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姓(苗字)

2018-08-16 15:16:45 | 日記
兵庫県芦屋の小学校に南里という姓の女の子が同級にいた。学校は六甲山の麓にあった。彼女は山の上の方から通学していた。1年生の頃は毎日女中さんらしいおばさんが送り迎えに来ていた。やはり、山の中腹に住む友人の所へ遊びに行ったことがあって、そのとき南里家の前を通った。洋風の家で門には南里と横書きにした表札があった。それがいかにも新鮮な感じがあった。子供でもおしゃれだとわかった。当時、たいていの家の表札はタテ書きであって、それも世帯主のフルネームが印されていた。それに加えて、ナンリという音(おん)も響きがよかった。

姓が認められるのは武士だけという時代があった。国定忠治は武士ではなかったから、国定村の忠治である。清水次郎長は武士であって本名は山本長五郎である。ヤクザの親分としての名が、清水の次郎長というわけだ。私の友人に長谷川長次という名の人物がいて、茨城の守谷市に住んでいる。みんなから、チョウさんと呼ばれているが、ひと昔前なら、守谷の長次と呼ばれていただろう。それに、チョウさんは少しヤクザっぽいところもある。

私のリハビリの先生は松平姓の女性だった。あの松平定信の血をひいている。松平の姓は全国に多くいる。リハビリのお姉さんは、伊予の松平家であるそうだ。私の孫娘は柳澤姓の男性と結婚した。柳澤吉保の子孫かと訊いたら、そうではないそうだ。でも、柳澤姓は松平姓と同じぐらいに恰好がよい。まもなく生まれる赤ん坊には、それにふさわしい名前がつくことを願っている。

連想ゲーム

2018-08-16 15:08:55 | 日記
岐阜県の多治見で38度、とテレビのニュースが報じる。凄い暑さだ。多治見と言えば多治見工業出身の梶本隆夫投手だ。阪急ブレーブスに入って活躍した。高峰三枝子さんの恋人という噂があったが、本当だったのか。あの頃は、いまのように、週刊誌が追いかけることもなかった。高峰さんの父は高峰竹峰であって、琵琶の家元。東京の三田に家があって、三枝子さんが女学校へ行くバスに乗るのを慶應の学生が大勢集まって見送ったりしたそうだから、大変な美貌だったわけだ。阪急ブレーブスは昔から好投手が多かった。昭和20年代は天保義夫・今西練太郎がいた。30年代は米田哲也だ。金田正一投手の400勝に次ぐ360勝をあげていたのではないか。梶本もその頃だ。打者で目立ったのは青田昇ぐらいだから、阪急は特に投手のチームだった。快速球の山口高志はすべてストレートで勝負していた。そして、山田久志が登場する。きれいなアンダースローだった。同じ下手投げでは南海の杉浦忠がいるが、投球フォームは山田投手の方がカッコよかった。

昼食を終えてベッドに横になる。多治見市で気温38度と聞いて、前記のようなことを思う。思い浮かべる。連想である。連想ゲームである。そのうちに少しずつ眠くなって来る。ウトウトするのは30分ほどだろうか。それでも夢を見ることもある。いや、夢を見たような気がするだけなのか。しかし、気持ちはよい。気持ちよくベッドから立ち上がる。3時からはCNBCテレビの株式マーケットの大引けを観なければならない。

8月12日

2018-08-16 15:02:05 | 日記
御巣鷹山事故から33年になると、テレビと新聞で知った。ヒロシマ、ナガサキから73年。3日後には終戦の日が来る。時が移るのは早い。戦争の無駄な悲劇を体験し記憶しているのは、いま、日本人の何パーセントいるだろうか。

室内は27度で、扇風機の風もあるが、それでも冷たいものが欲しくなる。アイスバーとでも言うのだろうか。芯の部分に抹茶のクリームがあって、それを乳白のアイスキャンディーが包んでいるものを食べる。旨い。身体に涼しさが広がる。

甲子園は慶應 対 高知商業。私の予想は、両チームの合計点は10点。ポイントは慶應の投手 生井→渡部のリレーで7回までに2点リードしているあたりが理想と考えていた。試合は1回表に拘置が1点をとり、その裏に慶應は連打で2点を奪い、なおランナー1,2塁。更にヒットが続いたが、二と度もホームでタッチアウト。3塁コーチャーのミスか走者が無理に突っ込んだのかはわからないが、この逸機は大きかった。いわゆるイヤな予感がした。それが早くも2回の表に当たってしまう。投手が打たれるのは仕方がないとしても、野手も浮足だった。キャッチャーが三振した打者走者を振り逃げで生かしてしまったりして、この回で慶應は終わった。将棋の米永邦雄さんの口真似をすれば、オワである。相撲で言えば、自分で転んだということだ。宮尾君は慶應大学に進んでレギュラーを取れるだろう。競馬も関屋記念で狙いのチェッキーノが凡走。今朝の血圧は131-79。