NHKテレビの土曜日午後7時半に『ブラタモリ』という番組がある。名の通りの、場所めぐりの内容であって、先週の訪問先は呉市だった。呉といえば、昔は、軍港の町であり、同時に海軍の町だった。海に近い方には今も呉造船の工場がある。あの戦艦大和もここで造られ、舞鶴に置かれていたが、昭和20年に沖縄に派遣される。我が国最大、最強の軍艦が、最後の戦力として沖縄救助のために現地に向かったのだが、目的を達することなく、米軍機の猛襲によって沈められてしまう。
呉の山の手側には小高い丘があり、長くて急な坂道の両側には住宅地が広がる。軍港を見下ろすよい場所であって、かつては海軍の佐官クラスの将校が多く住んでいたという解説がついた。海軍兵学校も近い。私のような、昔の軍国初年の頭にはいろいろなことが思い浮かぶ。
呉は野球も強かった。呉港中学は、あの藤村富美男の時代に川上哲治の熊本工業に勝って、甲子園で優勝している。広岡達朗は呉三津田中学の出身である。私が中学生の頃に観た東京六大学野球の慶早戦、早大の3番打者が広岡で、4番に松本という三塁手がいた。鉄壁の三遊間と称されていた。いや、高校野球の話は長くなる。とにかく、呉は好い町だった。
呉の山の手側には小高い丘があり、長くて急な坂道の両側には住宅地が広がる。軍港を見下ろすよい場所であって、かつては海軍の佐官クラスの将校が多く住んでいたという解説がついた。海軍兵学校も近い。私のような、昔の軍国初年の頭にはいろいろなことが思い浮かぶ。
呉は野球も強かった。呉港中学は、あの藤村富美男の時代に川上哲治の熊本工業に勝って、甲子園で優勝している。広岡達朗は呉三津田中学の出身である。私が中学生の頃に観た東京六大学野球の慶早戦、早大の3番打者が広岡で、4番に松本という三塁手がいた。鉄壁の三遊間と称されていた。いや、高校野球の話は長くなる。とにかく、呉は好い町だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます