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縁起

2013-09-15 15:06:14 | 日記
一昨日は、13日の金曜日。さらに仏滅も加わったから、結婚式場はガラ空きどころか、休業したところもあったのではないか。 友引の日を休む葬儀場も多いそうだ。しかし、大吉の目が出た人もいる。連勝の世界記録を成し遂げたプロ野球 楽天の田中将大投手だ。 球団はギネスブックへの登録を申請するようだ。 逆に厄日だったのは、みのもんた氏か。 祖母は、私の躾に縁起というか迷信というか、そういうものを、よく利用したが、それは好いことよりも、「バチがあたりますよ」的なものの方が、はるかに多かった。 好い方では「茶柱が立った」なんていうのが主で、悪い方は、たとえば「お臍を出していると、雷様が取りに来る」というのがあって、私は、もしそのときが来たら、茶箪笥の中にあるアサリの佃煮を差し出して勘弁してもらおうと考えていた。 4歳だったか、5歳だったきあ、そのぐらいの知恵はあった。  私も家人も、子供達には、そういう縁起かつぎや迷信利用の躾はしなかったが、それでも子供は、どこかから聞いて来て、「3人で写真を撮るときは中央に立つな」というようなことは知っていた。 ただ、ゲン担ぎは伝統的なものだけでなく、自分だけのものがあると思う。 私は「靴は右脚から履く」と高校時代から決めていて、どんなに酔っていても、それだけは忘れない。もちろん何の根拠もないという点では、祖母の「臍と雷」と同じだ。 ところで、13日の金曜日と仏滅が重なる日は何年に一度あるのだろうか。その計算方法は?

TOKYO

2013-09-15 14:58:53 | 日記
12月に発表される流行語大賞の首位争いは、「アベノミクス」と「今でしょ!」だと思うが、もう1つ有力な候補が出てきた。「TOKYO」である。 今年、日本人の大きな関心事に2020オリンピックの開催都市の決定があり、結果、それが吉と出た。 9月8日朝のIOCのロゲ会長が大きな封筒から1枚の紙を取りだし、「TOKYO」と読み上げた、あの瞬間である。 その映像は何度も何度も繰り返し放映されたが、私は、あの映像はCMに使えると直感した。たとえば伊藤園という会社の主力製品が「おーい、お茶」であって、テレビコマーシャルのキャッチフレーズも商品名と同じである。この企業のコマーシャルの作り方は簡単であって、まずロゲ会長役(私は、西田敏行さんが好いと思う)が、やはり封筒から紙を取り出して、表に書いてあるTOKYOの文字を少しおさえた声で読み、次に髪を裏返して「おーい、お茶! 伊藤園」と大声で叫ぶ。これで(ユーモア味もある)合格点のコマーシャルが出来上がると思う。 もちろん、あのときと同じように、何十人かの応援団が抱き合って喜ぶ姿も映す。いうまでもなく、伊藤園さんに限らないが、あの映像をコマーシャルに応用しなかったらもったいない。 前記のコマーシャルの世界だけでなく、何かのものを取り出すときに、「TOKYO!」と言うのは、子供達の間にも流行するのではないだろうか。それほどに「TOKYO!」のシーンは、強く印象に残る。 それに、東京という1つの都市の名が流行語になったら、おもしろいじゃないですか。

結構

2013-09-15 14:47:05 | 日記
「日光を見ずして結構と言うなかれ」の「けっこう」は、ま、ワンダフルの意味だろう。 「アイツはぼんやりしているようだが、麻雀だけは結構上手い」は、「なかなか」の意味だ。 かなり酒を呑んだ後で、さらにグラスに注ごうとする相手に、「もう結構です」と頭を下げるのは、丁寧な断りになる。電話セールスに「結構です」と答えたら、不要な商品が送られてきて、「注文していない」と言ったら、「でも、結構というのは、好い品ですということでしょう」と押し問答になったという話をテレビで観たことがある。橋下徹大阪市長が前回の選挙のとき、週刊誌に「父親の出生」のことを書かれ、それを逆手にとった橋下氏は、「親父の出生?結構毛だらけ」と語ったが、これはケンカ言葉で言えば、「上等じゃねぇか」であり、その快さから私は彼の勝利を確信した。  9月12日は母の誕生日で、今年は大正102年であり、母は同3年の生まれだから、満で数えれば99歳(白寿)になる。娘は休暇旅行KOREAに行っていたので、本来なら家人と2人で鎌倉プリンスホテルの日本料理店で、少し贅沢な夕食を食べながら、母の想い出話をすれば、「結構な一夜」になるのだが、これまた腰痛が邪魔をする。 こういう日の我が家の定番は、藤沢小田急のデパ地下の鮨と、なんとか菓子店のケーキになるが、これだって結構な味だ。 この「結構」は、もちろん「充分」の意味である。

クイズ的思考

2013-09-15 13:58:14 | 日記
「日本にある43の県の中に、数字のつくものが2ツある。1ツは三重県だが、もう1ツはどこか?」と問われると、普通は「八戸、四日市、一之宮は市の名前だから懸命ではないし~」と、正答の千葉を思い出すのに少し時間がかかるのではないか(小学校5,6年あたりに試してみていただきたい)。 しかし、この問いを、反対に「1ツは千葉県、もう1ツは?」とすれば、三重は即答できるはずで、たいていの脳はそういう動きをするのだと思う。 クイズという一種の頭脳ゲームは戦後まもなく輸入され、NHKの『20の扉』や『話の泉』などによって、急速に子供の世界にも広まったし、私達の中学生時代には、テストの問題の形式にも影響した。それがいわゆる、〇×式であって、当然のことに出題サイド(教師)は故意に間違えやすそうな(ちょっとヒネッたというか)問題を作りたがることになる。  「代議士とは衆議院、参議院の国会議員を言い、県・市町村議員は含まれない。この文は〇か?×か?」、私と同じ高齢者に考えてみていただきたい。 「そうなぁ、オラが町の町会議員のことはセンセイとは呼ぶけど、代議士とは言わねぇもんな、だからこれは〇だっぺ」となる人が多い気がすると書いたら、失礼なことを言うなと叱られるだろうか。クイズ的思考の人なら、これは何か落とし穴があると直感し、まもなきう、市町村会議員はただの添え物で、代議士は衆議院議員だけで、参議院議員は代議士ではないことを想いだすだろう。 つまり、クイズ的思考は、野球でい安倍、変化球投手の投球法(打者との読み合い、探り合い)に少し似ているのかもしれない。

がっかり

2013-09-15 13:51:49 | 日記
当然のことだが、失望・落胆といったものは、願望・期待から始まるわけだが、私のような年齢になると、願望も期待も少なくなるし、薄くなる。 夏は涼しく、冬は暖かい場所に住み、ラクな衣服を着て、ちょっと旨いものをつまみながら、酒が呑めれば、つまり衣食住は充分だ。 株と競馬には期待と落胆がつきまとうが、これも自分の力ではどうにもならないから、買った馬がハナの差で負けても、持っている株が下がっても、ま、舌うちすれば終わる話であって、アタリとハズレの繰り返しの世界だと、終期高齢者でありながら、日々是好日となるかと言うと、そうは神様は許さない。 昨年、二度、腰痛のためのブロック注射を受けた。これは痛みそのものを治すのではなく、痛みを脳につたえない(ブロックする)手法であるのだが、私は脳梗塞再発病死のために血液がサラサラになる薬を毎日服用しているので、それを7日間ストップせねばならぬが、それもなんとかなって、待望のブロック注射の日がきた、そして注射は有効だった。家へ帰る車の中では口笛を吹きたくなった。しかし、その喜びは36時間しか続かず、1カ月後に再びトライしたが、結果は同じだった。せめて1週間効果がもたないかと願ったが、ダメだった。それが私の、ここ何年間かにおける(あるいは、それより前も含めて)最大のガッカリであり、落胆である。 あるいは、希望・期待が大きすぎたのかもしれぬが、私にも、1週間あれば会いたい人がいる。 妹もいるし、久しく会っていない友人もいる。家族旅行だってできる。