として安置されている。大仏殿に向かって左側の口を開けた阿形像は、垂直よりやや斜めに高く建てた金剛杵を右腰で構え、広げた左手は中空を制して左足を踏み出している。右側の吽形像は右腕を掲げて、左肩から左手に杵へ流れる勢いは踏み出した右足に連なっている。この躍動感に溢れる仁王像を拝する時、阿形像は右勝手の後人の花形、吽形は左勝手の前人の花形に通じているものがあると思えてならない。そしてこの金剛力士のからだを貫き流れ、息づき動くダイナミズムに呼応する様な花を、何時の日か活けることができたなら本望である。