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認知症の恐怖

2019-12-04 19:17:43 | 日記
昨日の夕方、テレビ朝日で、認知症の夫婦を取材していた。1年前にもその夫婦を撮っていて、つまり1年足ったらどうなったかを追いかけたわけだ。夫の首にひっかき傷がある。軽いものではない。フォークでも使ったかのような傷痕である。妻が夫に「それ、どうしたの?」と訊く場面がある。夫は「おまえにやられた」と応じるが、妻は知らぬふりである。2人住まいであって、傷を作ったのは妻の爪先であることがわかる。そういう風に番組が作られている。家には時々、近くに住んでいる息子が様子を見に来ているゆおだが、傷の事に関しては話す場面がない。夫婦は86,7歳、息子は60歳である。

これは想像なのだが、老夫婦の間に、なにかのトラブルがあって、妻の方がかっとなり、夫につかみかかって、その頬を全力でひっかいたのだ。加減はしない。力一杯である。そうであれば、あれほど深い痕は残らない。そして、そのことを夫は多少は憶えているが、妻は憶えていないのである。

怖いと思うしかない。認知症も多種多様だろうが、前記のことで言うと、己の感情をセーブできないことが第一になる。人間が感情のままに、その日、そほ時を生きたらそうなるか。誰だって、1日に1回はともかく、3日に一度は腹の立つことがあるのではないか。そのたびに何かに(あるいは誰かに)当たり散らしていたらどうなるか。最初に壊れるのは、当然のことに家庭だろう。しかも、そのことを当人は憶えていないのである。憶えていないから反省もない。反省がないければ、暴行も繰り返される。

私の行くデイケアサロンにも認知症の老女が2人いる。1人は髪がザンバラである。何か喋っているようだが、意味不明である。私が思うのは、たとえば半日だけでもこのサロンで預かってもらえるのは、家族にとってありがたいだろうなぁということだけだ。

クルマ

2019-12-04 19:11:02 | 日記
6年前、このマンションに転居したときに、サラリーマン時代の仲間が4人、引っ越し祝いに来てくれた。茨城に住むHさん、埼玉のSさんと横浜のKさん夫婦である。いちばん遠くのHさんが他の3人を車に乗せて来た。Hさんの車の正確な型式は知らないが、6人は充分に座れるようなものである。彼はそれを家族用に買ったのではない。家には奥さんと娘さんが1人いるだけだから、家族旅行なら小型車でも足りる。Hさんは魚釣りが好きで、近所にはその仲間がいる。魚釣りで遠征する。鬼怒川の上流に行く。もちろん、それだけのために6人乗りの車を買ったわけではないだろうが、とにかく彼は、みんなをどこかへ連れて行くことが好きなのだ。誘ってもらう方にとってはこれほどありがたいことはない。我が家に来てくれた時だって、Hさんが声をかけなければ、他の3人が腰をあげることはなかっただろう。

私は車の運転ができない。基本的に不器用だから、免許が欲しいとも思わなかった。だから車に乗るときは、常に他人の運転である。それでも運転者の技術はわかる。ウマイ、ヘタの区別はつく。タクシーなどは別として、アマチュアドライバーでうまいと思うのが3人いる。1人は前記のHさんである。彼は決して急がない。「10キロの道を行くのに、どんなに急いでもごく普通に走るのと5分も違わない」と言う。すなわち余裕運転である。もう1人のMさんはやはり仕事仲間だったが、彼は上級志向でBMWが好きだった。町中を走りながら他の高級車をみつけると、アレコレと説明してくれた。もう1人が私の次女である。むろん外車などを欲しがったりはしない。運転が好きなのだ。この運転好きは3人に共通する。6人乗りもBMWも平凡車も、名人が握れば静かに走る。氷上を滑るがごとく、穏やかに走る。急ブレーキがかかることもめったにない。

55年前の東京五輪

2019-12-04 19:01:55 | 日記
昭和39年10月1日、東京・大阪間の新幹線が開通した。その9日後、東京オリンピックが始まった。聖火リレーの最終走者は坂井という早大陸上部の選手だった。坂井君は原爆投下日の20年8月6日生まれということで選ばれたのではなかったか。私は最終ランナーは古橋広之進さんだろうと早くから想像していたのだが、違った。

男子100メートルはアメリカのロバート・ヘイズが優勝した。私は200メートルもヘイズが勝つだろうと想像していたが、ヘイズは200には出場せず、やはりアメリカのヘンリー・カーが快勝した。100と200は別のランナーが走ることに、ちょっと驚いた。

柔道が何階級に分かれていたかは憶えていないが、無差別級を除いてすべて日本人が金メダルを獲った。無差別級の日本代表候補は2人いた。猪熊功、神永昭夫である。結局は猪熊さんがその1つ下のクラスに出て優勝し、神永さんはオランダのアントン・ヘーシンクに敗れる。

マラソンでは円谷幸吉さんが力走して3位になる。競技場には2位で戻って来た円谷さんは、トラックでハートレーに抜かれる。その後、円谷さんは次のオリンピックへの世間の大きな期待が重荷となり、ついには自殺にまで追い込まれる。有名な遺書をのこして、自衛隊体育学校の自室で世を去った。

ニチボー貝塚の女子バレーボールチームを<東洋の魔女>と名付けたのが誰なのかは知らないが、魔女は強かった。決勝戦はロシアが相手だった。宮本恵美子さんがいて、半田百合子さんがいて、キィアプテンが河西昌枝さんだった。あの優勝が、あの東京五輪のハイライトではなかったか。

閉会式が好かった。世界中の選手が入り乱れて、肩を組み合い、お祭り騒ぎの行進になった。この閉会式の模様が世界にテレビ中継され、その後の各国のオリンピックの閉会式で習慣化されているらしい。とにかく55年前の東京五輪はおもしろかった。昭和39年、私の年収が初めて100万円を越えた年だった。

12月1日

2019-12-04 18:55:56 | 日記
腰痛は気まぐれである。中央部分が痛んだり、それが一晩寝ると右側に移っていたり、両サイドに広がったりする。だから、毎日、その日その日の不機嫌ば場所にロキソニンの湿布を貼ってもらう。ありがたいことに、ロキソニンはテレビコマーシャル通りによく効く。どこが痛むかは朝の起き抜け(ベッドを離れるとき)にわかる。今朝はセンターが痛んだ。

リャンピン(本名はルーク)がおもしろい。家人に甘えきっている。どういう風に声を出せば家人が食事を出してくれるかを知っている。家人がソファに腰をおろしているときにどの位置に寄り添って寝転がれば喉の下を撫でてもらえるかを、ちゃんと知っている。お嬢(本名はヴィヴィアン)を可愛がるのは娘の役目のようだ。

中曽根元首相が101歳で亡くなった。私の母方の祖父が政治家で、その葬儀のときに青山葬儀所で、中曽根さんを目の前で見たことがあるが、なかなかに精悍な顔だった。大勲位だから昔なら国葬だったのだろうが、今回はどうなるのか。

昼食の後にどら焼きをもらう。今日だけでなく、昼食後に甘いものを食べるのが習慣になっている。夜はウィスキーの水割りの最後の1杯がグラス半分になったところで、小型チョコレートを1片もらう。昔、ホテルのバーなどで、カウンターの横にカップに入れて立ててあるチョコ棒を旨そうにつまむ友人を見ながら、不思議に思ったことを憶えているが、今はその味がわかるようになった。チョコレートの味はウィスキーに合う。

競馬は最近散らし買いをしても当たらないので、今日のチャンピオンズカップは3・5・6と3・4・6の2点買い。追分さん五郎と姿三四郎の2点だったが、11番に割り込まれてアウト。今朝の血圧は147-89。

老人大国

2019-12-04 16:46:42 | 日記
インフルエンザの予防注射を受けるべく、行きつけの病院へ行った。半月ほど前にそれをやっている家人の話によると、ごく簡単なもので、その日の入浴も問題ないそうだ。ところが時間が悪かった。前日まで、それも5,6日間雨天曇天が続いたのに、その日(29日)は快晴になった。病院に着いたのが午後の1時半。すでに待合室は混んでいた。注射は外科で行われるという。

家人がアレコレの手続きをする。問診票とやらにこまごまと書き込む。「注射は1分で済むからすぐよ」と家人は楽観的である。私はこの鈍感力と楽天論に何度救われて来たか。注射待ちの人間は50人はいつだろうか。ま、待っても1時間とあきらめる。

インフルエンザは2年前に感染したことがある。39度5分の熱が出た。車椅子のまま乗れる介護タクシーで19時半に病院へ行った。鼻の中に針金状のものを挿し込む検査があって、これが苦痛だった。治療は2時間の点滴のみで、翌日には熱が下がった。それでもイヤな経験だった。その経験が今回の予防注射行きにつながっている。

2,3人ずつ呼ばれて注射室へ行く。すべて老人である。平日の午後だから当たり前のことだ。しかし、だけど、いやいやこれほど日本には老人が多いんだなぁとつくづく思う。思わされる。同姓の2人が呼ばれるのは夫婦連れだ。息子夫婦に「予防注射を打って来てよ。感染(うつ)っても知らないわよ」と言われて来たのだろう。そういう顔をしている。やがて私の名が呼ばれる。私も83歳。終期高齢者である。その日は金曜日だったから本来はデイケアサロンへ行く日だった。サロンへ行ってもメンバーはオール老人。病院もオール老人。ニッポン、大丈夫か?