花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

人を見ること見せること│実意深切の花

2015-01-08 | アート・文化


花を活けると気力も体力も消耗する。作品を出瓶するしないを問わず、賑々しい華展の舞台裏の9割方は力仕事の連続である。生け花に限らず、心身ともに疲れ果てたその様な状況下、なんとかここまで仕上げたと少しは自分を誉めてやりたくなる時に、ついついはまりやすい風体がある。一つ目はまず、一生懸命生けました、大変よくできましたと胸を張ってみせる「小学生の花丸の花」である。二つ目は「能書きを垂れる花」である。苦労して入手した花、丹精をして育てた花、枝をこうしただの花をどう変えただのや、花器の由来など等々、苦労話のひとつも人に語りたくなる。三つめは和田東郭先生曰くの「人そばえの花」、業界の眼や見巧者受け狙いを意識した助平根性の花である。しかしこれらの三つの花はまだbenign (良性)である。

「兎角すつと真一文字にでかけるは善き人也。前に障子を立て其内より出つ入つするやうなる気の人は必悪きもの也。(中略) 兎角人は実意深切と云もの第一の事也。是をかたく盡て見る時は即忠也。この忠を立ぬく時は岩をも通す處の力ありと云へし。」 (近世漢方医学集集成15 和田東郭『蕉窓雑話』、名著出版、p.554)

安全圏に身を置いて自分を出し惜しみする。逃げ込める障子の裏側というホームに軸足を置いたまま、己を守ることのみ腐心する。やられるかもしれないアウェイで、ありのままをさらけだす勇気、それでも真心を尽くすという実意深切がない。陥ってはならぬのが、この様な「はすに構えた花」である。自らを真っ赤に完全燃焼させ、その炎で周りも巻き込み皆一緒にここで熱く燃えようぜ!という風な、誰を貶めることも傷つけることもない、翳りのない人間賛歌の花は見ていて清々しい。真直ぐで、そして豊かで、華やかであってこその花なのである。