花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

デジタル逍遥ことはじめ

2015-01-06 | デジタル
医者人生でお世話になった初めの頃のPCを、新年にあたり感謝の気持ちを込めて振り返っておきたい。たかが器械やろと言われるかもしれないが、これまでに出合った多くの方々と同じ様に大切な、何時までも心に残るモノ達なのである。口切のHC-20は、エプソンが1982年に世に出したハンドヘルド型PCである。西武百貨店で西武優勝を祝して全品半額セールが開催されていた時、これもまた半額で購入することができた。Basic内蔵、保存と読み出しはマイクロカセットで、様々な統計のプログラムを入力すれば、処理結果がジジジジジの音とともにロール紙に打ち出されてきた。遥か昔に手放したが、今思えば嵩張るものでなし、ささやかなデジ逍遥の幕開け記念に残しておけばよかったと後悔している。

次に触れたのはPC-9801VM、1985年に日本電気が発売した16bitデスクトップである。5インチのフロッピーディスクドライブ内蔵、ドットインパクトプリンターを接続して使っていた。かつてはCRTモニターが主流、現在はEIZOブランドに統一されてその名前はなくなったNANAOの、到底一人では動かせないCRTモニターの前に座れば、さあこれからひと仕事やるという士気の高揚を感じたものだ。ソフトはMS-DOS用ワープロソフトWordstarや表計算ソフトLotus 1-2-3を使っていた。休日ともなれば、大阪日本橋電気街の店舗巡りでパーツを物色するのが楽しみで、周辺機器をせっせと増やしていった。

この頃、奇形腫に関する初めての海外投稿を行ったのだが、舞い戻ってきた論文に添えられたレフェリーの一文は冷ややかに、
”Too much convoluted reasoning and too many illustrations. Reject. ”
関西弁で申せば、「言うてることはぐだぐだと、やたら写真も盛りすぎ。ほな、さいなら。」というところか。再度練り直して別紙に投稿、ようやく掲載されたのが初の英語論文となった。