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賭け

2018-06-30 12:46:56 | 日記
幼い頃の私の教育係であった祖母は、賭けるということを嫌った。その言葉だけでも下品なもの、汚いものと思っているようだった。今日でも、世の中にはそういう型の人はいるだろう。ま、それは例外として、たいていの人は賭けることは好きなのではないか。嫌いという人は、賭けがイヤなのではなく負けるのがイヤなのだという意見もあって、私はその考え方に賛成である。

会社にAという男がいた。気取り屋で、自己中心的で、誰からも好かれなかった。昼休みの将棋にも参加しなかった。将棋には賭けはなかったが、それでも負けるのはイヤだったようだ。Aは他人の対局をじっと見ていることがあったから、将棋は知っているようだった。Aは宝くじは買っているらしく、彼が売場にいるところを見かけたと女子社員が噂していた。宝くじはギャンブルである。外れた人の金を当てた人が分け合うという形は、競馬と同じである。つまりAが宝くじを買うのは、外れても他人に見られることはないからだと思う。

カジノ法案を与党は今国会で成立させようとしている。これに対し、ギャンブル依存症が増えると野党が反対している。パチプロなる言葉がある。パチンコのプロという意味だろう。プロとは職業であるから、パチンコで生活していることになる。そんなことが可能なのだろうか。スポーツ新聞を読む。私がやっている中央競馬は土日だけであるが、他の競輪、オートレース、ボートレースは毎日のようにやっているようだ。つまり、どこかへ遠征すれば毎日どこかの公営ギャンブルは催されているわけである。その中でカジノ法案だけを依存症のもとといっても、あまり意味はないような気がする。

カジノの場へは、Tシャツに短パンでは行けないだろう。入場料だけで6千円だそうだ。紳士淑女の集いの場とまではいかないとしても、或る種の雰囲気をもつ場になるだろう。客の半分は外国人かもしれない。鳥井信治郎さんの口癖を拝借すれば、ま、やってみなはれ、となる。

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