「パパが大変!」、居間から叔母の悲鳴が聞こえた。慌てて行ってみると、祖父が居間の机の前で、座ったまま天井の方を向いて苦しんでいた。餅だ、餅が喉につまったのだとすぐにわかった。祖父はそのとき83歳であって、寝たきりではなかったが、食堂へ行くのを面倒がって、居間に食事を運ばせていた。私は祖父の口の中へ2本の指を挿し入れ、喉の奥を探った。叔母に、近所のかかりつけの医院へ走るように怒鳴った。もちろん私に救急法がわかるはずはない。とにかく餅を吐き出させるか、反対に胃の方へ落とすか、どちらかである。私はやたらと指を動かした。そのときの時間のことはわからない。1分間か2分間か、もっと長かったのか。外れた入れ歯が指先に引っかかるのがわかり、それお引き出そうとしたときに、祖父がうっ!というような声を出した。無我夢中のうちに、何かの表紙で気道が通ったのだ。医師が到着したときには、祖父は平常の呼吸に戻っていた。これが、私における、唯一の人命救助の経験である。
乗っていた軍艦が米軍の攻撃で沈められ、Aさんは海中に投げ出された。目の前にあった板につかまって波に乗った。10人ほどのなかまが一緒だった。そのまま1日が過ぎ、2日が経った。3日目には仲間が半分になっていた。むろん、飲まず食わずである。唯一の幸運は寒くも暑くもない季節だということだった。4日目にかかる頃に、友軍の艦が来た。ボートがおろされて、Aさん達の方に近づいて来た。しかし、ボートの上の隊員はすぐには手を差し出さずに、Aさん達の周囲をぐるぐるとまわった。なぜか? なぜ、すぐに助けないのか? 何日間も待ちに待った海中の人間をすぐに救い上げると、安心するあまりそのまま死んでしまうからである。 以上は、会社の先輩で、現場でプレス機械を踏んでいたAさんから聞いたことである。とにかく、人命救助は1分1秒でも早く!とは、誰もが考えることであると思うが、そうでもないケースもあるということを、そのとき私は初めて知った。
乗っていた軍艦が米軍の攻撃で沈められ、Aさんは海中に投げ出された。目の前にあった板につかまって波に乗った。10人ほどのなかまが一緒だった。そのまま1日が過ぎ、2日が経った。3日目には仲間が半分になっていた。むろん、飲まず食わずである。唯一の幸運は寒くも暑くもない季節だということだった。4日目にかかる頃に、友軍の艦が来た。ボートがおろされて、Aさん達の方に近づいて来た。しかし、ボートの上の隊員はすぐには手を差し出さずに、Aさん達の周囲をぐるぐるとまわった。なぜか? なぜ、すぐに助けないのか? 何日間も待ちに待った海中の人間をすぐに救い上げると、安心するあまりそのまま死んでしまうからである。 以上は、会社の先輩で、現場でプレス機械を踏んでいたAさんから聞いたことである。とにかく、人命救助は1分1秒でも早く!とは、誰もが考えることであると思うが、そうでもないケースもあるということを、そのとき私は初めて知った。