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人命救助

2018-03-10 10:41:49 | 日記
「パパが大変!」、居間から叔母の悲鳴が聞こえた。慌てて行ってみると、祖父が居間の机の前で、座ったまま天井の方を向いて苦しんでいた。餅だ、餅が喉につまったのだとすぐにわかった。祖父はそのとき83歳であって、寝たきりではなかったが、食堂へ行くのを面倒がって、居間に食事を運ばせていた。私は祖父の口の中へ2本の指を挿し入れ、喉の奥を探った。叔母に、近所のかかりつけの医院へ走るように怒鳴った。もちろん私に救急法がわかるはずはない。とにかく餅を吐き出させるか、反対に胃の方へ落とすか、どちらかである。私はやたらと指を動かした。そのときの時間のことはわからない。1分間か2分間か、もっと長かったのか。外れた入れ歯が指先に引っかかるのがわかり、それお引き出そうとしたときに、祖父がうっ!というような声を出した。無我夢中のうちに、何かの表紙で気道が通ったのだ。医師が到着したときには、祖父は平常の呼吸に戻っていた。これが、私における、唯一の人命救助の経験である。

乗っていた軍艦が米軍の攻撃で沈められ、Aさんは海中に投げ出された。目の前にあった板につかまって波に乗った。10人ほどのなかまが一緒だった。そのまま1日が過ぎ、2日が経った。3日目には仲間が半分になっていた。むろん、飲まず食わずである。唯一の幸運は寒くも暑くもない季節だということだった。4日目にかかる頃に、友軍の艦が来た。ボートがおろされて、Aさん達の方に近づいて来た。しかし、ボートの上の隊員はすぐには手を差し出さずに、Aさん達の周囲をぐるぐるとまわった。なぜか? なぜ、すぐに助けないのか? 何日間も待ちに待った海中の人間をすぐに救い上げると、安心するあまりそのまま死んでしまうからである。  以上は、会社の先輩で、現場でプレス機械を踏んでいたAさんから聞いたことである。とにかく、人命救助は1分1秒でも早く!とは、誰もが考えることであると思うが、そうでもないケースもあるということを、そのとき私は初めて知った。

アカシアの雨がやむとき

2018-03-10 10:32:48 | 日記
「アカシアの雨に打たれて このまま死んでしまいたい…」と、西田佐知子さんが唄ったのはいつ頃だっただろうか。アカシアを歌詞に入れたものは他にもある。石原裕次郎さんの『赤いハンカチ』で、「アカシアの花の下で あの娘がそっと瞼を拭いた赤いハンカチよ・・・」である。「アカシア並木の黄昏は 赤い灯がつく喫茶店…」は、二葉あき子さんの歌だったかな。そういう中で『アカシアの雨がやむとき』は少し変わった歌詞だった。前記のくだりのあとに、「朝の光のその中で 冷たくなった私をみつけてあの人は 涙を流してくれるでしょうか」ち続くのである。

週に二度、重田名人に指圧治療をしてもらう。「痛い!」と何回も叫ぶ。「今度はさっきよりも痛いですよ」と、名人が予告する。「イテテテテ!」とカタカナ語の痛みが走る。名人の指先に強い力が入っているわけではない。ツボなのだ。ツボをおすと内部まで響くとでもいうのか、ジーンとした痛みが針を刺されたような感じになる。

施療は30分間。終わると頭がぼんやりとなる。身体がだるくなっている。腰痛はゼロになる。気持ちが好いなどという平凡な言葉では申し訳ない。つまりは、夢見心地なのだ。眠い。なぜ眠くなるのかと名人に訊くと、血圧が下がるからだと言う。午後1時半である。昼食を抜いているので空腹であることも快い。ベッドから立ち上がるのもモッタイナイ。このまま眠りたい。もし死ぬときに、こういう眠気が訪れてくれたらありがたいとさえ思う。重田名人の施術は私にとては、アカシアの雨である。「このまま死んでしまいたい」であり。