gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

玉子

2019-01-22 18:21:19 | 日記
私の前の皿には玉子焼があった。祖母と叔父・叔母達の皿には目玉焼があった。祖父だけが皿ではなくエッグスタンドに半熟卵をのせ、その頭をスプーンで叩いていた。昭和15年か16年か、まだ朝の食卓に玉子があった。私の小学校(国民学校)入学は昭和17年の4月である。弁当箱に玉子料理が入っていた記憶はない。

高校1年のときは男世帯であったことは以前から書いている。弁当は自分で作った。既製品の鶏肉コロッケ、サツマ揚げ、佃煮各種といったメンバーがあった。昼食の時間は左前部の席のススムが、或る日、「これ、食わねぇか」と言いながら、厚焼き玉子を1個くれた。旨かった。とても男世帯では作れない味だった。ススムは隣村の村長の息子で、豪農らしかったから、鶏もたくさん飼っていたのだろう。新鮮な玉子の味がした。40歳になった頃だったか、ススムが早死にしたことを知った時も、ふと、玉子焼のことを思い出した。

かたい目玉焼を家人に作ってもらい、これに少し厚く切ったハムをのせ、ソースをかける。これがウィスキーの水割りに合う。ジャガサラは無くてもいい。その代わりになるのが、カボチャの煮物であるのは最近の発見だ。家人に訊いてみると、鶏卵1個は20円しないそうだ。安いなぁと思う。玉子ほど便利な食べ物は他にないのではないだろうか。いちばん贅沢で美味なのは、う巻きであるが、これはしばらくお目にかかっていない。

麻雀に強い人

2019-01-22 18:13:05 | 日記
麻雀というゲームにはその人の性格が出る。初対面の人と打って半荘を2,3回打てば、凡そのことがわかる。それがこの勝負のおもしろさの1つだと思う。たとえば仕事関係の人、会社の上司・同僚の内面を知っておくことができる。

Aさんは私より1つ年下で、100人規模の生産会社の二代目社長。知り合ったのは、お互いにまだ30代の後半の頃だった。私の会社がAさんのところに仕事を出す立場だった。といっても雀卓を囲めば真剣勝負である。他の2人のメンバーはAさんの会社の関係者であることが多かった。Aさんの麻雀は性急・突っ張り型だった。仕事のことでの会話ではあまり感じなかったが、短気であることがよくわかった。麻雀をする方ならおわかりだと思うが、短気な人はカモである。自分の手牌に惚れこんでしまうから、他の3人への目配りが少なくなる。それでは麻雀には勝てぬ。勝つのは馬鹿ツキがあったときだけである。

何年前だったか、中日ドラゴンズに、或る出来事があった。日本シリーズだったかと思うが、中日の先発投手が最高のピッチングをして、8回まで相手をパーフェクトに抑えていた。そして、9回、あと3人をアウトにすれば完全試合である。ただし、ドラゴンズのリードはわずかに1点だった。ここでベンチから落合博満監督が立ち上がり投手の交代を告げる。中日には絶対のクローザーがいる。岩瀬仁紀投手だ。落合さんは、ごく当然のように岩瀬に9回を任せる。当然にパーフェクトゲームはその瞬間に消えた。大記録は消えた。私がそのとき思ったのが、落合さんは麻雀は強いだろうなぁということだった。彼とは麻雀は打ちたくないと思った。翌日の新聞には、落合采配について、種々の論が舞ったけれど。