私の前の皿には玉子焼があった。祖母と叔父・叔母達の皿には目玉焼があった。祖父だけが皿ではなくエッグスタンドに半熟卵をのせ、その頭をスプーンで叩いていた。昭和15年か16年か、まだ朝の食卓に玉子があった。私の小学校(国民学校)入学は昭和17年の4月である。弁当箱に玉子料理が入っていた記憶はない。
高校1年のときは男世帯であったことは以前から書いている。弁当は自分で作った。既製品の鶏肉コロッケ、サツマ揚げ、佃煮各種といったメンバーがあった。昼食の時間は左前部の席のススムが、或る日、「これ、食わねぇか」と言いながら、厚焼き玉子を1個くれた。旨かった。とても男世帯では作れない味だった。ススムは隣村の村長の息子で、豪農らしかったから、鶏もたくさん飼っていたのだろう。新鮮な玉子の味がした。40歳になった頃だったか、ススムが早死にしたことを知った時も、ふと、玉子焼のことを思い出した。
かたい目玉焼を家人に作ってもらい、これに少し厚く切ったハムをのせ、ソースをかける。これがウィスキーの水割りに合う。ジャガサラは無くてもいい。その代わりになるのが、カボチャの煮物であるのは最近の発見だ。家人に訊いてみると、鶏卵1個は20円しないそうだ。安いなぁと思う。玉子ほど便利な食べ物は他にないのではないだろうか。いちばん贅沢で美味なのは、う巻きであるが、これはしばらくお目にかかっていない。
高校1年のときは男世帯であったことは以前から書いている。弁当は自分で作った。既製品の鶏肉コロッケ、サツマ揚げ、佃煮各種といったメンバーがあった。昼食の時間は左前部の席のススムが、或る日、「これ、食わねぇか」と言いながら、厚焼き玉子を1個くれた。旨かった。とても男世帯では作れない味だった。ススムは隣村の村長の息子で、豪農らしかったから、鶏もたくさん飼っていたのだろう。新鮮な玉子の味がした。40歳になった頃だったか、ススムが早死にしたことを知った時も、ふと、玉子焼のことを思い出した。
かたい目玉焼を家人に作ってもらい、これに少し厚く切ったハムをのせ、ソースをかける。これがウィスキーの水割りに合う。ジャガサラは無くてもいい。その代わりになるのが、カボチャの煮物であるのは最近の発見だ。家人に訊いてみると、鶏卵1個は20円しないそうだ。安いなぁと思う。玉子ほど便利な食べ物は他にないのではないだろうか。いちばん贅沢で美味なのは、う巻きであるが、これはしばらくお目にかかっていない。