祖父と叔父が小さなヤカンで酒を温めて吞んでいた。祖父は酒好きではなく、叔父も酒場へ通うほどの呑ん平でもなかった。2人が呑んでいたのは防寒用だった。冬の寒い夜、暖房は火鉢とこたつと湯タンポだけだったから、それだけでは足りない。1杯だけ呑んでみるか?、中学3年生の私にも湯のみの底に少々の日本酒がまわって来た。ヒトクチ呑むと顔が熱くなった。同級生のH君の住む朝鮮へ遊びに行ったとき、時々呑ませてもらっていたドブロクと同じだった。ただ、顔が火照るだけで目がまわるというようなことはなかった。
東京・蒲田のキャバレーで余興の椅子取りゲームに参加した。10人ほどの客が出て来て、輪になり、短い音楽が鳴って、そのストップが合図で椅子を取り合う。そのたびに1人ずつ脱落するというゲームだ。私はラストの3人まで残った。優勝するとキャバレーの招待券がもらえる。私が運動神経に優れいていたわけではない。少々酒に強かっただけのことだ。私は優勝できなかった。座る椅子がないから立ったままだった。立ったままで近くの何かにつかまっていた。床が回り天井が回り、部屋中が回っていた。歩いて自分の席に戻るまで、どのぐらいの時間が経ったかはわからない。これが我が障害の最大の酔いだと言えるかもしれない。最深の酔いについては渋谷・頂好のパイカルだったことは以前に書いた。
現在でも毎晩少量のウィスキーを呑む。ほほが熱くなる。それ以外の、たとえばよくしゃべるようになるといったことはない。急に眠くなることもない。酒が旨いのは昔と変わらない。酒がもたらす気分の良さも変わらないと思う。これをホロ酔いと言うのかもしれない。
東京・蒲田のキャバレーで余興の椅子取りゲームに参加した。10人ほどの客が出て来て、輪になり、短い音楽が鳴って、そのストップが合図で椅子を取り合う。そのたびに1人ずつ脱落するというゲームだ。私はラストの3人まで残った。優勝するとキャバレーの招待券がもらえる。私が運動神経に優れいていたわけではない。少々酒に強かっただけのことだ。私は優勝できなかった。座る椅子がないから立ったままだった。立ったままで近くの何かにつかまっていた。床が回り天井が回り、部屋中が回っていた。歩いて自分の席に戻るまで、どのぐらいの時間が経ったかはわからない。これが我が障害の最大の酔いだと言えるかもしれない。最深の酔いについては渋谷・頂好のパイカルだったことは以前に書いた。
現在でも毎晩少量のウィスキーを呑む。ほほが熱くなる。それ以外の、たとえばよくしゃべるようになるといったことはない。急に眠くなることもない。酒が旨いのは昔と変わらない。酒がもたらす気分の良さも変わらないと思う。これをホロ酔いと言うのかもしれない。
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