花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

着物の思い出から

2015-01-12 | 日記・エッセイ


小学校の頃の授業参観に、母はいつもひっつめ髪にきもの姿で来ていた。今の私よりはるかに若かったのであるが、地味な色合いの各地の紬ばかりを好んでいた。その頃、京都郊外の古刹で行われた展示会に何度か連れてもらったが、色とりどりのおべべが沢山並べられた部屋から部屋を渡り歩きながら、普段はあれをしてはいけません、それは大きくなってからよと言われ続けている中で、その日だけは特別に大人の素敵な世界を覗かせてもらった心地がした。

その母も肩や腰が痛いと言い出してから、あれだけ馴染んでいた着物を何時しか着なくなった。いつぞやは、私の甲斐性で着ることのできる好きな着物はもう着つくしたからとも言ったことがある。最後にきもの姿を見せてくれたのは、数年前に行われた女子医専の同窓会に出掛けた時である。大好きで大切にしてきた、志村ふくみさんの草木染紬の無地を着たのであるが、私の眼にはあきらかに着物の中で身体が泳いでいた。人並み以上に着慣れて着姿の工夫もおこたらなかった母である。年齢を重ねるにつれて着付けは変えてゆかねばならないのであろう。元来気丈な母であるが、気力や肉体の衰えとともに、自分の着姿をゆっくりと外の眼で眺めてみるだけの余裕がなくなってきているのかと、娘としてはつと寂しい気がした。あるいは出席者も減ってきた同窓会もこれが最後かと、何もかも承知の上で着ていたのかもしれない。

最近は存じ上げないが、志村ふくみさんのその頃の紬は、結城紬などに比べるとはるかにこしがある堅く厚い紬である。柔らかものの様に身に沿うのではないから、若い頃と同じ様に着せ付けると、年とともに萎んでしまった身体をかえって浮き上がらせるのである。その質感を身に纏うには気合をいれないと決まらない紬である。同じく縫いの一つ紋をいれて仕立てた無地の色違いを私にくれたのであるが、遥か以前に新宿の京王プラザで、ありふれた帯を締めてその着物で歩いていたら後ろから声をかけられた。どうもホテル内の日本料理店の仲居さんと間違えられたらしい。労働着と間違えられる様な私の着姿は推して知るべしである。

着付けと言えば、能の勉強のため観世会館に観劇に通っていた頃、なにかの御祝いの折に頂戴した白地に総刺繍の袋帯を、ロビーでむずと無言で掴まれて直されたことがあった。京の街中などを歩くと、向こうから歩いて来る着物姿の女性群がすれ違いざまに、頭の先から草履の先までずいと一瞥してゆく視線が何やら痛い。ひとえに下手な帯の結び方等々、着巧者の神経を逆なでしている当方の手落ちなのであろう。それやこれやで次第に着物からは遠ざかることになっていった。最後になるが、冒頭の写真は30代で初めて自分で買った伝統工芸の献上博多帯である。夏の紗献上のはりがある織りで、締めていても身体に付かず離れずに涼しい。これも好きで仕立てた藍地の長板中形、牡丹紋の竺仙の浴衣に締めて、いつか噂に聞く博多の祇園山笠を観たいと思いながらいまだに果たせないでいる。