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都会と田舎

2018-07-05 23:22:52 | 日記
父方の祖父は茨城の田舎村の貧農の家に生まれ、祖母は東京・日本橋の帽子店の家に生まれた。祖父は水戸の中学から一高、東京帝大、祖母はお茶の水女子大に学ぶことになる。結婚してからは、明治の男と女だから、亭主関白の家庭となる。しかし、いくつかの面では祖母がリードするようになった。たとえば、知人や親戚への中元、歳暮の品選びがある。応接間の椅子やテーブルを取り換えるといった、或る種のセンスを必要とするものは、すべて祖母の趣味によって行われた。そのセンスの差が、都会と田舎の差であったと、私の兄姉代わりだった叔父や叔母が口を揃えていた。祖父の自慢の金の懐中時計を祖母は嫌った。金ピカは田舎臭く、渋い銀色が都会的と決めていたようだ。もちろん、言葉遣いは絶対である。これは、海老をイビ、駅をイキと発音する祖父では勝負にならない。

私は9歳から16歳までの少年期を茨城で育った。茨城弁に染まらなかったのは、祖母のおかげだったように思う。私はなるべく標準語で話すように努力した。いわゆる、訛りに気をつけた。努力の甲斐あって、いつの間にか標準語、関西弁、茨城弁の3カ国語を使い分けられるようになった。腕時計やネクタイピンなども、金より銀を択るようになったのは、祖bの影響であろうと思っている。私につけられた渾名で、いちばん一般的になったのはヤボである。私は基本的にはヤボったい人間であるのだろうが、だからこそ、どこかでスマートに装いたいという神経が働くのだろう。金ピカより渋い銀が、頭の隅にあるのだろう。

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